2009/04/06

Chega de Saudade.

遠きにありてつくるもの ― 日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』
 細川 周平 著(みすず書房)  Link(s): Amazon.co.jp / Rakuten Books 

781 人の日本人を乗せて神戸港を出港した笠戸丸が 2 ヶ月かけてサントス港に到着した 1908 年から 100 年というタイミングで出版された国際日本文化研究センター教授の細川周平氏の著作。サブ・タイトルに「日系ブラジル人の思い・ことば・芸能」とあるように、日本人移民〜日系ブラジル人の抱えていた想いを、俳句・短歌・川柳、現地新聞、浪曲、カーニヴァルなど、膨大な資料をもとにまとめられた 460 ページにも及ぶ大作で、第 60 回読売文学賞受賞を受賞している。

故郷を甘美に思う者はまだ嘴(くちばし)の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。

本書の中にエドワード・サイードが引用して有名になった 12 世紀のスコラ哲学者、聖ヴィクトルのフーゴーのこんな言葉が引用されている。タイトルはもちろん「ふるさとは遠きにありて思うもの」って言葉から採られてるんだけど、それは同時に「つくる」ものであって、実際にそういった風景を何とかして自分たちの生活の中で「つくる」(ブラジルの中でミニチュアの日本を再現する)ことで自分たちの足場を固めて、それが結果的に自分たちの文化になった感じからは、フーゴーの言葉とはちょっと別の次元の根源的な何かを感じる。村上春樹が『やがて哀しき外国語』で述べてた「自分にとって自明性を持たない言語に何の因果か自分がこうして取り囲まれている」状況が持つ「哀しみ」も引用されてるんだけど、そういう感覚って、その言語がいくら理解できてても完全に消えるモノじゃないし、理解度が低ければ低いほど大きくなるモノだと思うんで。

例えば、冒頭部分でこんな詩が紹介されてる。

イロハのイの字も 知らないお前 それでもお前は 日本人?
桜も知らない 日本も知らぬ それでもあなたは 日本人?
ブラジル生まれで 何も知らぬ それでも君は日本人?
日本人です 日本のことを 聞けば高鳴る この血潮!

これは日系ブラジル人の代表的な民謡詩人だったという堀田野情の 1934 年の『日本人です』という詩。たったこれだけの文字数の中に、いろいろな想いが感じられる。その他にも、決して有名でもなんでもない、市井の日系人の素の、でもいろんな想いが込められた言葉がすごく情感豊かに響いてくる。あまりたくさんは引用しないけど、例えばこんな感じだったりする。

・永住と 決めて故郷が なお恋し
・ポ語だけの 孫に日語で 話しかけ
・異郷ではなく 子の国 孫の国
・この水は 日本に続くとサントスの 海見て一人 つぶやきし母
・日本へ 1 メートル近く 葬られ

日系ブラジル人って、そもそもは短期的な「出稼ぎ」のつもりだったというか、決して永住するつもりがなかったにも関わらず、半ばなし崩し的に、やむを得ず永住することになった人がほとんどだったわけで、そこにはホントにいろんな想い、とても簡単には言い表せない想いがあって。でも、それが 100 年間積み重ねられてきて、その中にはアントニオ猪木だったりセルジオ越後だったりブラジリアン柔術だったり、自分にとって決して遠くはないモノとも結び付いてる。だからすごく興味があって、だからこういう本をいろいろ読んでみてるんだけど、なかなか味わい深くて、すごく何とも言えない気分にさせられる。

読んでるときにずっと頭の中にあった言葉は「サウダーヂ(Saudade)」。これはブラジル音楽、特にボサ・ノヴァを語る時に必ず使われる単語なんだけど、でもなかなか日本語に置き換えることができない。でも、簡単に外国語に置き換えられない単語にこそ、その国の文化が如実に現れると思ったりもする。しかも、その国の人間も、あまりにも自分たちの生活に染み付いてるからか、あらためて言葉にする必要もなくて、聞かれても上手く言葉で説明できなかったりするような感じ。ブラジルだったら、他にも「ジンガ(Ginga)」とかもそうだし。アフロ・アメリカンの「ファンキー(funky)」もそう。「ファンキー・プレジデント」ことジェイムス・ブラウンは「ファンキー、それは幸せであること。自由と幸福を意味するんだ」なんて意味深なことを言ってやがるし。ジャマイカ人が使う「ジャー(Jah)」とか、フランス人の使う「エスプリ(espirit)」とか、日本語だったら「侘び」「寂び」なんかもそうだと思うし。

