Nov 15, 2009

Boombox blues.

ラジカセのデザイン! JAPANESE OLD BOOMBOX DESIGN CATALOG

. :松崎 順一 著青幻舎

これは、もう、タイトル通りっつうか、ヤラれた感抜群っつうか、ヤバくないわけがない一冊。まぁ、いろんなラジカセの写真がたくさん載ってるだけの本なんだけど。でも、それで、十分すぎるほど成立してる。やっぱ、何とも言えない味わいっつうか、いい感じのオールドスクール感っつうか、なんか、妙にワクワクさせられるから不思議。

もちろん、ラジカセってのは「ラジオ+カセット(テープ)」なわけで(言うまでもなく和製英語。英語では 'boombox')、今じゃどっちもすっかり身近じゃなくなってるけど
もちろん、B-BOY 的にはカセットには思い入れがある、別にノスタルジアとかじゃなくて、全然別の次元で、ラジカセって、なんか魅かれる。何がそんなにツボなのかわかんないけど。デザイン的なことのような気もするし、いい感じのポータブル感(少なくとも、ステレオ・セットとかに比べて、ってこと。でも、決してハンディではない存在感というか)のような気もするし、メカメカしい感じなのような気もするし。まぁ、とにかく、懐かしさだけじゃない、もっと普遍的な(なんて言ったら大袈裟だけど)何かがあるような気がして。

まぁ、いろんなタイプのラジカセがこれでもかって載ってて、見てるだけで全然飽きない。オールドスクール・ヒップ・ホップ・フレイヴァー漂うデカイヤツはもちろん、初期のデザインもカッコイイし、ソニーのスポーツ・シリーズとか、マイ・ファースト・ソニーとかも、今、見ても全然アリな感じだし。この頃はまだ頑張ってたっつうか、ソニーがソニーだったなぁ、なんてちょっと切なくなったりもして。思えば、こんなにメカメカしいメカって、触らなくなって久しいし。ガチャ、って感じの再生ボタンとか。ガンダムを彷彿とさせる V 字型の 2 本アンテナとか、メチャメチャカッコイイし。なんか、使えるんだか使えないんだかわからん機能とのハイブリッドなヤツとかも、バカっぽくて、でも、妙にカッコよくて、ヤバすぎるし。

まぁ、バカバカしいって言っちゃえば相当バカバカしい本ではあるんだけど、で
も、なんか、こうやっていろんなデザインを並べられると、最近忘れちゃいがちな、ちょっと大事なことが隠されてる気もしてて。発想が自由で、ラフで、質実剛健で、豪快な感じは、ちょっと見習いたい。


L. L. COOL J "I Can't Live Without My Radio" (From "Radio")









Nov 14, 2009

The bricoleur of thoughts.

Claude Lévi-Strauss (1908 - 2009)

もう何日経っちゃったけど、前にレビューした『サンパウロへのサウダージ』の著者であり、文化人類学者・社会人類学者・思想家のクロード・レヴィ=ストロース(写真は 1935 年にブラジルで撮影されたモノ)が 10 月 30 日に亡くなった。享年、なんと 100 歳。11 月 28 日に 101 歳になる直前の死だったってことになる。

レヴィ=ストロースっていえば、一般的には「構造主義の祖」として知られてて、「20 世紀の思想家で最後の巨匠」って言われてる人物。まぁ、肩書きが「思想家」って時点で既にメチャメチャカッコイイなぁ、とか思っちゃうんだけど、個人的に一番シックリきたっていうか、グッときちゃったのは「ブリコラージュ」かな、やっぱ(そういえば、アモン・トビンのアルバムとか坂本龍一さんのリミックス・アルバムのタイトルになってる言葉でもある)。まぁ、概要はウィキペディアでも、詳細は 1962 年の名著野生の思考なんかを参照って感じだけど、理論や設計図に基づいてモノを作る「エンジニアリング」とは対照的なモノ作りのカタチとしての「ブリコラージュ」に、なんか、すごくプリミティヴな、ちょっとヒップ・ホップ的なフレイヴァーを感じちゃうんで。前に仕事で関わってたプロジェクトのコンセプト作りの大きな参考にもなったりしたし。計算とか打算とかとは違う次元にある、プリミティヴなクリエイティヴィティのカタチみたいなイメージかな。ちょっとラフで、乱暴で、でも、パワフルで、人間的で。そういう、なんか小細工抜きな感じが、すごくヒップ・ホップ的な感じがして、すごくいいな、と。一般的には、レヴィ=ストロースとか「ブリコラージュ」がそういう文脈で語られることはないと思うけど(見たことないし)、でも、個人的には、なんかシックリくる感じがする。

あと、やっぱりブラジルとの親和性も親近感を感じちゃうところではある。名著の誉れ高い悲しき熱帯 I / (同) IIもちろん、前にレビューした『サンパウロへのサウダージブラジルもそうだし。なんか、ブラジルと縁があるらしく、しかも、全然ブラジル絡みの文脈で興味を持ったんじゃないのに、ブラジルでつながった感じも、なんかちょっと因縁めいてて気になるな、と。

あらためて、享年 100 歳。死因は報じられてないっぽいけど、まぁ、寿命っつうか、大往生っつうか、人生を全うしたって言って差し支えないのかな。まぁ、まだまだ勉強されてもらいたいこともたくさんあるし、今の自分の周りで起こっていることなんかに応用可能なことはいくらでもありそうだし。肉体は死しても遺した作品は死なないので、これからも、ことあるごとにいろんなところで引っかかりそうな予感はしてる。 ー R. I. P.

Nov 4, 2009

So moody.

"Double Booked"

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ROBERT GLASPER (Blue Note

秋はなんだか、妙にジャズ・ピアノがシックリくるわけで、最近、愛聴してるのが、このロバート・グラスパー。ちょっと前にリリースされたアルバムもリリース当初より最近のほうがなんかシックリくるし、その前のアルバムもかなりいい感じなんで、この機会に 2 枚まとめて。

ロバート・グラスパーは 2003 年にデビューしたテキサス出身のコンテンポラリー・ジャズ・ピアニストで、2005 年のセカンド・アルバム "Canvas" 以降はブルー・ノートから作品をリリースしてる。レーベルのプレス・リリース等には「新感覚のジャズ・ピアニスト」的な、なかなかビミョーな表現のキャッチ・コピーが付いてたりしがちなんだけど、まぁ、言葉遣いはともかく、そう言いたくなる気持ちはわからんでもない、不思議な感覚のピアニストではある。まぁ、そうは言っても、それほど熱心にコンテンポラリー・ジャズを聴いてるわけじゃないんで、他のアーティストと細かく比較したりできるわけじゃないんだけど。でも、確かに、「誰かに似てる」とか「誰か風」な感じはなくて、すごくオリジナルな雰囲気を持ってる。だからと言って、奇を衒ってるわけでも、難解(且つ過剰)に尖ってるわけでも、亜流なわけでもなくて。懐古主義的でもないし、むしろ、すごくコンテポラリーで洗練された印象だったりもして。何とも言えないすごくユニークな存在感を持ったアーティストだってことは感じられる。あと、何と言うか、いろんな意味でえらくムーディなオトコだなってのが率直な印象だったりして。

