『アントニオ・カルロス・ジョビン ー ボサノヴァを創った男』
エレーナ・ジョビン 著 国安 真奈 訳(音楽之友社) ★★★☆☆
ちょっと前にレビューした『ボサノヴァの歴史』に続いて、ボサ・ノヴァの勉強の一環としてジョビンの自伝を。原書は 1996 年発行の "ANTÔNIO CARLOS JOBIM: um homem iluminado"、訳書の発売はボサ・ノヴァ生誕 40 周年だった 1998 年で、著者は名前からもわかるようにジョビンの実妹。ジョビン家の祖先の話から始まって、ボサ・ノヴァの誕生、アメリカ〜世界への進出、そして死まで、パーソナルなエピソードや家族の話など、身内じゃなければ決して書けない内容で、もちろん、身内ならではのヌルさというか、身びいきみたいな部分も感じなくはないし、ダーク・サイドとか下世話なハナシは少なかったりするんで、それはそれで気にはなるけど、まぁ、それを差し引いても、ジョビンの音楽性を深く知る上でも、人間性を知る上でも、ボサ・ノヴァのことを知る上でも、とても興味深い一冊になっている。
ジョビンって言えば、本書のサブ・タイトルにもなってる通り、ジョアン・ジルベルトと並んで、言わずと知れた「ボサ・ノヴァの生みの親」のひとりなわけだけど、その功績はボサ・ノヴァって枠に収まるものではなく、20 世紀のブラジル音楽史を代表するコンポーザーと呼ぶに相応しい存在であると同時に、アメリカのジャズ・シーンへの窓口となって、世界にボサ・ノヴァを広めた立役者だと思うので、ボサ・ノヴァがアメリカで人気を博し、広まってく様子に関する部分の記述はなかなか興味深い。いろんな意味で。例えば、アメリカ(のジャズ界)での受け入れられ方(特に英詞)にいかにジョビンが困惑してたかとか、出版権等のビジネスの話とか、当時の音楽シーンの状況とか、アメリカで人気が出たことに対するブラジル国内の反応とか。なかなか切実で、一筋縄ではいかない部分を巡るジョビンの気持ちの部分をつぶさに描いてるあたりはさすがに近くにいた身内だからこそ書けた部分だな、と。
あと、本文ではないんだけど、ジャズ・ピアニストの山下洋輔氏による解説(って明記されてるわけじゃないけど、解説的な性質の文章)が、ジョビンについて、ボサ・ノヴァについて、ジャズとボサ・ノヴァの関係について的確に考察しててすごく面白かったりする。山下氏も同席してた(隣に座ってた)ヴァーヴ・レーベルの設立 50 周年を祝うカーネギー・ホルでのコンサートの前日の合同記者会見での席で、「ボナ・ノヴァがジャズから影響を受けた」と語らせようと執拗に繰り返される誘導尋問に戸惑うジョビンの姿を想起しつつ、傲慢で、ある種、ありがた迷惑ですらあるジャズからボサ・ノヴァ / ジョビンに対する態度(そして、それが世界に広めた大いなる誤解)とジョビンが抱いてた困惑、ジャズのボサ・ノヴァの本当の関係、そしてジョビンの音楽の本質について、ミュージシャンだからこそできるような、なかなか面白い論考で語ってて。『ボサノヴァの歴史』のレヴューでもちょっと書いた通り、ボサ・ノヴァはすごくいろんな部分で誤解されてて、それが変な先入観を生み出してる気がするんだけど、その誤解の大きなモノのひとつがジャズとの関係だと思ってたんだけど、この山下氏の解説は、その部分についてわりとスッキリと整理してくれてるかも。
まぁ、そうは言っても、別にジャズとボサ・ノヴァが無関係であるわけでも、悪い関係にあるわけでもなくて、実際、アメリカのジャズの文脈でたくさんの優れた作品が作られてて、その代表格がジョビンだったりするのも事実なわけで。個人的には、特に一連の CTI からリリースした作品、例えば "Wave" とか "Tide" とか "Stone Flower" とかはすごく好きだったりするし。ただ、どういう背景でそういうことになったのかは、キチンと理解しとかないと、やっぱり誤解されて伝わっちゃうし、それは誰にとってもいいことじゃないとは思うんで。そう意味では、山下氏も指摘してる通り、"Getz/Gilberto" と "The Composer of Desafinado Plays" に対する反応、特にその代表的な例として本書内でも紹介されてるセロニアス・モンクの「ボサ・ノヴァはニュー・ヨークのインテリたちの音楽、ジャズに欠けていたものをもたらした。それは、リズム、スイング、そしてラテンの情熱だ」って発言は興味深い。この発言があった 1963 〜 1964 年当時のニュー・ヨークってのは、オーネット・コールマンが既にフリー・ジャズへの動きを見せ始めてたし、セシル・テイラーも登場してたし、マイルス・デイヴィスはハービー・ハンコック、トニー・ウィリアムス、ロン・カーターっていう強烈なメンツを従えてバリバリ吹きまくってた時期。ボサ・ノヴァに賛辞を寄せてたのはモンクとかジェリー・マリガンとかで、マリガンは「ボサ・ノヴァのハーモニーは完璧で、音楽は高度に洗練されている」って語ってるらしいんだけど、彼らがニュー・ヨークのジャズ・シーンの「熱い」動きを快く思ってなかったであろう事情とかも考えると、なかなか一筋縄ではいかないような、いろんな思惑が絡んでるなぁ、と。
ボサ・ノヴァは制御された陶酔だね。音の節約、ゲリラ戦ってとこだ…。これは晩年にボサ・ノヴァについて語ったジョビンの発言なんだけど、この言葉はさすがに生みの親っていうか、個人的にはすごくシックリきちゃった。『ボサノヴァの歴史』のレヴューでも、「あんなに静かでシンプルな中に、オリジナリティ溢れるメロディとリズム(バチーダって書くべきかな)とハーモニーと奏法と歌唱法とサウンドが全部込められ てて、しかも歌があってもなくても成立して(どっちかが主って感じじゃなく)、だからこそいろんなカタチに変化・応用可能で、シンプルであるが故に幅が広く、奥が深い、かなりドープなミニマル・ミュージックって印象」「あんな顔(どんな顔だ?)して、実はけっこうブッ飛んじゃってるヤツな気がする、ボサ・ノヴァってヤツは。ただのオシャレさんだと思ってる(誤解してる)なんて、たぶん、もったいなさすぎ。」って書いたけど、まさにそれを裏付けてもらった感じがして。まぁ、「制御された陶酔」のほうが簡潔でいい表現だけど。
あと、エコロジーなんて言葉がなかった頃から一貫してエコロジストだったってハナシも個人的には興味深かった。曰く、森の中で耳を澄ませていると音楽が出来上がったカタチで、曲が丸々聴こえてきたんだとか。しかも、幼少時から。そういう幼児体験があってこそなんだろうけど、音楽と自然の関係って、なんかビミョーに不自然だったりすることが多かったりしがちなんだけど、その辺の不自然さを解くとっかかりというか、ヒントみたいなモノがあるのかも? なんてことも思ったり。
ANTÔNIO CARLOS JOBIM "Wave" (From "Wave")
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