そういう意味では「サウダーヂ」もブラジル(文化)をブラジル(文化)たらしめてる言葉だと思うんだけど、その言葉が、なんか、日系ブラジル人のことをいろいろ読んだりしてると、妙にシックリくるような、不思議な感じがあって。個人的には俳句・短歌・川柳がすごいグッときちゃった。そこに込められてるのは、新しい場所にかけた期待感とか、期待とはかけ離れてた現実の厳しさとか、数年で大金を稼いで帰るつもりが帰りの旅費すらままならない現状に対する苛立とか情けなさとか、望んだから望んでないかに関わらず現地の環境に馴染み始めて、それを受け入れてる自分と受け入れたくない自分の葛藤とか、おめおめと弱音を吐けない意地・強がりだったり、もちろんノスタルジアとか、第二次世界大戦終戦時に起こった勝ち組・負け組論争とか、過渡期に生まれた日本語ともポルトガル語ともつかないコロニア語だったりとか、アイデンティティを考える中での日本・ツピ同祖論とか、滞在が長くなるに連れて自分たち以上にブラジル人になってる子ども・孫との間に広がる感覚的・言語的な溝とか、逆にブラジルに馴染んでる二世・三世が感じる親・祖父母への違和感だったり、日本人として生きるのかコロニア人として生きるのかというアイデンティティの揺らぎとか、それでもそこで生きていこう、日本にルーツを持つブラジル人として誇りを持って生きていこうっていう決意とか。そういういろいろな、簡単には割り切れない想いが素朴で趣きある言葉で、俳句・短歌・川柳っていう、すごく簡潔でシンプルなアート・フォームの中に込められてて。日本語で表現されてるにも関わらず、日本語で一言では言い表せないような、不思議な感覚があって。基本的には、もう、メチャメチャ切ないんだけど、でも、ただ切ないだけでもないし、ブルースみたいな感じでもなくて。もちろん、あっけらかんとしてるわけでもないし、メチャメチャ前向きでポジティヴなわけでもなくて。それでいて、パワフルさとかタフさとかも感じるし、楽しさとか幸せな空気も感じたり。これをサウダーヂと呼ばずに何と呼ぶのか、と。もちろん、サウダーヂが何たるか、わかってるわけじゃないんだけど、わかってないなりに、こういうものなんじゃないかな、って。

ちなみに、サウダーヂに関しては、やっぱり避けては通れないというか、密接な関係がある部分だからなのか、本書でも脚注で詳しく触れられてる。サウダーヂっていうと、頭に浮かぶのはボサ・ノヴァの名曲 "Chega de Saudade" ってタイトル。'chega' って英語で 'enough' に該当する単語らしくて、'de' は 'of' だから、これに『想いあふれて』って邦題を付けた人はすごくセンスがいいと思うんだけど、やっぱり本書でも「ポルトガル語の話者以外にはこの感情は理解できない」「人生、存在の意味と価値を集約させている」と述べられてるし、人類学者のロベルト・ダマータの「個人的に抱く感情ではなく、'我々の集団的存在の基本的カテゴリー'・'文化的・イデオロギー的構造物' であり、ブラジル社会をまとめる絆になっている」という言葉も紹介されてる。まぁ、こう言われてもわかるようなわかんないような感じなんだけど、だからこそ、奥が深くて興味深かったりする。サウダーヂって。そう簡単にわかったら面白くないからね。音楽を聴いたり、映画とかアートを観たり、いろんなモノから少しずつ感じられるモノだと思うんで。

俳句・短歌・川柳だけじゃなく、例えばカーニヴァルに関する考察とかは、日系ブラジル人に限らずブラジル人とカーニヴァルの関係を知る上でも面白い。著者の細川氏は、個人的にそれほど思い入れがあるわけではないけど、それでもブラジル関連の本なんかではちょこちょこ名前を見ることが多くて、けっこういろんなところで原稿を読んでる。いわゆる研究者っぽい、丹念な考察がいつもなかなか面白いんだけど、本書でもその期待に違わぬ論考で、なかなか読み応えがある。ちょっと古いハナシが多いんで、具体的にイメージしにくいところもないことはないけど、まぁ、もっと読みにくくなってもおかしくないないようなテーマなだけに、十分上手くまとまってるって言えると思うし、いわゆる学術書・研究書的な読みにくさは最小限に抑えられてる印象。読後感は悪くないし。

メチャメチャベタだけど、やっぱり、BGM はガンガ・ズンバの『足跡のない道』がピッタリ。曲ももちろんだけど、PV に使われてる写真とか見ちゃうと、もう、味わいもひとしお。とても一言では言い表せない感覚にとらわれる。これもある種のサウダーヂ感なのかな?


GANGA ZUMBA "足跡のない道"(From "GANGA ZUMBA")



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