もうひとつ、特徴として、本格的にヒップ・ホップ世代というか、ナチュラルにヒップ・ホップとの親和性が高くて(ちなみに年齢は 32 歳)、でも、安易に小手先レベルでヒップ・ホップを「採り入れてる」んじゃなくて、もっと深いベースとかルーツとかの部分でヒップ・ホップを感じさせるって点がある。実際、Q ティップモス・デフなんかとも交流があるみたいだし。

この "Double Booked" は今年の 8 月にリリースされた 4 枚目のアルバムで、これまでのところ最新作。タイトルでほのめかされてるように前半と後半の 2 部構成で、前半はザ・ロバート・グラスパー・トリオ名義でオーソドックスなピアノ・トリオのサウンドで、後半はザ・ロバート・グラスパー・エクスペリメント名義でエレクトリックを導入したヒップ・ホップ的なアプローチのサウンドになってる。

前半のオーソドックスなジャズ・トリオも、なかなか超絶な弾きっぷりで聴き応え十分なんだけど、個人的には、後半のエレクトリック・セットかな、やっぱ。エクスペリメントの名に恥じない意欲的なパフォーマンスで。特にビラルをフィーチャーした "All Matter" は、高揚感があって、メチャメチャセクシーでかなりヤバイ仕上がり。この感じのサウンドだけのアルバムを 1 枚聴きたいくらい。このアルバムではビラルともう 1 曲演ってて、さらにモス・デフも参加してるんだけど、存在感的には圧倒的にビラルが参加したトラックのほうがインパクトが強いかな。

まぁ、正直言って、アートワークがかなりビミョーなんで、危うくスルーしちゃいそうだけど、中身はなかなかヤバイ 1 枚で、メチャメチャコンテポラリーでありながら、メチャメチャジャズっていう、ありそうで、実はなかなかないアルバムって言えるんじゃないかな、と(いわゆる「コンテンポラリー・ジャズ」には、実はあまり「ジャズ」を感じなかったりしがちなんで)。


THE ROBERT GLASPER EXPERIMENT "All Matter" (From "Double Booked")









"In My Element"

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ROBERT GLASPER (Blue Note

この "In My Element" は 2007 年リリースのサード・アルバムで、ピアノ・トリオでのパフォーマンス。洗練されたマナーの中で、時には超絶なテクニックを披露して弾きまくったりしたかと思うと、時には甘ったるいくらいムーディだったりっていうロバート・グラスパーの魅力がすごくストレートに表現された、これまたなかなかの好盤で。

ハイライトはハービー・ハンコックの "Maiden Voyage" とレディオヘッド(!)の "Everything In It's Right Place" のメドレーなのかな。選曲の妙もさることながら、アレンジもなかなか斬新で。すごくオリジナリティを感じさせる。

まぁ、そうは言っても、個人的なツボは、やっぱり "J Dillalude" なんだけど。タイトル通り、ジェイ・ディー a.k.a. J・ディラへのトリビュート的な、カヴァーっていえばカヴァーなんだけど、聞き覚えのある声の留守番電話のメッセージが「ディラの曲を演ってみろよ」的なことを言うところから始まるっていうなかなかニクイ 1 曲で。それにしても、前にレヴューしたカルロス・ニーノとミゲル・アットウッド・ファーガソンの "Suite For Ma Dukes" でもそう感じたけど、ジェイ・ディーの曲って、なんでこんなにも美しいんだろう。

これまたアートワークがかなりビミョー(このアートワークでジャズ・コーナーに並んでたら、かなり浮くはず。もちろん、悪い意味で)だけど、アートワークに騙されれてスルーすると、ちょっともったいない 1 枚かな。


ROBERT GLASPER "J Dillalude" (From "In My Element")









Nov 3, 2009

Publish: (vt) To issue for public.

新世紀メディア論 ー 新聞・雑誌が死ぬ前に

. :小林 弘人 著バジリコ

今年の春頃に何かで著者のインタヴューを観て、ちょっと気になったので読んでみた一冊。まぁ、タイトルが大袈裟なんで、ちょっと引いたというか、ついつい警戒感を持っちゃったんだけど、タイトルのわりに内容は読みやすい感じではあったかな。良く
も悪くも。

読後の印象として
も、まぁ、個別の中身自体には合意する部分も多々ありつつも、同時に、読む前に抱いてた警戒感は間違いじゃなかったって印象もあるというか、全面否認ではないけど、諸手を挙げて大賛成でもない感じというか、参考になる部分は大いにありつつも、決して感動したりはしてないというか、ビミョーな感じの読後感も事実だったりはする。これまた、良くも悪くも。

著者はインフォバーンの代表で、『サイゾー』とかギズモード・ジャパンとか真鍋かをりのブログなんかを仕掛けたことで
も知られる(らしい)小林弘人氏。とは言っても、個人的にはその辺のモノにはあまり馴染みがなくて(もちろん、目にすることはあるけど)、イメージとしては断然、『WIRED 日本版』を立ち上げた人って感じ。『WIRED 日本版』は当時(大学の頃だったかな?)、けっこう熱心に読んでたんで。ただ、当時は小林氏について自覚的だったって記憶はないし、その後の動きに関しても、別に熱心に追いかけてたわけじゃない。だから、特別な思い入れとかはなくて、わりとフラットというか、どっちかっつうと、やや警戒感を持って読んだ感じかな。『WIRED 日本版』以降のモノには、チャラさっていうか、けっこう強い胡散臭さを感じてたんで。しかも、そこに小林氏の存在を意識せずにそれぞれを胡散臭いって感じてたんで、変な先入観を持っちゃってたわけではなく、ホントに胡散臭いって感じてたってことなんだと思うし。

