ポール・エドワーズ 著 池城 美菜子 訳 (P-Vine Books)★★★★☆
Link(s): Amazon.co.jp / Rakuten Books
去年の年末に出版されて、「こんな本、見たことない!」って一部で大きな話題になってた一冊。まぁ、これは読まない手はないだろ、と。
何でかっていうと、本自体は 100 人以上のラッパーに 'ラップの仕方' についての質問をして得られた返答をテーマごとにまとめたっていう、言ってみればスゲェ直球なモノなんだけど、その質問が「こんなこと、今まで誰も訊いてなかったよな?」って内容だったから。具体的には、「リリックを何所で書くか」とか「どんな道具で書くか」みたいな、「そんなこと、普通は改まって訊かねぇよなぁ」的なことから、実際にラップをやったことのない人間にはイマイチピンとこないようなテクニカルでマニアックな部分まで、すごく多岐に渡る質問が網羅されてて、その返答が「コンテンツ / 中身(CONTENTS)・フロウ(FLOW)・ライティング(WRITING)・デリバリー(DELIVERY)」っていう 4 つのテーマに分けてまとめられてる。
率直な感想としては、「こんな本、見たことない!」ってのは間違いない。ただ、誰にでもオススメかっていうと、ちょっとビミョーなところはなくはないかな。ある程度のヒップ・ホップ / ラップ・リテラシーみたいなモノを求められる気がするし。まぁ、それを踏まえた上でも、個人的には普通にヒップ・ホップ / ラップに関する読み物としてすごく面白く読めたんだけど。純粋にある種のエンターテインメントとして。あと、ちょっと堅い言い方をすると、'ラップ' っていうヴォーカリゼーション / 口頭文学表現(なんて言葉があるのか知らないけど。まぁ、文字ではなく音で聞かせる詩的・文学的表現ってこと)をより深く理解するための分析としてもすごく貴重だし。
原著は 2009 年に出版された "How to Rap: The Art and Science of the Hip-Hop MC"(Links: Amzn / Rktn)で(珍しく、装丁デザインは邦訳のほうがシンプルでいいかも?)、著者のポール・エドワーズ(PAUL EDWARDS)はロンドン大学でポスト・モダニズム / 文学 / 現代文化の修士号を取得した研究者らしいんだけど、ちょっと検索してみてもあまり詳しい経歴は発見できなかった。アメーブログ(Amoeblog)っていう、バークレーのレコード・ショップ(なのかな?)、アメーバ・ミュージック(Amoeba Music)のブログにインタヴュー記事はあったんだけど、ここに載ってる写真が著者本人なのかもイマイチわかんないし(インタヴュー自体は面白いんだけど)。
序文をクール・G・ラップ(KOOL G RAP)が書いてるんだけど、その中で以下のようなことを言ってる。
レジェンド、すばらしいリリシスト、偉大なラッパーだとされている人達から、学ぶべきだ。学んで、きちんと宿題をやって、自分の技に磨きをかけろ。偉大な MC になるためには、偉大な MC は何かを知らないと ー 彼らに耳を傾けて、何かを感じないといけない。
具体的に取材に応えてるのは、クール・G・ラップを筆頭に、ビッグ・ダディ・ケイン(BIG DADDY KANE)や MC シャン(MC SHAN)といった 1980 年代に活躍したラッパーたちから、パブリック・エネミー(PUBLIC ENEMY)のチャック・D(CHUCK D)やア・トライブ・コールド・クエスト(A TRIBE CALLED QUEST)の Q・ティップ(Q-TIP)とフィアフ・ドーグ(PHIFE DAWG)、サイプレス・ヒル(CYPRESS HILL)の B・リアル(B-REAL)といった 1990 年代の黄金時代を代表する東海岸と西海岸を代表するラッパー、さらにアレステッド・デヴェロップメント(ARRESTED DEVELOPMENT)のスピーチ(SPEECH)とかブラック・アイド・ピーズ(BLACK EYED PEAS)のウィル・アイ・アム(WILL.I.AM)みたいなクロスオーヴァーした知名度を得たアーティスト、C・マーダー(C-MURDER)やトゥイスタ(TWISTA)といった南部〜中西部系のラッパー、ファーサイド(PHARCYDE)やダイレイテッド・ピープルズ(DILATED PEOPLES)等の西海岸アンダーグラウンド勢まで、多岐に富んだラッパー総勢 108 名。