2011/04/20

Gifted unlimited rhymes universal.

Keith Edward Elam a. k. a. GURU (July 17, 1961 – April 19, 2010) - R. I. P.

早いものでグールーが亡くなってちょうど 1 年。すごく好きなアーティストなのにこれまでにこのブログではなぜか取り上げてなかったので、この機会にあらためて(もちろん、代表的な作品を交えながら)。

'gifted unlimited rhymes universal' ことグールー(GURU)は、言うまでもなく、DJ プレミア(DJ PREMIER)とのコンビ、ギャング・スター(GANG STARR)のラッパー。1985 年から 2004 年までギャングスターとして活動して 6 枚のアルバムをリリースした後、ソロとして活動をしてたんだけど、2010 年 2 月に心停止して昏睡状態に陥り、去年の 4 月 19 日に闘病の末に享年 43 歳という若さで癌で亡くなった。

'すごく好きなアーティスト' って書いた通り、グールーはメチャメチャ好きなアーティスト。ただ、一番好きなラッパーなのか? って訊かれると、正直、そんなことはなかったりするして、そこが自分にとってのグールーの特殊な存在感の由縁だったりもする。

去年、2 月に昏睡状態に陥ったってニュースを聞いてから亡くなった後くらいまで、いろいろとグールーに想いを馳せることが多かったんだけど、そのときにあらためて気付いたのは、極端に言っちゃうと、自分にとってのヒップ・ホップっていうか、自分が好きなヒップ・ホップのエッセンスを煎じ詰めていったところに残るモノっていうか、要らないものを極限まで削ぎ落とた後に残る音楽としてのヒップ・ホップの '核' の部分をもっとも端的且つ濃密に表現してたのがギャング・スターであり、ギャング・スターをギャング・スターたらしめるのに欠かせないのがグールーだってことだった。つまり、単体のラッパーとしてというよりも、ギャング・スターの 1/2 としてメチャメチャ重要な役割を果たしてて、その結果、'アーティストとしてのギャング・スター' を唯一無二の存在にしてたんだな、って。

'アーティストとしてのギャング・スター' ってのが大事なポイント。相棒の DJ プレミアは、言うまでもなくヒップ・ホップ史に残るプロデューサー / トラックメーカーで、個人的にもトップ・クラスに好きなプロデューサー。もちろん、DJ プレミアはグールー以外のラッパー、それこそ、ビギー(NOTORIOUS B.I.G.)やラキム(RAKIM)、ナズ(NAS)等、シーン屈指のラッパーたちと数え切れないほどのクラシック・トラックを世に送り出してきたわけで、グールーがそれらのラッパーたちよりもラッパーとして優れてるわけじゃないし、ビギーの "Unbelievable" やラキムの "It's Been A Long Time"、ナズの "N.Y. State Of Mind" のような珠玉のクラシック・トラックを残してるわけでもない。

ただ、ギャング・スターのアルバムがそれらのラッパーたちのアルバムと比べて劣るかっていうと、個人的にはそんなことないと思ってて(まぁ、ナズの "Illmatic" だけはちょっと反則なレベルの完成度だけど)。どういうことかっていうと、これは個人的な音楽観 / ヒップ・ホップ観とかアルバムに求めるモノに起因する部分なんだけど、たくさんのプロデューサーを使って統一感のないアルバムがヒップ・ホップにはわりと多いし(特にソロのラッパーのアルバムにありがち)、ヒップ・ホップ・シーン自体がシングル偏重の傾向が強いこともあって、アルバム全体にキチンと統一感が貫かれてて、1 枚を通してひとつの作品として聴けるアルバムは、実はわりと多くないと思ってて。もちろん、正しい / 間違いってハナシではなくて、あくまでも好みの問題だけど、ヒップ・ホップに限らず、それまでに好きだった(そして今でも好きな)音楽はそういうタイプのモノ、つまり、フロントマンよりもプロデュース面を重視した、アルバムを通してひとつの作品として聴けるコンセプチュアルなモノだったんで、そういう面では、実はヒップ・ホップってイマイチ満足できるモノが多くなかったんだけど、そんな中でギャング・スターの存在感は出色で。そこが、'アーティストとしてのギャング・スター' ってポイント。しかも、わりと熱心にヒップ・ホップを聴き出した頃に出会ったからインパクトもデカかったし。