内容の特徴としては、まず、「出版」という言葉の定義を明確にしてる点がある。これが大前提というか。小林氏は自身を「出版人」であると言ってるんだけど、一方で「出版は死ぬ」って言ってて、ここで使われてるふたつの「出版」は同じ「出版」ではないんだ、と。小林氏の定義する「出版」は 'publish'、つまり「公にする行為」のことで、小林氏は自身を、この意味での「出版人」であると言ってる。一方、「死ぬ」と言われている「出版」は、「紙に印刷した新聞・雑誌・書籍等を取り次ぎを経由して書店等に流通させ、売り上げと広告で利益を上げるビジネス」という意味での「出版」で、小林氏は特に書籍よりも新聞・雑誌のほうが危うくて(そう述べてる媒体が書籍だっていうのもある意味アイロニカル)、特にそういう会社(出版社・新聞社等)はそのビジネス・モデルに固執しがちで、特に大手になればなるほど、変にプライドが高いからか、その傾向が強くておハナシにならん、と(そのわりに、他のモノに文句を言ったり、愚痴ったりばっかしてるから、目も当てられないんだけど)。

この考え方自体に関しては、まぁ、全面的に合意できるかな。ただ、いわゆる後者の「出版」(狭義の出版)をやっている会社(出版社・新聞社等)の「中の人」として働いた経験はないんで、あくまでも、フリーランスの立場で「外の(周辺の、かな?)人」って立場でつきあってきた中で感じる部分として、ってことになるけど。 個人的に「編集(者)」って言葉について持ってる感覚に似てるかな? つまり、自分の仕事を「編集(者)」って呼ぶときに、「本や雑誌等を制作する」って意味の、狭義の「編集」ではなく、「本や雑誌等のフォーマットだけじゃなく、いろんなフォーマットでいろんなモノを収集・取捨選択して、あるコンテキストに沿ってカタチにすること」を「編集」だって(少なくとも自分では)意識してるんだけど、感覚的には似てるんじゃないかな、って。ただ、こういう言い方が通じる人と通じない人がいて。しかも、通じない人が、いわゆる「大手」に多かったりもするし。そういう部分も含めて、わりと感覚的に理解できる部分ではある。

たぶん『新世紀メディア論 ー 新聞・雑誌が死ぬ前になんて大袈裟なタイトルを付けた意図のひとつは、「狭義の出版人」の凝り固まった頭をガツンとやるみたいなことなんだろうと思うけど、じゃあ何だってハナシになると、ブログに代表されるインターネットだ、つまり、特定の限られた人(法人)が特権的にメディアを持つ時代ではなく、意思さえあれば誰でもメディアを(すごく安いコストで)持てる「誰でもメディア」な時代で、「誰でもメディア」の時代には「誰でもメディア」の時代ならではのやり方があるってハナシになって、具体的な事例とか特徴がいろいろと述べられてる、と。

まぁ、細かい部分は納得したり感心したりする部分も少なからずありつつも、同時に、何を今さら? って思うところもけっこうあったりして。例えば、収益構造のハナシとか。もうちょっとブッ飛んだ議論というか、アイデア提起みたいなモノを期待してたんで。そこがちょっと物足りない部分だったりもしたんだけど(まぁ、でも、どうも世の中では、「何を今さら?」をそれらしくまとめるとありがたがられるっぽくて、それはそれで、個人的にはすごく気持ち悪いんだけど。例えば、やたらと顔を出したがる勝間ナンチャラ女史とか)。

そういう感じなんで、具体的なハナシになると、SEO 的なハナシとかコンサルティングみたいなハナシになったりもして、その辺がどうしても胡散臭く感じちゃう部分だったりはするんだけど。まぁ、いろんなところで講演をしたり、コンサルティングをしたりしてるってのは、ある意味、なんとなく納得できるけど(もちろん、ネガティヴな意味で)。

そうは言っても、「細かい部分は納得したり感心したりする部分も少なからずある」ってのも事実なんで、イヤな感じで引っかかる部分は、まぁ、それはそれとして、「忘れないようにメモ」として書いておくと、以下のような感じかな(多分に「何を今さら?」とか、ちょっと気持ち悪いハナシも含まれてるし、すべてに同意なわけではないけど)。

  • まず「それが自分で読みたいモノであり、それを誰も作ってないから自分で作る」ことが基本。
  • 「雑誌の本質はそのカタチに非ず」。「コミュニティを生み出す力」こそが雑誌の本質。
  • メディア・ビジネスはコミュニティへの影響力という実態の掴みにくいモノを換金することだ。
  • 情報収集はソフトウェアでできるが、文脈を編むためには人間の視点が不可欠。その価値はむしろ高まる(相対的に質の低いモノが蔓延するため)。
  • 紙は「情報コモディティ」から「嗜好品」に変換する必要がある。狭義の出版は、カメラの世界に於ける銀塩カメラのようになるのかも?
  • 紙のメディアは、その信頼を担保にひたすら企業ブランド向上のために記事を書いたり、広告を集めるという、ある種の心理的なマーケティングのために用いられる方向に進むのかも?
  • 雑誌はコミュニティ・メディアであり、ライフスタイルの数だけ雑誌はあって然るべき。
  • 情報過多なインターネットの世界では、限られた人々の関心というパイを奪い合うカタチのアテンション・エコノミーになる。
  • ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』の著者として知られるジョン・バッテル曰く、メディアには「パッケージされた物のメディア(packaged goods media)」と「会話型メディア(conversational media)」に分かれ、「パッケージされた物のメディア」は既存のメディアと同じで、インターネットを使うとしても、単に流通チャンネルが増えただけで、基本的には店頭等と変わらない。前者が依拠するのは「知的財産の所有と統制」と「高価な配布システムの所有と統制」で、「このふたつに依拠する広告と定期購読によるビジネス・モデル」であり、「会話型メディア」のビジネス・モデルは違う。
  • 「ディストリビューション・オリエンテッド」ではなく、「ユーザー・オリエンテッド」「テーマ・オリエンテッド」に。
  • 編集者に求められるスキルも変わる。1) ウェブ上での人の流れや動きを直感し、情報を整理して提示するスキルがある。 2) システムについての理解を持ち、なおかつ UI やデザインについての明確なヴィジョンと理解を持つ。 3) 換金化のためのビジネス・スキーム構築までを立案できる職能者である…、というスキル・セットが体系的に訓練されるか、もしくは各自独学でジャンルを越境していく必要がある。
  • 「誰でもメディア」なので「誰でもライバル」。ライバルは同業他社だけではない。
  • 「ナット・グラフ(nut graph)」が大事(たぶん、これまで以上に)。
  • 「自らが編んだ情報を伝えたい」という編集者の欲求を満たすためのモノから、「情報によってつながった人たち」の欲求を満たすために何をすべきか考え、立体的にサービスを提供できるように価値変換を図ることがポイント。
  • 思想や態度(アティチュード)に訴えながら、インターネットを媒介として広がる社会運動的なマーケティング手法、コーズ・マーケティング(cause marketing)の可能性。
個人的には、銀塩カメラの例えとか、けっこう好きで。ポジティヴな意味で。これだけデジタル・カメラ全盛で、それこそ「(ほぼ)全人類カメラマン化」な時代だからこそ、「銀塩カメラ(で撮れる人)には敵わない」感が強くなってるんで。ちょっと乱暴な言い方だけど、たぶん、タバコとか音楽(特にレコードとか CD)もそうな(る)んじゃないかって思ってて。個人的には「趣味:乗馬」って言ってるんだけど。どういうことかっていうと、喫煙っていうリラクゼーションとか、音楽を熱心に聴くこととかって、どんどんレアな趣味、それこそ乗馬くらいな感じ(つまり、「何それ?」って言われるほど知られてないわけじゃないけど、ポジティヴでもネガティヴでもなく、フラットに、素で「珍しいねぇ」って言われちゃう感じ)の趣味になっていくんじゃないかなって(音楽の場合は、音楽自体がなくなるわけじゃなくて、あくまでも、「積極的にお金を払って音楽パッケージを購入する」って意味でだけど)。

