2009/08/28

Last century modern.

ヨーロッパの 100 年(上)/『ヨーロッパの 100 年(下)
 
ヘールト・マック 著 長山 さき 訳(徳間書店)  


暑さもようやくちょっと落ちついてきて、夏の終わりっていうか、もうすぐ夏休みが終わっちゃうみたいな、なんかちょっぴり切ない気分になっちゃう季節なわけで、仕事なんかする気がしない今日この頃だったりするわけですが、まぁ、仕事は最低限にしつつも、別に難しいことはしたくないわけじゃなくて、むしろ、 ちょっとしっかり本でも読んでみようなんて気になったりする。それこそ、夏休みの読書感想文な気分で。図書館とかで読んじゃったりとかして。夏休みの読書 感想文とか、キライじゃなかったんで。まぁ、小学生だか中学生だかの時に、本の薄さと知名度(と、何となくのカッコよさ)に釣られて、ヘミングウェイの『老人と海』とか選んじゃってヒドイ目にあったりしたけど(やっぱ打算で選ぶとロクなことはないらしいってことを身を以て学んだ感じ)。まぁ、『老人と海』はメチャメチャ好きな本なんだけど、それに気付いたのは数年後だった、と。

ハナシが横道に逸れたけど、そんな気分な中で、個人的な「今年の夏の課題図書」が 6 月に出版されたヨーロッパの 100 年(上)・『同(下)。 上巻は 500 ページ弱、下巻は 400 ページ強で、しかも上下 2 段組みっていうヴォリュームなんで、まぁ、相当な読み応えがある大作なんだけど、これがなかなか面白くて。

帯には「何が起き、何が起きなかったのか」って書いてあって、まぁ、内容的にはタイトルの通り、「戦争の世紀」って言われた 20 世紀のヨーロッパの歴史を、20 世紀の最後の年にヨーロッパの各地を訪ねながら綴った歴史紀行なんだけど、訪れた主な街は、アムステルダム、パリ、ロンドン、ベルリン、ウィーン、ヴェルサイユ、ストックホルム、ヘルシンキ、ペト ログラード、ミュンヘン、バルセロナ、ゲルニカ、アウシュヴィッツ、レニングラード、モスクワ、スターリングラード、イスタンブール、ローマ、ドレスデ ン、ニュルンベルク、プラハ、ワルシャワ、ブダペスト、ブリュッセル、リスボン、ダブリン、マーストリヒト、チェルノブイリ、ブカレスト、サラエヴォ等 (これでも全部じゃないけど)、かなり壮大な紀行に仕上がってる。

著者のヘールト・マックは 1946 年生まれのオランダ人ジャーナリスト / 作家。原著は 2004 年に発行された "In Europa: reizen door de twintgste eeuw"(オランダ語の意味は解んないけど、英語版 "In Europe: Travels Through the Twentieth Century" のタイトルを見ると、サブ・タイトルの意味はなんとなく推測できる)で、2004 年にオランダで NS 文学大衆賞、2009 年にドイツでライプチヒ文学賞を受賞し、さらに、著者はこの本によって人々のヨーロッパへの関心を高めた功績が称えられてフランスのレジオン・ド・ヌール騎士賞も受勲したんだとか。まぁ、それがどのくらいの価値があることなのか、よく解んないけど。ただ、この本がヨーロッパ各国で大きな反響を呼んだであろうとことは容易に想像できる。だって、たぶん、誰にとっても他人事じゃない内容だから。

20 世紀のヨーロッパって言われて、パッとイメージできるのは、第一次世界大戦〜ロシア革命〜ワイマール体制〜ファシズム台頭〜スペイン内戦〜第二次世界大戦〜東西冷戦〜チェルノブイリ〜ベルリンの壁の崩壊〜冷戦終結〜ユーゴスラビア紛争〜 EU 統合って感じで、それ自体は基本的には間違いじゃないんだけど、でも、ディティールというか、リアリティというか、そういうのがイマイチ欠けてて、ピンと こない感じが否めない。リアルタイムで知ってるのも 80 年代以降だし。まぁ、もともと世界史とか学校でキチンと勉強したことがないし(それはそれで問題だけど)、学校ではないところで、音楽とか映画とか小説とかとの絡みでちょこちょこと聞き齧る感じでしか歴史との接点なんかなかなかなかったわけで。でも、主にポップ・カルチャー的なモノを媒体にすると、どうし ても 50 〜 60 年代くらいに大きな断絶があって、それ以降のことはわりと触れる機会が多いけど、それ以前は完全に「歴史」というか、授業で習ったことと同じくらいリアリ ティのない「情報」としてしか感じられなかったりするし、情報自体もかなり偏る(地域的にも、内容的にも)。でも、実際は、そこには断絶も偏りもなくて、 キチンとつながってて、因果関係があって。そういうことを知ると、今までわからなかったことがわかってきたりするんで。『終戦のローレライ』のレヴューでも似たようなことを書いたけど、普通に日本で学校教育を受けて、社会人として生活してると、歴史をキチンと学ぶ機会なんかまずないし、歳のせいか、歴史についての興味は若い頃よりも旺盛になってて、いろいろ勉強したりしてると、思い知るのは「いかに自分は知らないか」ってことだったりするし。