もちろん、そういうアーティストはギャング・スター以外にもいたけど、その中でギャング・スターが際立ってたのは、まるで '禅' のようなストイックでミニマルな魅力。'要らないものを極限まで削ぎ落とた後に残る' 部分ってのはこのことなんだけど、基本的に 'DJ / トラックメーカー x 1 + ラッパー x 1' って構成自体がミニマルだし、DJ プレミアのトラック・メイキングやサビのスクラッチはもちろん、無闇にガナリ立てたり虚勢を張ったりするわけではなく、でも、斜に構えたりヒネくれた態度をとったりマニアックな小ネタや素っ頓狂な飛び道具を過剰に駆使したりするわけでもなく、スモーキーな声で渋くタイトにラップするグールーのラップ・スタイルもすごくミニマルだし。その組合せだけでアルバム 1 枚聴かせちゃうくらいのくらいのクオリティの作品を何枚も作ったのがギャング・スターだった、と。もちろん、それがヒップ・ホップの神髄だってわけじゃないけど、ちょうどギャング・スターを初めて聴いた頃が熱心にヒップ・ホップを熱心に聴き始めた頃だったりもしたんで、むしろ、「こういうのがヒップ・ホップなんだ、きっと」って思い込んじゃったところすらあった気がする。そういう意味では、ある意味、えらく極端なモノをその後の基準にしちゃったわけだけど、まぁ、そうしちゃったんだから仕方がない。決して間違いじゃなかったと思うし。

『モ' ベター・ブルース』(1990)
個人的な音楽遍歴のハナシになっちゃうけど、個人的にヒップ・ホップを熱心に聴くようになったのは、実は 1990 年前後で、それ以前のヒップ・ホップはリアルタイムではあまり馴染めてなかった。特にヒップ・ホップ特有のマチズモは苦手だったし(っていうか、今でも基本的には苦手)。ただ、ブラック・ミュージック、特に 1960 〜 1970 年代のソウル・ミュージックは好きだったし、ジャズなんかにも興味を持ち始めたころだったんで、そういう流れといいタイミングでハマったアーティストのひとつがギャング・スターで、そういう意味では、実は、スパイク・リー監督の 1990 年の映画『モ' ベター・ブルース』のサウンドトラックに収録された "Jazz Thing" がデカかったかな。

ちょうどイギリスで起こってたレア・グルーヴ〜アシッド・ジャズ的な流れもアメリカに逆流してたし、 1960 〜 1970 年代のソウル・ミュージック〜ファンク〜ジャズとヒップ・ホップも有機的に結びついた感じだったし。まぁ、今にして思うと、"Jazz Thing" は決してそれほどギャング・スターらしさが全面に出た曲ではなかったんだけど、ちょうど、スパイク・リーを中心としたいわゆるブラック・ムービー的な動きも活発だったし、『モ' ベター・ブルース』は、パブリック・エナミー(PUBLIC ENERMY)をサウンドトラックに起用して大ヒットした『ドゥ・ザ・ライト・シング』の次の作品だったこともあって、すごくインパクトがあったし。


GANG STARR "Daily Operation" (Chrysalis) ★★★★☆
Links: Amazon.co.jp / iTunes Store

ギャング・スターのアルバムで 1 枚選ぶのはすごく難易なんだけど、個人的に一番好きなのはこの 1992 年リリースのサード・アルバムかな。強いて選ぶと。ちなみに、ディスコグラフィティは以下の通り。


リアルタイムで熱心に聴き始めたのはセカンドの "Step in the Area" からだったと思うけど(『モ' ベター・ブルース』よりも後のリリースだったのに "Jazz Thing" が入ってなかったのにガッカリした記憶がある。今となっては、なんで入ってなかったのか理解できるけど)、今でも一番好きなのはこの "Daily Operation" かな。シンプルなループ一発+スクラッチで勝負する DJ プレミアのトラック・メイキングのミニマリズムと、スモーキーでクールなグールーのラップっていうギャング・スターならではのタイトなプロダクションがもっとも顕著に表現されてる気がするんで。"Hard to Earn" 以降の、DJ プレミアのいわゆる 'チョップ & フリップ' のトラックもメチャメチャドープだし、ブッチャけ、ファースト以外はどれもクラシックだと思うんだけど、グールーのラップとの相性でいうと、初期〜中期のループ一発勝負系のほうがハマってる気がするんで。"Take It Personal" や "2 Deep"、"I'm the Man (featuring Jeru the Damaja & Lil' Dap)" 等、言わずと知れたクラシック満載だし。


