『ジミ・ヘンドリックスとアメリカの光と影』
チャールズ・シャー・マリー 著 広木 明子 訳
(フィルムアート社) ★★★★★ Link(s): Amazon.co.jp
ジミ・ヘンドリックスのメチャメチャカッコイイ写真を使った表紙のデザインと「ブラック・ミュージック & ポップ・カルチャー・レヴォリューション」ってサブ・タイトルだけで、もう、面白くないわけがないとは思いつつも、結論を先に言っちゃうと、実際にメチャメチャ面白かった一冊。
著者は 80 年代に『NME』の編集者を務め、その後はフリーランスになったイギリス人音楽ライターのチャールズ・シャー・マリー氏。そうは言っても、多くの人と同様、著者についてはまるで予備知識はなかったんだけど、ピーター・バラカン氏の「日本語版によせて」によると結構有名な人らしい(ちなみに、バラカン氏とは同い年で同じイギリス人ってことで、バッチリ同時代感があるんだとか)。原著は 1989 年発行の "Crosstown Traffic: Jimi Hendrix and Post-war Pop" で、原著の出版から 20 年以上の時を経て日本でもやっと出版された感じで、バラカン氏も原著の存在は知らなかったっていうから、まさに、ちょっとしたお宝発掘的な一冊って言えるのかも。タイトル自体も、もちろんジミ・ヘンドリックスの代表曲からの引用なんだけど、なかなか意味深だし。
まぁ、内容としては、ブッチャけた言い方をしちゃうと、「すごくピーター・バラカン氏な一冊」。解る人(好きな人)だったら、こう言われるだけで十分魅かれると思うけど、バラカン氏にして「'音楽批評' というのは、こういうものを指して言うものだと思っています」と言わしめる、かなりワイド且つディープな、読み応えのある一冊になってる。原著の出版から 20 年以上経ってても、全然フレッシュな内容だし。
タイトルに「ジミ・ヘンドリックスとアメリカの光と影」、サブ・タイトルに「ブラック・ミュージック & ポップ・カルチャー・レヴォリューション」とある通り、決してジミ・ヘンドリックスの生涯を振り返った伝記的な本ではなく(もちろん触れられているけど。でも、1/4 〜 1/3 くらい読んだところでジミ・ヘンドリックスは死んじゃうし)、メインになってるテーマは「ジミ・ヘンドリックスっていう存在が社会・文化に及ぼした影響について」的なモノ。まぁ、ブッチャけた言い方をすると、「ジミ・ヘンドリックスのインパクトが如何に強烈で、如何に有り得ないボーダーレスな存在だったか」って感じかな。それをすごく多角的に、しかもディープに分析してる。
多角的というのは、ロックっていう狭義のフェチズム(特にアメリカのロックに足場を置いた視点)でばかり語られがちなジミ・ヘンドリックスっていうアーティストを、ロックとして、ブルーズとして、リズム & ブルーズ / ソウル・ミュージック / ファンクとして、ジャズとして分析し、さらに人種の問題やイギリスとアメリカの問題、社会背景や歴史にまで踏み込んで分析してるってこと。当然、ロックだけしか聴かないヤツにも、逆にブラック・ミュージックだけしか聴かないヤツにも理解できないだろうことばかり。でも、逆に言うと、そういうことを解っていないとジミ・ヘンドリックスってアーティストの本質は理解できないってこと。自分に都合のいい一面だけを自分に都合のいいように切り取って、そこだけを単純化して美化する(「盗んで」と言い換えてもいい)ような風潮に対する警笛であり、複雑怪奇で、だからこそ魅力的なジミ・ヘンドリックスってアーティストの本質はまさにそこにあるってことがよく解る。
まぁ、こんな書き方をするとすごく難しそうな感じがしちゃうけど、実際に、決して易しい内容じゃなかったりする。内容が面白いからけっこう普通にすんなり読めちゃったけど。今まで、あまりキチンと理解できてなかったこととか、全然知らなかったことも多かったし。例えば、ジミ・ヘンドリックスがまだ「ジミ」になる前の、軍からの除隊後のドサ回り時代のハナシとか。あと、ジミ・ヘンドリックスとは直接関係ないけど、その背景として、ザ・ビートルズが如何に当時のイギリスの社会背景にジャスト・タイミングで登場したかとか(特にプロヒューモ事件との絡みとか)もそうだし。