それから、本書で引用されてるアメリカの未来学者(なんて肩書きだ!)のポール・サッフォの「未来を見通す法則」ってのもちょっと面白い。
  • 見通せないときがあることを知れ。
  • 突然の成功は、20年以上の失敗の上にある。
  • 未来を見通すには、その倍、過去に注視せよ。
  • 前兆を見逃すな。
  • (見通すときは)中立であれ。
  • 物語れ。あるいは、図にするがよい。
  • 自分の間違いを立証せよ。
まぁ、「(見通すときは)中立であれ。」とか、実はすごく難易度が高いと思うけど。個人的には「未来を見通すには、その倍、過去に注視せよ。」が好みかな。

あと、個人的には、情報の分類として「フロー」と「ストック」の中間的な形態として、「エコー」って
モノがあるってハナシはちょっとツボだったかな。つまり、流動性とか回転率、新しさとか即時性とかとしての「フロー」と、アーカイヴとしての「ストック」ってのが、まぁ、基本なんだけど、それをコピーするだけの「エコー」自体にも意味が生まれ得る、と。これには、すごく大事な面と、すごく気持ち悪い面の両方が含まれてる気がするけど。

まぁ、そんなわけで、それなりに読み応えがありつつも、読みやすくもあり、でも、期待外れ面もあり、なんか、モヤモヤ感があるのは事実かな。著者に対する印象も、読後も特に変わってないし。『WIRED 日本版』以降のモノから感じてた胡散臭さも増幅こそされても減ることはなかったし。けっこう大きなこととか厳しいこととか言ってるわりに…、みたいな部分も、正直、感じるし(例えば、ギズモード・ジャパンのダサさとか。何だろう? 似たようなことに興味があって、だからビミョーにズレてるところが過剰に気になっちゃうような、近親憎悪って言うのか知らないけど(そもそ近親じゃねぇし)、前に、いわゆるジャジー・ヒップ・ホップについて書いたことに、ちょっと似てる感覚なのかな。まぁ、一見、フランクでありながら、まるで親近感を感じられない文体が好きじゃないだけなのかもしれないけど。

あと、この内容なら、こんな装丁じゃなくて、新書でいいんじゃね? と
も思ったり。なんか、最近、そんなことばっか言ってる気がするけど(中谷巌氏の『資本主義はなぜ自壊したのか』とか)。新書が飽和状態だからなのか、文体的に新書くらいライトじゃないと読まれない(好まれない)のか、新書でいいんじゃね? って本が増えてる気がするのは、なんかイヤな傾向。でも、新書だったら別に全然アリな感じの内容な気がするし

それから、この新世紀メディア論の内容とは直接関わりがないから触れられてなくても当然だけど、ウェブの世界には「逆」もあって、それはそれで、けっこう深刻で、根が深い厄介な問題だよな、なんて思ったりもした。つまり、「ウェブ屋の論理」しか知らないヤツがたくさんいる(のさばってる)、ってこと。本書で小林氏が言ってる、「紙媒体の編集者がそのままウェブ媒体の編集者になれるわけではない」ってのが真実であるのと同様に、「ウェブを作ってるヤツが編集者の資質を持ってるとは限らない(っていうか、圧倒的に不足してる気がする)」ってこと。これはこれで、大きな問題だな、と。
PUBLISH

Oct 24, 2009

So classical. So futuristic.

"4HERO Presents Extensions"

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Various Artists (Raw Canvas

4 ヒーローの主宰するレーベル、ロウ・キャンバスのニュー・リリースは、なんと 4 ヒーローのカヴァー・アルバム。まぁ、「4 ヒーローのカヴァー・アルバム」って言われると、「4 ヒーローがいろんなアーティストの曲をカヴァーしたモノ」みたいに思われそうだけど(しかも、それはそれですごく良さそうだし。これまでにも、ミニー・リパートンの "Les Fleur" とかロイ・エアーズの "2000Black" とか、秀逸なカヴァーが多いんで)、今回はそうではなくて、逆の企画。つまり、「4 ヒーローがカヴァーされる側」で、いろんなアーティストが 4 ヒーローの曲をカヴァーしてる、と。まぁ、それをカヴァーされる側の 4 ヒーローが自らイニシアチブをとって制作してるってのは、この手の企画としてはちょっと珍しいとは思うけど、企画としてはすごく面白い。普通ならリミックス・アルバムになりそうなもんだけど、あえてカヴァー。曰く、「1 ファイルも渡してない」んだと。まぁ、もちろん、企画だけじゃなくて、作品としての出来自体も素晴らしいんだけど。

4 ヒーローは 90 年代の中頃から活躍してるディーゴマーク・マックの 2 人組プロデューサー・ユニット。 90 年代中頃にレイヴ・シーンで生まれたハードコア・ブレイクビーツをジャングル〜ドラムンベースってアート・フォームに昇華させたドラムンベースのパイオニアのひとり。90 年代末頃以降はドラムンベースってフォーマットにこだわらずに、より音楽的でフリー・フォームなサウンドを指向しつつ、それぞれソロとしてもヒップ・ホップやデトロイト・マナーのテクノ、ジャズ、ブロークン・ビーツ等、さまざまなスタイルで優れた作品をコンスタントにリリースしてて、 UK クラブ・ミュージック / UK ブラック・ミュージック・シーンを牽引してきた実力派のアーティストとして日本での評価・人気も高い。