GURU "Guru's Jazzmatazz, Vol. 1" (Chrysalis) ★★★☆☆
Links: Amazon.co.jp / iTunes Store

グールーといえば、もう 1 枚、個人的には忘れられないのが、ソロのジャズ・プロジェクト、ジャズマタズ(JAZZMATAZZ)名義の 1993 年リリースのファースト・アルバム(ジャズマタズはその後、シリーズ化された)。

これは、グールーがドナルド・バード(DONALD BYRD)やロイ・エアーズ(ROY AYERS)、ロニー・リストン・スミス(LONNIE LISTON SMITH)といったジャズのリヴィング・レジェンドをはじめとして、『モ' ベター・ブルース』のサントラでも共演していたブランフォード・マルサリス(BRANFORD MARSALIS)、コートニー・パイン(COURTNEY PINE)、ロニー・ジョーダン(RONNY JORDAN)といったアメリカ〜イギリスの同世代のジャズ・ミュージシャン、ヤング・ディサイプルズ(YOUNG DISCIPLES)のカーリーン・アンダーソン(CARLEEN ANDERSON)やザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ(THE BRAND NEW HEAVIES)のエンディア・ダヴェンポート(N'DEA DAVENPORT)、元ザ・スタイル・カウンシル(THE STYLE COUNCIL)で当時はポール・ウェラー(PAUL WELLER)夫人だったDC・リー(DC LEE)などのヴォーカリストをフィーチャーし、生楽器とヴォーカリストを贅沢に使った 'ジャズ・ラップ・セッション' アルバムで、上で触れたようなレア・グルーヴ〜アシッド・ジャズのアメリカへの逆流入を象徴するようなタイムリーな作品だった。

まぁ、今、あらためて聴き直すと、正直、メチャメチャ名盤だとは思わないかな。この頃から、相棒の DJ プレミアがプロデューサーとして引っ張りだこの人気者になったこともあったりして、ギャング・スターとしてのタイトさみたいなモノがちょっと失われた感じもあった時期だったりもするんで。

でも、なんで忘れられない 1 枚かっていうと、実はこのアルバムのリリース後に行われた来日公演で、CD のアートワークにサインをもらった思い出があったりするんで('Peace Yo! - GURU' って書かれてた)。ライヴ自体も、多くの参加ミュージシャンやヴォーカリストが一緒に来日しててなかなかゴージャスだったし、あの時期のヒップ・ホップとジャズの融合のトライアルとしてはなかなか面白かったとは思うし。


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1990 年代中頃になると、DJ プレミアがどんどんトップ・プロデューサーとして売れっ子になり、それに反比例するようにグールーのシーンでの存在感が薄くなってた印象。寂しいことだけど。"Jazzmatazz" シリーズも続編が出てたけどそれほどパッとしなかったし、2004 年のギャング・スター解散後はあまりニュースも聞かなくなって、昏睡状態に陥って入院した後はマネージャーの数々の奇行が報じられたりと、あまりポジティヴなニュースがなかった中での死だったので、よけいに寂しい気分になったりもしたけど、それでグールーの功績が損なわれることはもちろんない。

去年は、ギャング・スター・ファンデーションの一員でもあったグループ・ホーム(GROUP HOME)が秋にリユニオンして、その名も "Gifted Unlimited Rhymes Universal"(Links: Amazon.co.jp / iTunes Store)ってトリビュート・アルバムを出したり、1 周忌のタイミングでもコンプレックスってウェブサイトで 'The 50 Greatest Gang Starr Songs' っていうちょっと面白いページができてたり、"XXL" 誌の取材に家族が応えてグールーのドキュメンタリーの制作について語ってたり、いろいろと動きがありそう。

やっぱり、あらためて考えてもギャング・スターが音楽としてのヒップ・ホップというアート・フォームの発展・進化に果たしてきた功績の大きさは計り知れないし、トラックメーカーとしてのインパクトがデカすぎたんでついつい DJ プレミアばかりに注目が集まりがちだけど、ラップというヴォーカル表現のミニマルな可能性を体現したグールーの存在なしではギャング・スターはあり得なかったのは間違いない。その功績の大きさはキチンと評価されるべき(っていうか、もっともっと高く評価されるべき)だし、実際、これだけ大きな功績を残したアーティストが他にいたか? って訊かれてもなかなか思い浮かばなかったりする。


Keith Edward Elam a. k. a. GURU (July 17, 1961 – April 19, 2010) - Rest in peace.  

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