全員のリストは原著のオフィシャル・サイトに載ってるんだけど、このリストを見るだけで、まぁ、よくぞこれだけのメンバーに訊いたなって感じ。あと、YouTube に膨大な量のプロモーション映像も公開されてて(Link: YouTube)、これだけでもかなり見応えがある。こういうのが作られてる感じ(+ そのクオリティの高さ)も今のアメリカっぽい。
内容は、以下のような章立てでまとめられてる。
- コンテンツ / 中身
- 中身となる話題について
- コンテンツの形態
- コンテント・ツール
- フロウ
- フロウの効果
- ライム
- ライムのスキーム
- リズム
- ライティング
- ライティングの過程
- ビートとフリースタイル
- リリックの構築、編集、選別
- ほかの人と一緒に書く
- デリバリー
- ボーカル・テクニック
- スタジオで
- ライヴ・パフォーマンス
さらに中身は細かく分かれてて、とても全部は書けないけど、例えば「コンテンツ / 中身」の「中身となる話題について」には「現実的な内身」・「可能的な内容」・「論争的な内容」・「コンシャスな内容」・「クラブ / パーティに関する内容」、「コンテンツの形態」には「ほら吹き / バトルの形態」・「コンセプチュアルな形態」・「物語の形態」・「抽象的なフォーム」・「ユーモラスな形態」といった具合。他にも、「ライティング」の「ライティングの過程」には「リサーチ」・「リリックの書き方」・「書く場所」・「書く時間」・「どれくらいかかるのか?」・「1 度に書くか、分けて書くか」・「作り方をキープするか、変えていくのか」、「ビートとフリースタイル」には「ビートと一緒に書くか、別々に書くか」・「ビートを選ぶ」・「ラップもプロデュースも手がける」・「フリースタイル」、「デリバリー」の「スタジオで」には「リリックを読むか、記憶するか」とか「息継ぎの場所を決める」とか「重ね録りとアドリブ」とか、ホントマニアックな項目から「こんなこと、普通は改まって訊くか?」的な項目まで、広く網羅されてる。
具体的に紹介されてるコメントは以下のような感じ。ちなみに、これは「ライティング」の中の「ライティングの過程」という項目で、「リリックは(紙等に)文字として書くか、文字では書かずに頭の中で構成するか」っていう問題について。
頭の中で書けるラッパーを 2 人知ってるけど、スタジオ・セッション自体は相当ヤバいよ。エンジニア、プロデューサーがそこにいて、ラッパーがそれをやったら、部屋の中にいる人は感動するだろうね。でも、レコードを聞く人にとっては関係ないことだよ。みんなその音楽が好きになって、楽しみたいだけなんだから。頭の中で書くのがリリックの言葉遊びや連続性に影響しないのならいいけど、スタジオにいる 3 人の人間だけをびっくりさせるためだけにやっているのなら、彼らにとってクールでも、残りの世界中の人がどう思うかは分からないよね。 ー エヴィデンス(ダイレイテッド・ピープルズ)
リリックを紙等に書かずに頭の中に書くスタイルのラッパーとしては、何と言ってもジェイ・Z(JAY-Z)とかノトーリアス・BIG(NOTORIOUS BIG)が有名で、それはそれで、そう言われると思わず「おぉ! スゲェ!」とか思ちゃうけど、まぁ、冷静に考えればエヴィデンス(EVIDENCE)の上のコメントもメチャメチャごもっともなわけで。確かに聴き手には一切関係ない。ってことは、本人のやりやすさとかクリエイティヴィティの問題でやりやすいようにやればいいってハナシなんだけど、まぁ、普通、こんな発言を聞く機会ってなかなかないよな、と。
あと、個人的にけっこうツボだったのがコレ。まぁ、なんてことないハナシだけど、でも、なんかいいな、と。
バースを書いてからフックで詰まることは、よくある。 ー ファロア・モンチ