でも、例えば、ヒップ・ホップに興味があればアフロ・アメリカンの歴史が避けられないのと同じように、ヨーロッパ、特に「イギリスとかフランスだけじゃないヨーロッパ」について知らないと、ヨーロッパ・サッカーの世界での出来事とか、ピンとこなかったりするわけで。そういう、 別に難しいレベルのハナシでもなんでもなく、フツーに興味が出てくるレベルというか、今の自分の生活とか興味とかにわりと密接に結びつくレベルで、フツーに知りたいし、面白いし。

訳者あとがきの中で、アムステルダム大学のヘルマン・プライってオランダ語学者が「ヘールト・マックほど人々の個人的なアイデンティティを一般的な歴史の物語に結びつけることに成功した者はいない」ってヘールト・マックのことを評してるのが紹介されてるんだけど、これがすごく的を得てる。まさにその通りで、20 世紀の幕開けからミレニアムまで、歴史を順に追いながら、その時代のエピソードの舞台になった街を訪ね、そこに暮らした有名・無名の人たちの個人的なストーリーを紡ぎながら、そこに史実やデータをリンクさせて綴っていく手法は、まぁ、いわゆるオーソドックスな歴史書と比べると、学術的・資料的な価値はちょっと劣るのかもしれないけど、その分、読み物としてのクオリティは上げてるし、結果として、より具体的なイメージを掴みやすくもしてる。

個別に引っかかったことを挙げてくと、もう、ホントにキリがない感じなるけど、例えば、第一次世界大戦の「なんとなく始めちゃった」感とか、夏に始めて数週間で、それこそクリスマスは家で過ごすつもりだったのが結局 4 年もかかっちゃったズルズル感とか、その約 4 年間の戦争で起こった大きすぎる変化(乱暴に言っちゃうと、中世が一気に現代になっちゃった感じ。政治的にも、軍事的にも)とか、結果的に 6 つの君主国と 2 つの帝国を終結させちゃったこととか、もう、ちょっとありえない感じで。IT 革命とか比じゃないくらいの劇的な変化がたった数年間の間で起こってて。第二次世界大戦の印象のほうがどうしても強いけど、実は第一次世界大戦も相当ヤバイなって。のどかな 19 世紀が 20 世紀の激流に一気に飲み込まれたみたいな。日本だと、大東亜戦争〜太平洋戦争については語られることも多いけど、それ以前のハナシはただの「歴史」になっちゃってて、でも幕末のハナシは好きだったりして、歪に偏ってる気がするけど、第一次世界大戦ってちょうどその隙間の時期のハナシで、なんかすっぽり抜け 落ちちゃってたりしがちだけど、もちろん、日本にも無関係なハナシじゃなかったりするし。

個人的に、全然知らなかった部分としては、例えば、ファシズム、特にムッソリーニとイタリアのこと(日独伊三国同盟の一国ってこと以外、ほとんど知らない)なんかもあ る。例えば、当時の知識人にはファシズムは共産主義とともに「貧弱な民主主義」に代わりうる興味深い対象として捉えられてたこととか、ムッソリーニの憎め ないキャラクターとか(ムッソリーニの未亡人のラケーレは彼の死後、「彼はどっしりとした女性が好きでした。彼が口説き落とした女性の数は平均的に魅力的 なイタリア人男性と同じくらい多かった、と今の私は自由に書くことができます」なんて、イタリア人らしい味のあることを言ってる)。