今回のアルバムでカヴァーされてるのは、トーキング・ラウドから 1998 年にリリースされたサード・アルバムの "Two Pages" と 2001 年リリースの 4 作目の "Creating Patterns" の 2 枚と、2007 年にロウ・キャンバスからリリースした 5 作目の "Play with the Changes" に収録されてる曲(厳密には "Universal Love" は、もともとは 1995 年リリースのセカンド・アルバム "Parallel Universe" 収録曲で、"Two Pages" で再演されてる)で、参加アーティストは、ジャザノヴァが主宰するソナー・コレクティヴ・クルーによるソナー・コレクティヴ・オーケストラ、トゥルービー・トリオのメンバーとして知られてるクリスチャン・プロマー、4 ヒーローのアルバムのドラマーで、ホッパー名義でオリジナル作品もリリースしてるルーク・パークハウス、ジャズ系のシーンで人気のリ・ジャズ等、なかなかの実力派揃い。

サウンドは、ストリングスを全面にフィーチャーした流麗でゴージャスなサウンドから、ちょっとフリーキーでディープなフリー・ジャズっぽいアレンジ、さらに映画のスコアを思わせるようなちょっとクラシカルなサウンドまで、全体としてすごく洗練されてて美しい仕上がり。特に、名曲の誉れ高い "Universal Love" とか "Star Chasers" なんて、出来が悪いはずがないとは思いつつも、予想以上の素晴らしい出来映えで(オフィシャル・サイトで全曲視聴可能。YouTube で "Give In" の映像も観れる)。こういうカタチでリアレンジされたモノを聴いてると、個々のトラックのクオリティの高さだけじゃなくて、純粋に楽曲としての素晴らしさもあらためて実感できる。あと、すごくクラシカルなのに、同時にフューチャリスティックな感じもするのが、ちょっと不思議な感じ。もちろん、いい意味で。

ちなみに、4 ヒーロー自身が、実際のプロダクション / レコーディングの現場でもトータル・プロデューサー的な役割を果たしたらしいんで、そういう意味でも、単なるリミックス・アルバムとかカヴァー・アルバムとは一線を画してるって言えるのかな。たぶん、イニシアチブをとってるのはマークだと思うけど。こういう、流麗でゴージャスなアレンジはマークが得意なんで。4 ヒーローって、ダウンタウンみたいなところがあって、それぞれの個性も違ってて、けっこう別々に活動してることが多いんだけど、今回の企画に関しては、完全にマークの仕事っぽいんで。

カヴァーというと、ちょっと前にレヴューした "Tru Thoughts Covers" も良かったけど、この "4HERO Presents Extensions" も相当ヤバイ仕上がり。印象としては、カルロス・ニーノとミゲル・アットウッド・ファーガソンの "Suite For Ma Dukes" に近いかな。そのくらいのクオリティの高さ。"Suite For Ma Dukes" もそうだけど、あくまでも「踊ること」を第一の目的として制作されることが宿命づけられてると言っていいクラブ・ミュージックをベースとして生まれながら、これほど美しくて高い音楽性にまで昇華されるような作品が生まれるようになったってことも、ちょっと感慨深かったりもするし。


SONAR KOLLEKTIV ORCHESTER "Universal Love" (From "4HERO Presents Extensions")









Oct 20, 2009

Still slick enough.

"The Great Adventures of Slick Rick"

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SLICK RICK (Def Jam

ちょっと訳あって最近、聴きまくってる正真正銘のヒップ・ホップ・クラシック、スリック・リックの 1988 年リリースのファースト・アルバム。まぁ、あらためて見てみると、「アートワークがゴキゲンすぎ」とか「オッ、実はアイパッチしてないんじゃん」とか「'スリック・リックの大冒険' ってスゲエタイトルだな」とか、けっこう新鮮だったりするわけだけど、まぁ、何と言っても、サウンド自体がメチャメチャフレッシュ。「エフ・アール・イー・エス・エイチ」とか言いたくなるくらい。

まぁ、スリック・リックのファースト・アルバムって言われてピンとくる人は、よっぽどヒップ・ホップ好きか、それなりの年齢(またはその両方)なんだと思うけど、一応、概要にサラッと触れとくと、スリック・リック(aka ザ・ルーラー)は、実はロンドン生まれで NYC 育ちのラッパー。ダグ・E・フレッシュの 1985 年のヒューマン・ビートボックス・クラシック、"La Di Da Di" に MC リッキー・D 名義でフィーチャされて一躍注目を集めて、そんなノリノリな状況でリリースされたのはこの "The Great Adventures of Slick Rick" だと。プロデューサーは本人とラン・DMC のジャム・マスター・ジェイとボム・スクワッドで、大ネタもアリでゴキゲンなトラックも含めて当時のデフ・ジャムらしいっていうか、第 1 期デフ・ジャム黄金時代(って言っていいのかな?)を代表するアルバムって感じかな。当時、『The Source』誌で 5 本マイクの評価を受けたことでも有名(『The Source』誌のディスク・レヴューは 5 点満点で評価されてて、マイクの数で表現されてたんだけど、5 本マイクってのは滅多に出なかった)。

MC としての特徴は、ユルめのフロウと卓越したリリックで、特にヒップ・ホップ・シーンを代表するストーリーテラーとしての評価は圧倒的に高くて、1 人 2 役とかも自在に駆使した斬新なスタイルが後世のシーンに与えた影響の大きさは計り知れない感じ。その代表格がスヌープだと思うけど、個人的に気に入ってるのはモス・デフとタリブ・クウェリがブラック・スターのアルバム "Mos Def & Talib Kweli are Black Star" で演ってた "Children's Story" かな、やっぱ。

あらためて聴いてみると、ほのぼのしてるというか、牧歌的にすら思えるんだけど、でも、全然ヌルくて聴いてられないとか古くて耐えられないとかってことはなくて、いい意味での時代感は漂いつつも、むしろ、超ファットでフレッシュで。ユルい印象が強かったけど、案外、速めのトラックも入ってたんだなぁとかあらためて発見したり。まぁ、その後、いろいろと波瀾万丈な人生を送っちゃうことになるんだけど、それはそれとして、この "The Great Adventures of Slick Rick" は間違いなくヒップ・ホップ史に燦然と輝くクラシックであることは間違いない。

まぁ、実は、
「ちょっと訳あって」ってのは、名前に引っかかったってことなんだけど。スリック・リックって、語感(とその周辺をそこはかとなく漂う時代感とか空気感みたいなもの)がいいなって。「だって、コイツ、絶対、本名はリックで、'オレは超スリックなリックだぜ' 的な感じだよね」って。そういう、バカっぽさっていうか、オールド・スクールな時代ならではの感じが、なんか、すごくいいな、と。


SLICK RICK "Children's Story" (From "The Great Adventures of Slick Rick")









Oct 18, 2009

Protect ya head.