他にも、O.C. があのクラシック "Time's Up" が嫌いだったってコメントとかコーメガ(CORMEGA)のパンチ・インに関する正直すぎるコメントとかビッグ・ダディ・ケインの貫禄十分すぎるコメントとか、個人的にはかなりツボなコメントはたくさんある。あまりたくさん引用をしちゃうと、この本の性質上、けっこう重要なネタバレになっちゃうからもうやめとくけど、そういうコメントを読んでるだけで、個人的には普通にヒップ・ホップ / ラップの読み物として楽しめちゃったかな。ラッパーがどういう発想でリリックを書いてるのか、ラップが何を語ってるのかがすごくよくわかるんで。まぁ、「それ、別に当たり前じゃね?」みたいなことをメチャメチャ大袈裟に言ってたりもするし(それはそれでエンターテイメントとしては面白いし、それもラップの魅力だけど)、ついつい抱いちゃいがちな「頭悪そうなラッパーも案外頭使ってんだなぁ」っていうちょっと失礼なレベルの感想も込みだけど。それに、読んでてイメージが変わったラッパーもけっこういるし。いい意味でも悪い意味でも。ファロア・モンチ(PHAROAHE MONCH)とかラー・ディガ(RAH DIGGA)とか、けっこう上方修正された感じだったかな。
あと、「ラップっていうヴォーカリゼーション / 口頭文学表現の分析」って意味で、すごく面白かったのは、リリックとフロウをダイアグラムでヴィジュアライズするって考え方。ただリリックを普通の文章(とか歌詞カード)のように表記するんじゃなくて、4 小節で区切られた枠(図表)の中にフロウに合わせて言葉を '置く' ことで、リリックとフロウをより音楽的にヴィジュアライズするって方法で、原著のオフィシャル・サイト内に、エミネム(EMINEM)の "Lose Yourself"(Link: PDF)とドクター・ドレ & スヌープ・ドッグ(DR. DRE & SNOOP DOGG)の "Nuthin But A 'G' Thang"(Link: PDF)の例が公開されてるんだけど、ラップのこういう捉え方って、すごく新鮮だった。
実はこれまでに複数の日本人ラッパーのレコーディングの現場に立ち会ったことがあって、それぞれのラッパーが試行錯誤しながら独特な方法でレコーディングしやすいようにリリックを(主に紙に)書いてるのは目撃してたんだけど、こんな風にダイアグラムで表記してるのは見たことなかったんで。よくよく考えてみれば、ラップって楽譜で表現できない(厳密に言えば、無理矢理楽譜にすることは不可能ではないだろうけど、まぁ、一般的には譜面にされることはほぼない)、ある種、希有なヴォーカル表現なわけで、でも、実は、フロウとか声の強弱とかイントネーションとか、字面では表現されない部分がすごく重要なわけで、こういう整理・理解の仕方はすごく理に適ってるし、ちょっと目から鱗だったかな。
あと、ライターの長谷川町蔵氏が巻末の解説でも書いてるけど、やっぱりすごく印象に残ったのは、どのラッパーも常にスキルを磨くことに必死になってるってこと。まぁ、ラッパーは何事も大袈裟に膨らまして表現しがちだから、やや割り引いて読んどく必要はあるけど、それにしても、見事なまでにみんな口を揃えて、スキルを磨くこととそのための努力の重要性を強調してて。個性はもちろん大事だけど、それを前提にしつつも、みんな努力してスキルを磨いてて、そこには「下手でも味があればいいんだ」的な甘えはない感じ。まぁ、それこそが(ダズンズから脈々と受け継がれてきたレベルでの)'ラップ' っていうゲームの根源的なルールって言っちゃえばそれまでなんだけど、まるでアスリートのコメントを読んでるかと思っちゃうくらい。
一応、「誰にでもオススメかっていうと、ちょっとビミョーなところはなくはないかな」って書いた部分にも触れておくと、まずは上に「ある程度のヒップ・ホップ / ラップ・リテラシーみたいなモノを求められる気がするし」って書いた通り、わりとヒップ・ホップ / ラップの基礎知識は要求される感じはする点がある。特に、「フロウ」の章の部分とか、それなりにヒップ・ホップ / ラップが好きで聴いてても、実際に自分でラップをした(しようとした)ことがないとなかなかピンとこない部分も多かったりするんで、そういう意味では、それほどハードルは低くない気がする。
