クリストファー・マクドゥーガル 著 近藤 隆文 訳
(日本放送出版協会)★★★★★ Link(s): Amazon.co.jp / Rakuten Books
前々からいろいろなところで話題になってて、すごく気になってた一冊をやっと読めた。先に結論を言っちゃうと、なんとも不思議で、とてもブッ飛んでて、メチャメチャ面白い一冊。
原書は 2009 年に出版された "Born to Run: A Hidden Tribe, Superathletes, and the Greatest Race the World Has Never Seen" で、アメリカでも出版後すぐにベストセラーになったらしいんだけど、まぁ、それも納得の面白さかな。
内容的には、史上最強の '走る民族' と言われるタラウマラ(Tamahumara)族の秘術を巡るハナシ、ランニング・シューズと人間の足の関係を巡る科学的なハナシ、タラウマラ族と世界のウルトラランナーたちがメキシコの荒野で激突するレースのハナシの 3 つが混在してて、まるで小説のように感じられる部分もありつつ、ルポタージュでもありつつ、ランニングの指南書的な側面もありつつ、なんとも不思議なテンションで綴られてる印象。あまり似たような感触の本を読んだことがない感じ。
面白いポイントはいろいろあるんだけど、例えば、アメリカ社会に於けるランニング・ブームの考察で、曰く、社会(≒国家)が危機的な状況にあるとランニングがブームになるんだとか。最初のブームは大恐慌時代で、次が 70 年代前半のベトナム戦争・冷戦・人種問題・大統領の犯罪・愛された指導者の暗殺、そして、2001 年 9 月 11 日以降。2001 年以降の時期が、昨今のトレイル・ランニングやウルトラ・ランニングの急成長が当てはまるんだけど、これは、現在の日本のランニング・ブームについて考える上でも、なかなか興味深いポイントだったりする。プリミティヴな欲求なのか、サバイバル的な危機感の表れなのか、何が理由なのかは解らないけど、現象としてはかなり面白い。
これは嘘っぽくて誰にも話したことがないんだけど、ウルトラを走りはじめたのはもっといい人間になるためなの。100 マイル走れたら禅の境地にたっするんじゃないかと思ってた。ものすごいブッダになって、世界に平和と笑顔をもたらすの。わたしの場合はうまくいってない ー 相変わらず役立たずだから ー けど、自分がなりたい人間に、もっといい、もっと平和な人間になれるって望みはいつもある。
長い距離を走っていると、人生で大切なのは最後まで走りきることだけって気がしてくる。そのときだけは、わたしの頭もずっとこんがらがったりとかしていない。なにもかも静まりかえって、あるのは純粋な流れだけになる、わたしと動作とその動きだけ。それがわたしが愛するもの ー ただ野蛮人になって、森を走ることがね。
これは、本書の登場人物、かなりブッ飛んだ女性ランナーの台詞。ランス・アームストロングを現代のビートニクスだと言い、サーフィンを愛するヒッピー風の若きトレイルランナーなんだけど、こういう視点って、なんか、すごく新鮮。トレッキングなんかでも言えることなんだけど、日本ではやたらと打算的なことか、安直なで安っぽい '癒し' みたいなところばかりしか取り上げられなかったりして、それが個人的にはすごく違和感を感じてたんで。なんか、ちょっと、今まで見えてなかったモノがパッと見えたような。
もちろん、ランニング・シューズと人間の足の関係を巡る科学的なハナシも興味深いし、無視できない。だって、「ランニング・シューズが高性能化したことで、ランナーの負傷が増えた」っていう、相当ラディカルで、でも、言われてみると一理あると思わざるを得ないハナシなんで。例えば、こんな言葉が綴られてる。
- 自社の長距離走用シューズを履けば、筋骨格系ランイング障害のリスクが減ると言い切れるランニング・シューズ・メーカーがあるだろうか?
- 自社のランニング・シューズを履けば、長距離走の成績が向上すると言い切れるシューズ・メーカーはあるだろうか?
- もし言い切れるなら、その根拠となる専門家に検証されたデータはどこにあるのか?
本書でも、レオナルド・ダ・ヴィンチが「人間の足は人体の骨の 1/4 で構成される精妙な体重支持装置を備えた '工学の傑作にして芸術作品'」と考えていたってことが紹介されているけど、これが、いわゆる 'ベアフット・ランニング' とか、(高性能ランニング・シューズを作った当事者として槍玉に挙げられてる)ナイキの FREE とかにもつながっていくんだけど、まさに逆転の発想というか、目から鱗というか、純粋に事実としてもそうだし、物事の考え方って意味でもメチャメチャ面白いし。
あと、個人的にツボだったのは、ベアフット・ランニングのフォームのハナシ。曰く、「みんな、自分の走り方を知っていると思っているが、走ることはほかの活動と同じでもっと繊細なものなんだ。人に訊くと、たいがい '走り方は人それぞれ' って答える。おかしな話だ。泳ぎ方は人それぞれかい? ランニングも同じだ。まちがったやり方をおぼえたら、走ることがどんなに気持ちのよいことかわからない」と。納得。
昔の狩猟民族がどうやって動物を穫っていたのかってハナシもすごく面白いし。なんでも、人間以外のすべての走る哺乳類が一歩進み一度呼吸するってサイクルに縛られてて、これは、イコール、人間だけが呼吸を弾ませることができ、発汗で身体の熱を発散できる哺乳類ってことなんだとか。つまり、汗腺が数百万もある人間は、史上最高の空冷エンジンを持っているようなものってことらしい。一方、毛皮に覆われた動物は呼吸でしか涼をとることができず、体温調整システム全体が肺に託されてるから、体温調整が効かなくなると走り続けられない。チーターをトレッドミルで走らせると、体温が 40.5 度を超えた時点で止まるんだとか。つまり、狩猟民族は水分補給をしながら動物を走って追い続けて、動物をバテさせて捕まえてたってこと。決して追いつけないけど、見える範囲で追い続ければ動物は逃げ続けざるを得なくて、そうしてるうちに冷却システムが効かなくなって逃げれなくなる。コレって、なんか、メチャメチャいいハナシだなぁ、と。
人は年をとるから走るのをやめるのではない。走るのをやめるから年をとるのだ。
これは本書の中で紹介されている台詞のひとつ。すごく単純で、なかなか奥深い。書店やスポーツ・ショップに行くと、もう、これでもか! ってほどいろんなアイテムや情報が並んでるけど、そのほとんどがすごく打算的なノウハウ系とか「役立つ」系ばかりで、体験とか感覚に訴えてくるモノが全然なかったりするんだけど(それがすごく日本っぽいところでもある)、この『BORN TO RUN』は、そういうモノとは大きく一線を画してる印象。これまでにも、ランニングに関するモノはちょこちょこと取り上げてて、その中だと『BRUTUS 2010/2/1 号 世界で走ろう!』とか村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』にちょっと近いのかな。内容が直接的に似てるって意味じゃなくて、もっと感覚的な部分で。
まぁ、いわゆる海外の小説とかにあるような、独特のテンションの文章なんで、好みとかなれの問題はあるとは思うけど、最初にも書いた通り、ルポタージュでもあり、ランニングの指南・解説書であり、ビート・ノベルでもあるような、何とも不思議でユニークで、でも、メチャメチャグッときた一冊であることは間違いない。ちょっとベタで抵抗があるけど、ますます走りたくなっちゃったし、走ることの考え方もなんか変わったかも。
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