GIRO Sport Indicator Black

(GIRO) 


前々から「ボチボチかなぁ」って考えてた自転車用ヘルメットを遂に購入。初めてのヘルメットなんで「レヴュー」というほどの蘊蓄は語れないけど、まぁ、感想というか、なんで「ボチボチかなぁ」って考えるようになったかって経緯と、実際に買って / 使ってみて感じたことを。

まず、なんで「ボチボチかなぁ」って考えてたかって部分。これまでにも自転車に関するエントリーで触れてたりするんで、ダブる部分もあるけど、まぁ、簡単に言うと「かなりヤバイなぁ」って感じてるから。しかも、かつてないほどのレベルで。何がヤバイかって、自転車にまつわる状況が。少なくと
東京の都市部に於いては。「危機感」って感じ。

一応、高校のときに買ったマウンテン・バイク(MTB)が初めての「自転車」(キチンと走る自転車、ホントの意味で自転車、って意味で)で、高校にも 20 〜 30 分かけて自転車で通ったりしてた(しかも、地元・横須賀は坂道だらけ)し、東京に住んでからも、10 年くらい前にジャイアントの MTB に乗りだして、都心部での移動(特に深夜)に使うようになって、今はスペシャライズドの MTB をちょっとクロスバイクっぽい仕様にして(って言ってもタイヤをちょっと細めのスリックにしただけだけど)乗ってるんで、それなりに「自転車」歴、特に都市部での移動手段としての「自転車」使用歴はあるつもりだし、それなりに交通ルールとかについても自覚的ではあるつもりだけど、今の状況はかつてないほどヤバイなぁ、って感じるんで。

まぁ、「それなりに交通ルールとかについても自覚的ではあるつもり」とは言っても、そうなってきたのはわりと最近で、正直にカミングアウトしちゃうと、当初は「歩道も車道も走れるし、一方通行も関係ないし、自由(アナーキーって言ってもいい)な感じがたまらん」みたいな気分があったのは事実。自転車は本来、そういう魅力を持ってると思うし。でも、昨今の「自転車ブーム」を見てると、そうも言ってられんな、と。どうしても目立つから、ママチャリとピストっていう両極端な部分に目が行きがちだけど、別にママチャリとピストに責任を押し付けるつもりは全然なくて(確かに目立つし、全然別の理由で、どっちもすごく危険な乗り物だと思うけど)。まぁ、ママチャリは別に最近のハナシじゃないで論外だけど、ピストを筆頭に、相対的に「自転車」の数が増えたことによって、最低限の経験とリテラシーのない「自転車」乗りが急増してることは間違いないし、実際、そういうヤツの危険な場面を目撃する機会もすごく増えたし。

もちろん、自分が事故に遭う危険性って問題もあるけど、それよりもヤバイと思ってるのは、このまま野放しに数がドンドン増えていったところで、何か目立つ大事故でも起きたら、きっと規制が強まるってこと。しかも、自転車に乗ったこともないヤツらが「アンチ自転車目線(≒ドライバー目線)」で作ったトンチンカンな規制が。実際、既に細かいところでアホみたいなことが決められてるし。そうなったら、もう、世も末というか、にっちもさっちもいかなくなっちまうな、と。そうなる前に自転車乗りひとりひとりがちょっと意識を高めないヤバイんじゃないかな、と。

実はヘルメットを被ろうかなって思ったキッカケはそんなことだったりして。つまり、ドライバーやライダー、歩行者へのアピール的な意味合い。ライトに似た感じかな。自転車のライトって、特に都市部で走ってる限り、路面を照らすなんて意味合いよりも、自分の存在をアピールする意味合いのほうが強くて、だからピカピカ点滅したりしてるわけで、それと同じで、ヘルメットを被ってたほうが目立つし、「ちゃんと自転車に乗ろう」って意思表示にもなるから。

実は、10 年くらい前に東京で自転車に乗りだしてから、事故はおろか、まともにコケたこともなくて、自転車で転んだり事故を起こすって感覚は、イマイチリアリティがなかったりするんだけど(幸運にも)、だからって自分は事故んないなんて言えないわけだし、実際、最近、知り合いが、しかもかなりバリバリ自転車に乗ってた知り合いが大きな事故に遭った(不幸中の幸いというか、命は取り留めたんでよかったんだけど)って聞いて、もちろん、それもキッカケのひとつにはなった。まぁ、どっちの意味も含めて、やっぱ被ったほうがいいだろ、と。

そうは言っても、いざ買おうと思ったら、当たり前だけど、何の基礎知識も持ってなくて、ホントに手探りな感じだったんだけど、一応、いろんな店に行って、いろんなメーカーのモノを見たり、被ったりしてみた中で、いくつかの選択肢の中から最終的に選んだのはジロのインディケーターってモデルだった、と。

特に意識してなかったけど、ウェブを見たらジロランス・アームストロングが被ってるヘルメットのブランドで、'LIVE STRONG' のシリーズも出してたりする。 まぁ、そういえば、って感じだけど。どうせだったら'LIVE STRONG' のシリーズのにしてもよかったかな、なんて思ったり。今にして思えば。まぁ、とにかく、そういうアメリカのブランドだ、と。

選択肢を絞る段階でポイントになったのはデザインと値段かな、やっぱ。ジロ以外にも、いくつかあったし。で、決め手になったのは、被り心地っていうか、フィット感みたいなモノ。当たり前だけど、やっぱ一番大事なので。見ての通り、ジロだけでいろんなモデルがあって、値段もけっこう違ってて、実はデザイン的にはインディケーターよりもジロのアトラス 2ベルのトリトンベルのシティ辺りがいいかなって思ってたんだけど、実際に被ってみたら、だいぶ印象が違ってて。

「フィット感」ってのは、店の兄ちゃん曰く、被ってベルトを調整して合わせた状態で、ヘルメットがカタカタ動かないことなんだとか。実はアトラス 2 はちょっとカタついたんで諦めた。まぁ、買うなら試着は必須、いきなりインターネットで買うとかはナシだ、と。まぁ、これは自転車全般に言えることだと思うけど。やっぱり、身体に合わせるモノだから、最終的に買うのがインターネットだとしても、一度はキチンと実物を確認するべきらしい。

あと、気になったのは耳の上の部分がけっこう空いてること。なんか、すごく浅い帽子っぽいっていうか、「被ってる」ってよりも「のっかってる」感じがして。別に不安定なわけではないんだけど。頭がデカイからか? とも思ったんだけど、店の兄ちゃん曰く、そういうモノらしく、確かにいろんな写真を見てもみんなそうなんで、その点は「そういうモノ」だと納得するしかないらしい。