あと、そもそものコンセプトの部分としてちょっと引っかかったのは、'ラップのハウ・トゥ本' である本書のメインの想定読者が 'ラップをやりたい(やってる)人' だとすると、(特に日本では)ちょっとターゲットとして狭くね? ってことと、訳書の特性として仕方がないけど、書かれてることの全てが「日本語でラップする」ことに適用可能ではないってこと。当たり前だけど、言語の違いがあるんで、参考にしたり応用したりはできても、そのまま適用できない部分は確実にあるな、と。そういう意味では、'ラップをやりたい(やってる)日本人' にとってメチャメチャ実用的なハウ・トゥ本かっていうと、ちょっと微妙なのかも? とは思わなくはないかな。ただ、'メチャメチャ実用的な' ってレベルより一歩引いた視点っていうか、それ以前の '心構え' 的なレベルではすごく参考になると思うけど。
さらにもう一歩引いて考えて、「言葉で何かを表現するプロセスを解析した本」って面でも、なかなか示唆に富んでたりもする。ラップって、すごくプリミティヴでありながら、ライミングとかフロウとかっていうルールがあるからこそ、その分、研ぎ澄まされた表現なんで。「ゲームはルールがあるから面白い」って言葉があるけど、そういう意味では、ラップってかなりルールの縛りがありながら、同時にフリースタイルでもあって、それ故にメチャメチャスキルを求められる表現だから。そういう面でのインスピレーションが得られるって意味合いも個人的にはけっこう大きかったかな。
あと、忘れちゃいけないのは、翻訳の見事さ。訳者の池城美菜子さんは音楽シーンではお馴染みの人なんで、まぁ、ブッチャけ、何の心配もしてなかったんだけど、かなりテクニカルで、決して翻訳向きじゃない部分も少なからずあったと思うんだけど、いいサジ加減の日本語で読みやすく表現されてるのは「さすがだなぁ」とあらためて脱帽。本書の出版からあまり間を置かずに出版されたことも含めて、ありがたい限りかな、と。
まぁ、正直言うと、「あの人とかこの人とかも入ってれば良かったのになぁ」的なことはついつい思っちゃったけど。例えばラキム(RAKIM)とか KRS・ワン(KRS-ONE)とかスリック・リック(SLICK RICK)とかデ・ラ・ソウル(DE LA SOUL)とかコモン(COMMON)とかナズ(NAS)とかジェイ・Z とかモス・デフ(MOS DEF)とかタリブ・クウェリ(TALIB KWELI)とか…(以下省略)。特に、さすがにラキムはいろんなラッパーのコメントで言及されてたりするんで、なおさらそう思っちゃう。まぁ、欲を言い出せばキリがないけど。
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猪又 孝『ラップのことば』 |
レヴューするのは忘れてたけど、コレは編集者 / ライターの猪又孝氏が 2010 年に出した書籍で、日本人のラッパーに「リリック = 言葉」についてインタヴューしたもの。登場するのは、いとうせいこうのようなパイオニアを筆頭に、スチャダラパーの BOSE、ZEEBRA と K-DUB SHINE、ライムスターの宇多丸・MUMMY-D といったいわゆる 'さんぴん世代'、さらにリップ・スライムの PES や般若、DABO、童子-T、SEEDA、SEAMO、サイプレス上野、ANARCHY、COMA-CHI の計 15 人で、『HOW TO RAP』のようにたくさんのラッパーに細かいコメントをもらうカタチではなく、15 人にかなりガッツリと語ってもらってる。
コレがなかなか読み応えがあって、一般的に「言葉の表現者」として、作家や詩人、作詞家と比べて(見た目や言動の印象からか?)とかく過小評価されがちな感じのするラッパーが、どれだけ高度な表現に取り組んでて、そのためにどれだけ努力しながらスキルを磨いているかがよくわかる。「あんな風に見えて、実はかなり真剣に頭使って書いてるんだぜ、ラッパーって」的な感じというか。
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