2008/11/03

The strong family.

『すべては敬愛するエリオのために ― グレイシー一族の真実』
 近藤 隆夫 著(毎日コミュニケーションズ
 Link(s): Amazon.co.jp
 
前のエントリーの『ブラジリアン バーリトゥード』に続いて、ブラジル格闘技モノを。ブラジリアン バーリトゥード』が、ルタ・リーブリを中心としつつ、主にブラジリアン柔術(Brazilian jiu-jitsu / BJJ)以外の部分をメインにしていたのに対し、本書は元『ゴング格闘技』編集長の著者が BJJ の総本山とも言うべきグレイシー一族に密着して綴った一冊で、サブタイトル通り、「グレイシー一族の真実」といった内容になってる。

そもそも BJJ(またはグレイシー柔術)とは何なのか? 「柔術」って言うくらいだから、そのルーツは日本古来の武術にあることは間違いではないんだけど、その「日本古来の柔術」と BJJ はどういう関係性にあるのか、柔道や合気道との関連性はどのような感じなのか等々、考えてみると、なんとなく知ってるようで、実はよくわかってない部分だったりする。もちろん、柔道と柔術は同じではないし、柔術と BJJ、BJJ とグレイシー柔術も同義語ではない。本書はその辺に言及することを目的としているわけではないけど、グレイシー一族の真実」を紐解く上で避けられない部分でもあるわけで、物語は当然、グレイシー一族が柔術と出会うところから始まる。

 「コンデ・コマ」こと講道館柔道の前田光世が世界武者修行の末に辿り着いたのはアマゾンの河口にある港町、ベレン。そのベレンに、祖父・ジョルジの代から住んでいたのがガスタオン。前田と知り合ったガスタオンが、息子に格闘技を教え、息子を鍛えて欲しい、と前田に頼んだことがそもそもの始まりだった。ガスタオンの息子、カーロスは前田のもとで熱心に柔術を学び、前田のもとを離れてリオ・デ・ジャネイロに移り住んだ後も熱心に練習に取り組み、仲間にも柔術を教えるようになる。その様子を熱心に見つめ、参加こそしてなかったものの、柔術を熱心に学んでいたのがカーロスの弟で、身体が細く虚弱体質だったエリオ・グレイシー。本書のタイトルの「エリオ」であり、グレイシー柔術の創始者として知られる人物だ。

ここでポイントになるのは、前田光世から教えを受けたのはカーロスであり、エリオ自身はベレンにいた当時は幼少で、「会ったことがあるかもしれないけど、覚えていない」ということ。特に、現在のグレイシー柔術の技術は、力の弱かったエリオが生み出した、テコの原理とポジショニングを活かしたモノがベースになっていることを考えると、グレイシー柔術というモノが何なのか、一言では簡単に片付けられないし、そういうモノとして捉えるのが正しい。つまり、日本古来のモノ(の亜流)なのか、ブラジル産(=グレイシー一族オリジナル)のモノなのかなんて議論は意味がないってこと。だって、前田光世がカーロスに教えなければグレイシー柔術なかったわけだし、同時に、グレイシー一族に伝わらなければ、今のグレイシー柔術はなかったわけだし。

個人的には、グレイシー柔術が総合格闘技の世界に「黒船」として旋風を起こしてた頃は、実はあまり日本人格闘家に感情移入してなくて、むしろ地味だけど渋くて上手いグレイシー柔術にメチャメチャ魅力を感じたから、グレイシー一族をヒールに仕立てて偏屈な愛国心を煽るような日本のメディアの論調にはかなり違和感を感じてたんだけど、グレイシー一族に関しては、なかなか実体が掴みにくいというか、神秘のベールに包まれてたのもまた事実(伝わる情報が断片的なことやイメージをいいことに、メディアはそれを上手く利用してただけだと思うけど)。その辺の部分を補ってくれる資料として、グレイシー一族に密着して綴られた本書の価値がある。

読んで強く感じるのは、グレイシー柔術というのは、何よりもまず「武術」であり「武道」であるということ。スポーツであり、興行である以上、もちろんビジネスでもあるけど、それ以前に武道であり、武道として守るべき部分は何としてでも守るという想い。兄弟の中でその表れ方に個人差はあるけど、一族に貫かれているのはそういう精神だな、と。そういった信念を、別の価値観の人間がその違いに気付かずに比較したり非難するなんてナンセンス以外の何物でもない。できるのは、その違いを知り、理解し、歩み寄れる(少なくともその努力をしている)
かどうか、ってことでしかない。それを良しとするか、認めないかは個人の価値観の問題でしかないわけで、そんなものとは別の次元で、こういうモノを持ち、一族で守っていこうとしているってこと自体、とても尊いものだし、これこそがグレイシー柔術をグレイシー柔術たらしめてる最大の理由だろうし、最大の魅力なんだろうな、と。

もちろん、技術的な意味でもグレイシー柔術が総合格闘技に及ぼした功績の大きさは誰も無視できない。日進月歩の総合格闘技の世界で、今でもグレイシー柔術が間違いなく最強だなんて言うことはできないけど、総合格闘技の歴史を「グレイシー以前」「グレイシー以後」って時代を分けられるくらい、そのインパクトが大きいのは間違いない。ただ、グレイシー柔術は、単に格闘技の歴史の中の一現象として捉えるだけじゃ不十分だし、もったいない。それだけじゃなくて、それこそ思想とかアートとか音楽とかファッションとかと同じように、ひとつの文化の成立の仕方というか、そういう大きな枠で文化を考える上でも、すごく興味深い事例だと思うし、もっと評価・研究されるべきものだと思う。

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