見た目に関しては、まぁ、ブッチャけ、被った印象はどれも違和感ありまくりだったりするんだけど。特に鏡で見たりすると。似合ってるのかどうかの判断もできないくらい。まぁ、そりゃそうだ。言ってみれば、超非日常的な「異物」が頭にのってるんだから。でも、先に結論を言っちゃうと、自転車に乗っちゃうとそれなりに似合うっていうか、違和感はなくなるんで、それほどナーバスになることはないらしい。逆に違和感がある=目立つくらいじゃないとアピールにならないし。ヘルメットっぽく見えないヘルメットもあったりするけど、それも同じ理由でビミョーかな、と。

あと、ヘルメットを被ると隙間(ベンチレーションのために空いてる部分)からボーズ頭が見えちゃうのが変な感じだったんで、薄いビーニーを被った上にヘルメットを被るようにしたんだけど、別にボーズ頭に限らず、冬とか、絶対寒いし、ボーズ頭の場合、夏の汗対策も含めて、何か薄いモノを被ることを想定しといたほうがいいらしい。

実際に被って自転車に乗ってみた感想としては、「全然悪くない」って感じ。重さはどのモデルでも数百グラム程度(インディケーターは 290g)だし、被ってて違和感を感じたりとか、疲れたりする感じは全然ない。あと、グローヴと似たところがあるんだけど、スイッチっていうか、ちょっと気合いが入る側面もあったりして。被ると、「さぁ、行くぞ」的な。こういうのって、もちろん気持ちの問題だし、個人差がある部分だけど、でも、「良い(善い)物(=グッズ / ギア / ツール)」が持つ、実はすごく大事なファンクションだと思うんで。

まぁ、まだ、20 〜 30 分程度の距離しか試してないんで、これから使ってく中で気付くこともいろいろあるとは思うけど、今のところ概ね良好っていうか、思ってた以上に快調な印象かな。


忌野 清志郎 "サイクリング・ブルース" (From "GOD")









Oct 17, 2009

Think global. Act local.

日本のヒップホップ ― 文化グローバリゼーションの <現場>

. :イアン・コンドリー 著
. :上野 俊哉 監訳 田中 東子・山本 敦久 訳NTT 出版

MIT の准教授であるアメリカ人の著者が、日本のヒップ・ホップについて綴った日本文化論。著者は 1995 〜 1997 年(つまり、EAST END x YURI と『今夜はブギー・バック』直後であり、『さんピン CAMP』と「大 LB まつり」が行われた時期ってこと)に日本に滞在し、その後も頻繁に日本を訪れて、レコーディング・スタジオやクラブなどに足繁く通い、インタヴューを行い、それを基に、あくまでもアメリカ人の客観的な目線で考察してる、という内容。もともとは 1999 年に博士号申請論文として書かれたモノで、それをベースに修正・加筆された英語版 "Hip-hop Japan: Rap and the Paths of Cultural Globalization" が 2006 年に出版された。こ
日本のヒップホップはその訳書で、発売されたのは今年の春頃だったかな? 発売時から気にはなってたんで、ちょっと楽しみにしながら読んでみた、と。

まぁ、先に感想をザックリと言っちゃうと、「新鮮な驚き」と「違和感」
と「共感」がそれぞれ 1/3 ずつって感じかな。特に、1995 〜 1997 年と、それ以降の時期っていうと、個人的にも、公私ともに(まだ「私」が多かったかな)日本のヒップ・ホップ・シーンにけっこう足を踏み入れてた時期なんで(それこそ、著者と何度もニアミスしてるはず)、わりとリアリティがあるっていうか、実感を持って読めちゃう時期のドキュメントって感じでもあったりするんで、だからこそ、よけいにそう感じちゃうのかもしれないけど。3 つの面、どちらに関しても。

「新鮮な驚き」ってのは、「へぇ、そんな風に見えるんだぁ」って側面。単純に、外から、ヒップ・ホップ・の母国で生まれた人間の目・耳には、文化論を研究してる人間の目・耳には、「こんな風に見える・聞こえるんだぁ」って、けっこう素直に新鮮だったりする部分。その中に足を踏み入れてる日本人にだからこそ、気付きにくいことも多いんで。外から見ないと気付きにくいことってけっこうあるし、実は結構重要だったりするし。例えば、キューティズモのハナシとか、個人的にはけっこう面白かったりして。

そして、そこには、同時に、「へぇ、そこがツボか!?」みたいな部分があったりもする。それが「違和感」にもつながるんだけど。インパクトというか、重要度というか、そういうポイントみたいなモノがけっこう違ってる感じがして。ブッチャけた言い方をすると、それほど大したトピックじゃないことを、まるで日本のヒップ・ホップを象徴する出来事であるかのように取り上げてるように思える部分がけっこうあったり。まぁ、もちろん、著者自身はそう考えたからそういう取り上げ方をしたんだろうけど、正直言うと、ちょっと違和感というか、ズレみたいなモノは感じるかな。「もっと他に取り上げるトピックがあっただろ?」とか思ったりもするし。

そうは言っても、別に全篇的外れって意味では全然なくて、「共感」を抱く部分もたくさんある。やっぱり、同じヒップ・ホップを愛する者同士のシンパシーというか、同じグルーヴ感というか、暗黙のコンセンサスみたいなモノはもちろん感じられる(つまり、ライムスターの『B-BOY イズム』が言うところの「イビツに歪むオレイズムのイビツこそ自らと気付く」部分ってこと。
『B-BOY イズム』に関しては、これこれヤバイ)。それが、著者も文中で何度も触れてるけど、ヒップ・ホップっていうカルチャーの持つグローバルな力、文化のグローバリゼーション的な力、著者の言葉を借りれば「ディズニーやマクドナルドとは違う、下からのグローバリゼーション」ってことになるんだと思うけど。そして、そこには、同時に、すごくローカルな側面もある、と。それを突き詰めると、奇しくも著者が、日本のアーティストたちがインタヴュー等で異口同音に使う、日本のヒップ・ホップ・シーンを象徴する言葉として興味を持ち、タイトルにまで使ってる「現場」って言葉につながってる部分だと思うんだけど。まぁ、インターネットの時代ではあっても、「現場」に漂う空気感とか、「現場」で生まれるグルーヴ感みたいなモノが本当のダイナミズムを生み出してるんだって事実は何も変わってないんだと思うし、著者もそれに気付いてたからこそ、「現場」にこだわった(原著でも 'genba' って使い方をしてるらしい)んだろうし、だからこそ信頼できる内容になってるんだと思うし。

まぁ、この手の議論は、アメリカ以外のヒップ・ホップ・シーンでは避けられない問題だったりもするし、ヒップ・ホップに限らず、どんな文化にでも常にある問題で、そういうのがあるからこそ面白いって側面が多分にあるわけで。「違い」こそが面白さを生み出す源泉なわけで、「違い」を許容しないグローバリゼーションなんて面白くも何ともないわけで。