著者が「ベトナム戦争が 60 年代の若者のメンタリティを決定したように、スペイン内戦は 1930 年代の政治意識の高い若者にとって判断基準となった」って書いてるスペイン内戦なんかもそうだし。ビックリするくらい全然知らなくて。ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る(上)』・『同(下)』 は昔、読んだけど、やっぱり、その背景事情みたいな部分はよくわかんないまま読んでたし。アメリカ人のヘミングウェイがわざわざ現地に行っちゃうくらいな んで、当時は相当のインパクトがあったんだろうと思うし。ジョージ・オーウェルとかロバート・キャパなんかもそうだったかな。でも、この辺の事情がちょっとわかってくると、それこそスペイン・サッカーのこととか、だいぶ違って見えてきたりするし。

他にも、ヴェルサイユ条約でドイツをガチガチに縛り付けた結果、ヒトラー率いるドイツ軍が「超モダン」な軍備を、それこそロケットまで開発しちゃうくらいになったこととか、対ナチス戦の最中でイギ リスとフランスが合併しそうになってたこととか、「衛生」って観念が広く人々に浸透したのは 20 世紀に入ってからだってこと(故に、人々はその観念に過剰に反応し、広範に適用した、と。例えば、ヒトラーのように)とか、ホロコーストの背景は一般的に言われる「反ユダヤ主義」よりもずっと複雑なこと(だから「反ユダヤ主義」に単純化して考えてしまうのは危険)とか、フランスって別に勝ったわけじゃないのになんか勝ったみたいな顔してたこととか、冷戦時代の東欧諸国でのスターリンの捉えられ方とか、ポルトガルの カーネーション革命とか、「禁ずることを禁ずる」で知られるフランスの五月革命とか、常に独特な立ち位置で居続けてる北欧諸国のこととか、なかなか興味深いことばかり。

まぁ、冷戦のことなんかは、個人的にもいろいろ本を読んだりドキュメンタリーを観たりしてるんで、メインストリームな部分、例えばプラハの春とか壁の崩壊とかソ連の消滅(ミールに滞在している間にソ連が消滅して、5 ヶ月地球に戻れなかったセルゲイ・クリカリョフのハナシも含めて)とかに関しては、わりと予備知識があったんだけど、逆にその後の東欧圏とか旧ソ連諸国、 特に 90 年代の旧ユーゴスラビアでの紛争のこととか、それこそピクシーとかオシムとかの絡みでもよく出てくるハナシだし、リアルタイムで知ってるはずなのに、ただただ「ヒドイことになってた」って印象だけで、全然、具体的にイメージできなかったりするし。ホント、知らないことばっかりだ なぁ、と。

あと、個人的には、ガンダム以外で初めて「オデッサ」って街について知ったかも。ウクライナの黒海に面した街で、ウィキペディアで 見てみたら横浜と姉妹都市らしいんだけど、著者がこの本で訪ねた街で「人々が 'ヨーロッパへ行く' という言い方をするただ 2 つの都市」のひとつなんだとか(ちなみに、もうひとつは 1986 年に突然 EC に加盟することになったときに、「他の EC 加盟国に勝てるのは海岸と太陽だけだった」って自国・ポルトガルを称したリスボン)。それだけ辺境ってことなんだろうけど、そういうメンタリティってすご く面白いし、ちょっとオデッサに行ってみたい気分になったりして。

2 回の世界大戦で大陸の大部分を焼き、特に第二次世界大戦では少なくとも 4100 万人の死者を出した(その内、2700 万人は一般の市民で、さらにその中の 600 万人はユダヤ人だったとか。ちなみに、これは、6 年の間、毎日平均 2 万人が死亡してたってことになるらしい)ヨーロッパは今、60 年間、大きな戦争が起こってないっていう歴史的にもすごくレアな時期にあって、現在進行形で統合してる(統合に向かってる)わけだけど、なんだかんだ言っ て、やっぱりいろいろ気になることが多くて、ヨーロッパって。個人的には、別にヨーロッパ至上主義者じゃないつもりだし、むしろ、ちょっとハナにつくとこ ろも大いにあったりするけど、でも、やっぱり「腐っても鯛」っていうか、学ぶべきところは多いな、と。良くも悪くも、歴史についても、今後のことについて も。

