2008/12/21

Higher than the sun.

最後の冒険家石川 直樹 著集英社) ★★ 

作家の石川直樹が、熱気球での単独飛行で太平洋の横断を試みて行方不明となった神田道夫と彼のチャレンジ=冒険について綴った著作。第 6 回開高健ノンフィクション賞の受賞作ということもあって、いろいろなところで話題になってる一冊でもある。

また、去年以前に読んだのでこのブログではこれまでに特にレビューしてないけど(時間があれば、あらためて随時レビューする予定)、石川くん(一度会ったことがあって、しかも年下なんで、「石川くん」と呼ばせてもらいます)の『全ての装備を知恵に置き換えること』や『この地球(ほし)を受け継ぐ者へ』、『いま生きているという冒険』などはすごく好きな本だったりするんで早速読んでみたんだけど、受賞は伊達ではないというか、期待を上回る出来映えで、一気に読み切った。

神田氏は日本の熱気球界(なんか変な言葉だな。こんな言葉はあるのかナゾだけど…)の第一人者のひとりで、日本で初めて北アルプス越えや本州横断に成功し、さらに中重量級(熱気球のサイズによってクラスが分かれているらしい)の高度世界記録や長距離世界記録、さらには滞在期間世界記録を達成したという人物。その世界でトップ・ランナーとして活躍してきた熱気球のパイロットだってことだ。そして、石川くんは、神田氏の 1 回目の太平洋横断にパートナーとして同乗して失敗、幸運にも着水現場の近くにいた船に救助されて九死に一生を得たという希有な経験を神田氏と共有している。だからこそ、そんな石川くんにしか書けないであろう、とてもリアルで、興味深い内容になってて、グイグイ引き込まれる。

こうやって人は死んでいくんだろうな、と思った。

こんな衝撃的なフレーズで始まるこの本の内容は、神田氏との出会いから始まって、1 回目の太平洋横断にパートナーとして同乗した経緯、熱気球について、神田氏のキャリアや人間性、さらに日本の熱気球界や神田氏の仲間たちにまで、とても幅広く触れられていて、熱気球というものがどういうものなのか、イメージを持ちながら読むことができる。石川くん自身、メディアの立場で同乗したのではなく、あくまでも「パートナーとして」同乗したわけで、当然、神田氏(と彼の仲間)の下で熱気球のパイロットとしてのスキルを学び、身に付けている。熱気球という乗り物についての特徴や扱うことの難しさを、知識や情報としてだけでなく実体験として知っているわけで、そんな彼の文章だからこそ、伝わってくることのインパクトやリアリティはハンパじゃない。特に、太平洋横断失敗〜漂流の部分なんか、読んでて辛くなるし、その後、2 度目のチャレンジのパートナーを引き受けなかった(そして、神田氏がその 2 度目のチャレンジを単独で行い、行方不明になった)心中を察すると(とは言っても、もちろん、察するに余りあるんだけど)、その体験や心境を受け止めて、こういうカタチで残すことができる石川くんのメンタルのタフさには感服しちゃう。そして、そんな、必ずしもハッピーなハナシではないにも関わらず、読後感は悪くなく、むしろ爽やかだったりするのは、過度に小手先の言葉で飾りたててエモーショナルに読者の感情に訴えようとしない石川くんの潔いくらいにシンプルな文章の賜物でもあり、同時に、「冒険」という行為自体が、本来的に予めそういう過剰演出を受け付けない性質のモノであり、石川くんはその本質をわかってるってことなのかな、なんて思ったりもする。なんか、ちょっと表現形態は違うけど、『』の読後感にちょっと似てるかも。いいハナシばかりじゃないし、いろいろシビアな部分もあるんだけど、それも全部ひっくるめて、真っ正面から受け止めてる感じが。

プロフィール的に言うと、石川くんは北極点から南極点まで人力で踏破する 'Pole to Pole' を行ってたり(その時の日記をまとめたのがこの地球(ほし)を受け継ぐ者へ)、世界七大陸の最高峰登頂を達成してたりするんで、いわゆる「冒険家」的なイメージを抱かれがち。そのご多分に漏れず、最初に石川くんのことを何かで知った時は「三浦雄一郎さんのような世代の、メチャメチャタフなすごい冒険家なんだろう。スゲェな、あの世代の人は、やっぱ」なんてイメージを勝手に持っただけだったんだけど、何かのキッカケで(残念ながら何のキッカケだったか覚えてない。たぶん、何かの雑誌だと思うんだけど…)あらためて知ったら年下だってことが判明して(石川くんは 1977 年生まれ)、ビックリするやら感心するやら。「若いのに、なんて立派なんだろう」と素直に思いつつ、俄然興味が出てきて調べてみたら、自分で本を書いたり写真集を出したりしてたんで、その辺はチェックしてるんだけど、どうも「冒険家」っぽくはない。あと、あるトークショーのようなイベントの場でちょっとだけ直接話をする機会があったんだけど、その時に受けた印象も、いわゆる「冒険家」的なイメージとはかけ離れてて、わりと簡単に身近にいそうなイメージができるというか、(ちょっと失礼な言い方かもしれないけど、あえて、親近感を込めて)言ってみれば「友だちにいそうな、同年代のフツーのヤツ」な感じだったし(もちろん、友だちになれそうにないつまんないヤツってことじゃなくて、そういう意味でも「友だちにいそうな」って感じ、ってこと)。

石川くん自身も、本書を含めていろんなところで言っているように、自身を「冒険家」とは考えてないらしく、会って話した時は自分のことを「(文章だけでなく写真を撮ることも含めて、って意味で)作家」って言ってた。自分のさまざまな行動を「冒険」ではなく「旅」って言葉で表現することが多いし。この本では以下のように言ってる。

