『ブラジリアン バーリトゥード』 伊賀 孝 訳
(情報センター出版局) ★★★★☆ Link(s): Amazon.co.jp
表紙の写真があまりにも素晴らしいかったので、中身をよく確認せずに買ってみた一冊。それもそのはず、著者はカメラマンで、中で使われてる写真も素晴らしいし、とても見応え / 読み応えのある「格闘技をめぐるブラジル紀行」です。
内容は、自らも格闘技経験者(というか、現在もやっているらしい)というカメラマンの著者が、リオ・デ・ジャネイロを訪れ、ルタ・リーブリのトップ・ファイターのひとりである "ペケーニョ"・ノゲイラと 2 ヶ月間、寝食を共にしながら見たものを写真に収め、聞いたこと・感じたことを文字で綴った一冊。いくつかのルタ・リーブリの道場を中心に、ブラジリアン・トップ・チームやシュート・ボクセといったメジャーどころまで、道場に足を運び、体感し、それを切り取ってる。実際に "ペケーニョ" の家に住み込んでたらしく、文字通り「寝食」を共にして、「懐に飛び込んだ」からこそ撮れた写真と書けた文章からは、息づかいまで伝わってくるような感じがする。文章に関しては、決して技巧的に優れているわけではないと思うけど、格闘技の描写はさすがに経験者のものだし、ベネズエラのエピソードとかも含めて、ライトで面白いので、どんどん読ませてくれる。あと、やっぱり写真がとにかく素晴らしい。臨場感があって、美しい。
ブラジルと言えば「素晴らしい音楽と素晴らしいフットボーラーと素晴らしい格闘家を輩出し続けてきた国」なわけで、実際に日本でも多くのブラジル人格闘家の試合を観ることができるんだけど、「点」としての情報はピンポイントで伝わってくるわりに、どうしても実情というか、リアルな状況が見えてこない(音楽・サッカーについても同じことがいえるけど、格闘技のほうがその傾向が強い)。そういう部分が垣間見え、感じられるという意味でも、とても貴重だとも言える。
タイトルになってる「バーリ・トゥード(Vale Tudo)」とは、ポルトガル語で「すべてが有効」という意味で、日本で言う「総合格闘技」・「MMA(Mixed Martial Arts)」に該当する言葉。ブラジルにはトップ・ファイターがたくさんいるんだけど、どういう風にその土壌が育まれてきたかは、専門誌やウェブサイトなどでマメに情報収集しているならともかく、年に数回開催される大きな大会(≒イベント)をベースに観ているだけだとなかなか伝わってこない。グレイシー一族に代表されるブラジリアン柔術(Brazilian jiu-jitsu / BJJ)はよく知られてるけど、ブラジル人格闘家の寝技の技術が全部 BJJ ベースかっていうと、そんなことはない。もうひとつの大きな潮流が本書の「主人公」でもある "ペケーニョ" がベースにしている「ルタ・リーブリ(Luta Livre)」。'luta' は「闘い」・'livre' は「自由に・無制限に」って意味で、言葉だけだとバール・トゥードとの違いがわかりにくいけど、そのスタイルはグレコローマン・スタイル・レスリングに腕・足の関節技・絞め技を加えたもの。ヨーロッパ系のグラップリング・スタイルで、道着は着用しない。実際の技術に関しては BJJ とそれほど大きな違いはないらしく、BJJ には道着を使った独特のテクニックが多く、ルタ・リーブリにはチョーク系の技が多いくらいしか違いはないみたいなんだけど、そのルーツは明らかに異なってる。そして、その社会的な背景も大きく違うらしく、簡単に言うと「上級階級= BJJ / 労働者階級=ルタ・リーブリ」(ルタ・リーブリには道着すら要らないから、コストがかからない)。長い間、互いに諍いが絶えなかったらしい。近年のバーリ・トゥードとの絡みなんかも含めたその辺の事情とかにはとても興味があるんで、そのあたりの空気感が実感を伴ったニュアンスとして感じられるところはすごく面白い。
まぁ、欲を言えば、もっと深い取材というか、歴史とかも含めてもうちょっと体系的にまとめてくれてたらもっと良かったかなぁ。まぁ、著者はジャーナリスト / ライターではないし、取材対象との距離感とか取材スタイルを考えても、そういうものにはなりにくいのはわかるし、そうしなかったからこそ、懐に飛び込んでいけて、懐に飛び込んだからこそ、こういう空気感が感じられて、伝えられたんだろうとも思うけど。
考えてみると、キチンとルーツがありつつも、いろんな要素がナチュラルに融合されて独特のスタイルとして結実し、それがとても魅力的なモノになって世界中を魅了してるバーリ・トゥードのハイブリッドなスタイルって、ある意味でブラジルそのものだな、と思う。ブラジル人の人種構成自体もそうだし、音楽にしても、サッカーにしても、ライフスタイルにしても、あの風土の中でそういう風に育んだものが、他の国とは違う、ブラジルならではのものになっていくんだろうな、と。
総合格闘技自体、とても新しい競技で、他のスポーツには当たり前に存在する(確立されてる)「セオリー」みたいなものがまだまだあまり存在しない。最強を誇ったグレイシー一族が簡単に勝てなくなったのもそうだし、マウントが絶対的有利じゃなくなったのもそう。あるスタイルが一世を風靡すると、それに対する対抗策が考えられてすぐに広まり、絶対ではなくなる。その繰り返しが世界中で行われてて、そのスピードがものすごく速いのが総合格闘技の面白さなんだけど、そういう試行錯誤のプロセスの中で、ブラジル人の見せるハイブリッドな美しさは、フィジカルの面でもテクニックの面でもメンタルの面でもとても独特で、だから世界を魅了してやまないんだろうな、なんてことを感じる。
あと、個人的な感想としては、2 ヶ月も家に泊めてくれて、いろいろ連れ回してくれちゃう "ペケーニョ" の感じが、すごくよくわかる。ブラジルに行った時のブラジル人の友だちもそうだったから。こういうおおらかさっていうか、優しさっていうか、そういうのがブラジル人にはある。わざわざ日本から来てるんだから、って。こっちが気を使って遠慮すると、逆に悲しそうな顔をされちゃう感じ。遠慮しないで飛び込んじゃっていいらしい。こういう感覚って、日本にはない(昔はあったのかもしれないし、田舎に行けばあるのかもしれないけど)。
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