まぁ、奇しくも世の中、選挙なわけで、いろいろトンチンカンなことが起こってるわけだけど(例えば、ホントにくだらない、でも見過ごせないこととして、こんなこととか)、ちょうど、池田信夫氏のブログで「日本は小国になれるのか」なんてエントリーを見たりもしたんで、ついついいろいろ考えちゃうんだけど、選挙絡みのハナシで一番違和感を感じるのはまさに「右肩上がり万能主義」以外の選択肢が示されないことだったりするんで、やっぱりヨーロッパってちょっと気になる。川勝平太静岡県知事が道州制の話の中で「日本は 4 〜 5 地域くらいに分割しても、それぞれが大きくてフランスくらいから小さくてオランダくらいの GDP 規模になる」って言ってたけど、そういう方向性もアリだと思ってて。っつうか、個人的にはそのほうがいいと思ってるんだけど。まぁ、少なくとも、そういう選択肢が示されもせず、議論もされないことはどうかと思うし。
池田氏のブログで紹介されてる幸福度ランキングとか、自殺率とかも、ただ数字だけを見て鵜呑みにしちゃダメだとは思うけど(事情は同じじゃないから)、でも、気になる指標ではあるし。

まぁ、 もちろん、
ヨーロッパっていい面だけじゃないけど。戦争ばっかやってきたこととか、世界中を征服して、世界中にいろんな問題の種を蒔いてきたことも事実だし。でも、善悪じゃないレベルでいろいろ参考になる部分が多いの事実。例えば、言語が違う共同体の難しさ(EU の職員の多くはひたすら翻訳に従事してるんだとか)とか、移民の功罪とか、文化の違いをどう許容するかって問題、具体的にはイスラム教徒が大多数のトルコ の EU 加盟の問題とか、なかなか興味深かったりする。ある程度、個々の文化の違いとかオリジナリティを許容しつつも、大きな問題にはひとつ上の次元の共同体とし て取り組む姿勢は、例えば環境問題対策とかの面でも示唆に富んでると思うし。

その根源にあるのは、たぶん、なんか「ブレないモノ」を軸と して持ってるってことなんじゃないかな、って思ってて。本質的な価値判断基準っていうか。で、それは、ただの頭でっかちな理屈とか理念とかじゃなくて、生活とか風土とか歴史とかの中から育まれた、ある意味、ロジックを超えちゃってるようなモノで。だから、例えば、何か問題が起こったとき、イギリス人はいかにもイギリス人らしい、フランス人はいかにもフランス人らしい態度を取るし、イタリア人もドイツ人もロシア人もオランダ人もスウェーデン人もそう。良くも悪くも。多少、客観的・論理的に違和感があったりとか、ムリがあったりしても、全然意に介さない感じで押し切っちゃうような。何だろう? 「譲れない一線」みたいなモノなのかな。そういうモノをそれぞれが持ってて、お互いに(多少は辟易しつつも)それを認めた上でつきあってる感じ。やっぱり、成熟してるっていうか、オトナっていうか、そういうのって、好き嫌いとは違う次元で、ちょっと信用できる感じがする。そういうのって、アメリカからは感じられないし、日本にもかつてはあったはずだけど、現在の日本社会ではすごく希薄になってるような気がする。まぁ、これって、国だけじゃなくて、個人とか、わりと小さな規模の社会でも同じことが言えると思うけど。やっぱ、
「譲れない一線」みたいなモノを持ってるヤツって、信用はできるから。好き嫌いはともかく。


最後に、本文の中でわりと好きな、ちょっと引っかかった部分を。

戦時中に実戦された社会主義は誰にも害を与えなかったし、多くの人にとっていいものでした。この国の子どもたちはかつてないほどきちんと食事を与えられ、健康でした。牛乳はすべて公平に分配されました。裕福な人々は肉の配給量が貧しい人々と同じでも亡くなることはありませんでした。この '分け合う' ということ、共同で '喜んで犠牲を払う' ということ私たちを団結させた強い絆のひとつであったことには疑問の余地はありません。それゆえに多くの人々は言っています。この共同の感情は平和な時代であっても同じように上手く機能するのではないか、と。
これは、第二次大戦のイギリスの指導者であり、ヒトラーに決して屈しなかった戦争の英雄でありながら、終戦直後に選挙で首相の座を追われたウィンストン・チャーチルに対して、彼の娘・サラが書いた一節の引用。これがなかなか味わい深いというか、示唆に富んでるなぁ、と。いろんな意味で。「戦争の英雄」と「平時に相応しい政治家」を安易に同一視しないイギリス人の気質とか、身内、しかも実の娘がこういうことをシッカリ言えちゃうリテラシーとか。個人的にも、こういう発想はもともとキライじゃないんだけど、昨今の状況を鑑みると、ことさら興味深かったりする。

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