2011/01/18

Hip as hip can.

ヒップ - アメリカにおけるかっこよさの系譜学』
 ジョン・リーランド 著 篠儀 直子 / 松井 領明 訳

(P-Vine BOOKs)  Link(s): Amazon.co.jp / Rakuten Books

去年の夏頃に訳書が出版されて、気にはなってたんだけど読めてなかった一冊。年末から年始にかけてっていう、ある種、1 年で最も読書に適した時期に読んでみた。

内容的には、サブ・タイトルにある通り、'ヒップ' っていう感覚がどういうモノで、どういうカタチで育まれて、どう変化して、現在のカルチャーにどんな影響を影響を与えてきたかについてディープに論じた著作。ページ数的にも情報量的にも内容的にも、かなり読み応えがある。

著者は、ヒップについて「元ヨーロッパ人と元アフリカ人が、この国で交わり踊った複雑なダンス」と語っている。'カッコイイ' って意味で使われてる 'ヒップ' っていう言葉が、どのように生まれて、どういう人・アティテュード・モノ等に対して使われてきたのかを知ることは、即ち、アメリカって国のことを他ならないってことを、とても端的に表してる。

ヒップの一方の担い手であるアフロ・アメリカンの歴史を奴隷制まで遡ってカバーしつつ、もう一方では、マーク・トウェインの『ハックル・ベリーの冒険』からヘンリー・ソロー、さらにビートニクスなどへ繋がるヨーロッパ系アメリカ人のカルチャーにも触れながら、それらがそれぞれどのような特徴を持ち、お互いにどう作用しながら、'ヒップ' という感覚を生み出していったのか、歴史・人種・宗教・社会・音楽・アート・映画・文学・ファッション・広告・ビジネス・犯罪・ジェンダーなどといった幅広いフィールドを縦横無尽に行き来しながら、多角的にまとめられている。

まぁ、ジャズだったりビートニクスだったりヒッピーだったりソウル / ファンクだったりってのは、わりとすんなりイメージしやすいし、その辺りについては比較的語られることも多かったけど、個人的にわりとグッときたのは、文化的・社会的にもっとも熱く、故に語られることの多い 1960 〜 1970 年代で終わるのではなく、その後も動き、具体的にはヒップ・ホップ(もちろん、音楽だけでなくグラフィティなども含めて)だったり、ハッカー・カルチャー〜インターネット時代まで網羅されてること。もちろん、そうした動きは最近のモノだし、いろいろなところで語られてるけど、こういう大きな歴史の流れの中でキチンと捉えられていることにはすごく意味があるし、見え方とか意義もかなり違ってくるし。この辺をトータルな流れの中で租借できるセンスはすごく面白いし、ちょっと見習いたい感じ。

まぁ、細かい点を挙げ始めたらキリがないし、それこそ 'ヒップ' じゃないからやめるけど、'ヒップ' っていう、抽象的で言語化しにくい感覚を幅広く、さまざまな方向から語りつつ(特定のジャンルのハナシに偏ってないので、わりとどんな人でも取っ掛かりは見つけやすいのでは?)、同時にディープで、なおかつ一定以上の 'ヒップさ' を保っているのはなかなか見事。そこかしこにインスピレーション溢れるパンチラインも満載だし。とかく、ライトに簡単にすぐ読める的な安直なモノがもてはやされがちな昨今だけど(だからこそ?)、こういう本の存在はありがたいし、むしろ、時間をかけてじっくりと味わいたくなる。
HIP

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