そういう意味で
も、外国人、それもヒップ・ホップの母国の人間が日本のヒップ・ホップに興味を持って、こういうカタチで研究して、書籍としてヒップ・ホップの母国で発表されて、さらにそれが翻訳されて日本で発表されるってこと自体、すごく意味があることだし、計らず日本のヒップ・ホップがそれに値する文化的価値を持ったカタチで発展してきたってことなんだとも言えると思うし。そう考えると、「新鮮な驚き」と「違和感」と「共感」が 1/3 って、実は適切というか、絶妙なバランスなのかな、とも思えるし。

まぁ、日本のヒップ・ホップに関しては、日本でも「聴く人」と「聴かない人」の間に大きなギャップがあって、そこには日本人特有の歪んだ先入観とコンプレックスとあって、でも、同時に、そういうことにまったく気付かずに上っ面だけを何の衒いもなく「それらしく」借用して消費する(まぁ、実際には「それらしく」ってレベルにも達してないんだけど)ことを恥じないのもまた日本人特有の現象だったりするんだけど、だからこそ、この日本のヒップホップ』みたいな本に意味があるのかな、とも思えるわけで。まぁ、一言で言っちゃうと「耳ヲ貸スベキ」だろ、ってことなんだけど。


RHYMESTER "B-BOY イズム" (From 『リスペクト』)







Oct 15, 2009

Wild style.

野性の実践

. :ゲーリー・スナイダー 著
. :原 成吉重松 宗育 訳(山と溪谷社) ★★

今日はブログ・アクション・デイ '09(Blog Action Day '09)で、今年のテーマは 'Climate Change' ってことなので
、それに合わせたエントリーを。で、何をピックアップしようかなって考えた中で、一番相応しいというか、個人的に一番シックリくるのはゲーリー・スナイダーのこのクラシックかな、と。

個人的には 'Climate Change' ってテーマ自体、なかなか難易度が高いっていうか、個人的には「一筋縄ではいかない」って印象があるテーマって気がしてて。まぁ、翻訳すると「気候変動」ってことになるんだろうけど、「気候変動」とか、その原因だと言われてる「温暖化ガス(CO2)削減」とか、ちょっと、頭から信用しちゃって平気? みたいなところもあったりして。そんなに簡単にわかったり、割り切れたりする話じゃないと思うんだけど、なんか、その議論抜きで「前提」になっちゃってて、あたかも「それだけやっとけば OK」的な風潮になってる感じにはちょっと違和感があって。ホントにそうなのか? ってのはキチンと議論・検証されるべきだし、決してそれだけで OK なんて話じゃないはずだし。

まぁ、もちろん、アンチ・エコロジーなわけでは全然なくて、むしろ、すごく興味がある話ではあるんだけど、だからこそ、本来、すごく複雑で多岐にわたるはずの「環境問題」とか「エコロジー」とかが、「気候変動」とか「温暖化ガス(CO2)削減」とかに単純化して、CO2 だけを悪者にしてる(ような)風潮に違和感がある、って感じかな。

そうは言っても、ブログ・アクション・デイ '09テーマは 'Climate Change' ってことなので、そのイメージにシックリくるのはなんだろう? って考えると、百年の愚行』とか『不都合な真実』 もアリかなと思ったけどやっぱゲーリー・スナイダーだろ、と。個人的には。「環境問題」だけじゃなく、それを含んだもっと大きな話なんで。

この野性の実践』はゲーリー・スナイダーが 1990 年に発表したエッセイ集 "The Practice of the Wild" の邦訳で、手元に持ってるのは 1994 年に東京書籍から出版されたモノなんだけど、上の写真は 2000 年に山と溪谷社から出版された改訂版。こちらのほうが手に入りやすそうなので。かなり前にレヴューした『惑星の未来を想像する者たちへ』はこの野性の実践』の続編的な作品ってことになるのかな。まぁ、惑星の未来を想像する者たちへ』と並んで、ゲーリー・スナイダーの思想とか世界観がすごくわかる一冊であることは間違いない。

ゲーリー・スナイダージャック・ケルアックの『ザ・ダルマ・バムズ』 のジャフィーのモデルとなったことで知られるオリジナル・ヒートニクスのひとり。ケルアックとかギンズバーグとかバロウズとか、多くのビートニクスが激しく、早急に人生を駆け抜けた印象なのに対して(若いうちはそういう生き方のほうがグッときちゃいがちだったりもするし)、スナイダーは静かに、でも力強く、一貫した姿勢で創作活動を行い、ライフスタイルを提案してきたオリジナル・ヒートニクスの数少ない生き残りのひとりで、正真正銘のリヴィング・レジェンド。1974 年に発表した代表的な詩集『亀の島』("Turtle Island")ではピューリッツアー賞を受賞してて、今はビート〜ヒッピー的な流れをルーツにしつつ、もっと広くて深いネイチャー・ライティングとかディープ・エコロジーとかって呼ばれるような作品を発表してる。

ここで唱えられてる考えのベースにあるのは仏教 / 禅なんだけど、それは宗教というより
も自然観とか人生観って肌触り。そこにはネィティブ・アメリカンの土着の思想とかアニミズムとかコスモポリタニズムなんかも含まれてて、ゲーリー・スナイダーならではの、さまざまな叡智を活かしながら自然と共生していくライフスタイルが提唱されてる感じ(彼はそれを実戦してる)。

特に、タイトルにもなってる通り、「野性(the wild)」ってのが大きなテーマになってるんだけど、「野性」ってのは、カタカナで書く「ワイルド」って言葉が持ってるような、ただ荒くれてるような感じか、無闇に原始的な感じではなくて、荒々しさも含みつつも、静かでもあり、大きくて深いイメージ。何だろう? 生きていくための「素の足場」みたいなことなのかな? そういう「野性」を再認識して、実戦することこそ、「環境」って「野性」の中で、自ら「野性」して生きていくことに関する問題=ホントの意味での「環境問題」なのかな、なんて思ったりするし。あと、やっぱり、「実践(the practice)」、もちろん、超大事。いろんな意味ですごく示唆に富んでるし、

今回は
ブログ・アクション・デイ '09 にかこつけてピックアップしてみたけど、『惑星の未来を想像する者たちへ並ぶパーソナル・クラシックな一冊であることは間違いない。別に最近読んだってわけじゃないけど、まぁ、いつ読んでいい本だし、今の時代に対する示唆に富んだ一冊でもあるし。まさにクラシックの名に相応しいな、と。