特に面白かったのは、やっぱり、イギリスに渡ったジミ・ヘンドリックスが当時のイギリスのシーンに於いて、どれほど強烈で、それまでクールだったモノの土台をどれだけ揺るがしたかってことかな。当時のシーンってのは、ザ・ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンのような「ブルーズかぶれの白人」が最高にクールであり、ギターを振り回してブチ壊すピート・タウンゼントが最高にイカれてたって感じのシーンなんだけど、ジミ・ヘンドリックスが来たってことは、「かぶれ」じゃない本物のブルーズ・マンが来ちゃったってことだし、しかもそいつはギターを燃やすくらいイカれてる。それに比べればミック・ジャガーもエリック・クラプトンもピート・タウンゼントもカワイイもんだ、と。著者もバラカン氏も当時の印象を「強烈すぎて戸惑いつつも、魅了されずにはいられなかった」的なことを書いてるけど、まさに「ホンモノ」が来ちゃったって感じだったことは容易に想像ができる。
しかも、これも実は今までキチンと知らなかったんだけど、イギリスへの黒人(ジャマイカ人)の移民のほとんどは 1950 年代だったってのもけっこうビックリ(まぁ、言われてみれば、知り合いのイギリスの黒人はみんな 2 世とかなんだけど、移民のピーク自体はもっと早い時期だと勝手に思い込んでた)。だって、ミック・ジャガーもエリック・クラプトンもピート・タウンゼントたちの世代はだいたい 1940 年代くらいの生まれだから、実は本物の黒人にはほとんど馴染みがないのにアメリカの黒人音楽に「かぶれ」てて、それでスターになったってことだから。そうしたら、メチャメチャ強烈なホンモノが来ちゃった、と。そういったスターたちも、魅かれながらも狼狽えてる感じがすごくリアルに伝わってくる。
もちろん、ジミ・ヘンドリックスが強烈だったのはイギリスでだけじゃなくて、母国であるアメリカでも同様で。それこそ、ジミ・ヘンドリックスがデビューした 1967 年ってのはマルコム・X 暗殺の 2 年後で、マーティン・ルーサー・キング Jr. が暗殺される 1 年前、公民権運動と暴動がピークに達し、ブラック・パンサーが登場する、そんな時代。音楽的には、ハーデスト・ワーキング・マンことジェームス・ブラウンはもちろん、モータウンもスタックスもあり、マイルス・デイヴィスもいて、フラワー・ムーヴメントやウッドストック、ベトナム戦争、さらにはスライ & ザ・ファミリー・ストーンやボブ・マーリーなんかが出てくる直前だったりして。そんな時期にイギリスから逆輸入されてきたジミ・ヘンドリックスが、アメリカの白人にとっても黒人にとっても如何に強烈だったかってことだし、その狭間でジミ・ヘンドリックス本人がアーティストとして如何に微妙な立場で葛藤を抱えてたかってことでもあるし。
あと、巻末に付録的に付いてるんだけど、ギターって楽器についての考察もすごく面白い。曰く、ジミ・ヘンドリックスはエレクトリック・ギターって楽器の持つ、当初想定されてなかったようなポテンシャルを引き出したアーティストであり(ちょっと、ダンス・ミュージックにおける 808 のハナシとかに似てるかも)、しかもメチャメチャハイテク好きだった、と(当時でいうと、アンプやエフェクター / ペダル等)。だからこそ、エレクトリック・レディランド・スタジオだったし、もし、今、生きてたらきっとサンプラーとか ProTools を使い倒してただろうって考察はすごく面白い。まぁ、確かに、型にハマったつまらない表現で満足してたとは思えないし。
まぁ、つまり、その後のロック全般やファンクとかプリンスはもちろん、それこそイギリス産のクラブ・ミュージックからヒップ・ホップに至るまで、どんな音楽やカルチャーを語る上でも引っかかってくる、すごく厄介で、魅力的で、摩訶不思議な、ある意味では突然変異的で、ある意味では時代の要請で生まれたような存在だったってことなのかな、ジミ・ヘンドリックスって。だからこそ、多角的に、いろいろな面を考察しないと本質が見えてこないわけで、それを、こういうカタチで、多角的且つディープにまとめられてる本って滅多になくて(ホントに滅多にない! だいたい、ひとつの狭い世界からの視点しかない感じで)、いつもはいろんな資料から得た断片的な情報を自分の頭の中で頑張って整理するしかない(っつうか、そんなことばっかしてる気がする)から、そういう意味でもすごくありがたいし、面白いし、個人的にはバッチリツボな一冊なんだけど、同時に、ロック好きはもちろん、ヒップ・ホップやクラブ・ミュージック好き等、っていうか、音楽に限らず、現在のどんなカルチャーであれ(それこそ、テクノロジーとかね。パーソナル・コンピュータなんかもともとカウンター・カルチャーなんだから)、その手のモノに自覚的だったら読んでおいていいんじゃないか、と。
* JIMI HENDRIX "Crosstown Traffic"
Stone free.
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