世間は時折ぼくのことを「冒険家」と呼ぶ。さまざまな場所で繰り返し発言してきたが、ぼくは自分のことを冒険家だとは思っていない。もっと断定的に言うならば、ぼくは冒険家になろうとも思ってないし、なりたいとも思わない。自分が今までおこなってきたことは自分にとっての個人的な冒険であったかもしれないが、神田のような、ある世界のなかで未知のフロンティアを開拓してきたわけではなく、まして前人未到の地に足を踏み入れたわけでもない。
すでに地図の空白がなくなった現在、地理的な冒険や探検といった行為は、時間が経つにつれてどんどん不可能になってきている。ジャーナリストの本多勝一氏は、冒険の条件として「命の危険性」と「行為の主体性」のふたつをあげているが、近代の冒険は、その後者が重要なのだ。それはつまり自己表現の問題とも密接に関わってくる。ここでいう表現とは、地図上に誰もたどったことがない軌跡を描くという意味である。これまでの人類の歩みを俯瞰して、その隙間を見つけ、自分なりの方法で空白を埋めていく行為と言い換えることもできる。(中略)白紙のキャンバスに絵を描くために表現力が必要なように、地理的な空白がなくなった時代を生きる現代の冒険家たちは、そこに特別な自分なりの題材を見つけなくてはいけない。だからこそ冒険者はアーティストでもあるといえる。
冒険はリスクをどれだけ減らしていっても、最小限のリスクだけは最後まで払拭できない。だからこそ、その行為は冒険といわれる。運も実力も必要だけど、実 力さえあればほとんど乗り切れて、あとの数パーセントを運に賭けるという冒険ならぼくにも理解できるのだ。しかし、実力よりも運が試される比率のほうが多 いのであれば、その冒険に参加すべきではないとぼくは考える。

最後の一文は、1 回目の太平洋横断失敗の後、2 回目のチャレンジに参加しなかった彼なりの理由なんだけど、こういうセリフって、すごく冒険家っぽくないなって感じる。冒険家っていうと、やっぱり直感的というか野性的というか、その裏側にある何かを知りたいというよりも、とにかくやってみたいっていうモチベーションが根底にあって、そういう理屈じゃないものに突き動かされてるんだと思うけど、石川くんの場合、そういう側面も持ちつつも、それだけじゃなくて、理屈の部分というか、その裏側にある何かを知りたいというモチベーションも強くて、ハートだけでも脳ミソだけもなく、その両方をフル稼働させてる印象がすごく強い。そういう意味ではたしかにピュアな冒険家じゃないし、現場から真実を伝えたいっていうジャーナリストとも違う。そう考えると、どういう言葉を使うかはともかくとして、やっぱり本質的にはアーティストなんだろうな、と。この表現が一番シックリくる。

石川くんが取り組んでることのひとつに、南太平洋に伝わる伝統航海術(コンパスなどの航海機器を使わず、星・空・雲・潮流・風・鳥などの自然の情報を使って航海する技術。詳しくは『星の航海術をもとめて』と『ホクレア号について語ろう! 』を参照)の習得があるんだけど、そんな石川くんならではの表現で熱気球について述べてる部分がすごく印象的だったので、以下に引用してみる。

ボクはパスポートをもってきてはいるが、出国スタンプも押されないままに、そろそろ本州の上空からはみ出ようとしていた。たとえ雲の上にいたとしても、ぼ くはぼく以外の何物でもないのだが、普段は当たり前に存在しているはずのあらゆる連続性から切り離されて、三次元の新たな地平へと導かれていく。空と大地 からのふたつの視点が、自分の頭の中で交差したとき、ぼくの前に世界は文字通り立体的な姿を現した。それは想像力の限界を超えて、新しい旅へのはじまりを 大きく予感させるものだった。
海に複雑な潮の流れがあるように、空には幾重にも分かれた風の流れがある。気象条件によっては上昇気流や乱気流に惑わされることもあるし、太平洋横断ではジェット気流が重要な役割を果たすことになる。今までは何も見えなかった空に、上下左右混然とした道筋があることを知ったとき、自分の前に思いも寄らない多様な空が広がりはじめた。

こういう表現を読むと、やっぱ作家でありアーティストだなぁ、と感心するし、勝手に親近感を抱いてるからか、正直なところ、ちょっとジェラシーを感じたりもする。もちろん、いい意味で。だからなのか、いつもは(文章量に関わらず)レビューを書くのにそれほど時間がかからないというか、チャチャっと書いちゃうんだけど、実はこのレビューはけっこう時間がかかっちゃった。それはやっぱり、すごくいろんなことを考えさせてくれて、インスピレーションに富んでいるからなんだろうな。

あと、最後に、忘れちゃいけないのが、写真について。表紙に使われてるのは、石川くん自身が撮った写真なんだけど、見ての通り、ビルの屋上とかにある水のタンク。実はこれが 2004 年の 1 回目の太平洋横断でコックピット(と言うのか?)として使われたモノで、2008 年に吐噶喇列島の悪石島に漂着したのを撮影したんだとか。つまり、救助されたときに放棄したものが約 4 年半もの間、太平洋を漂って、奇跡的に悪石島に辿り着いたっていう、ウソのようなホントのハナシ。事実は小説より…っていうけど、こんなの、ミラクル以外の何ものでもないし、その写真が持つパワーったら、やっぱりハンパじゃない。表紙のモノを含めて巻末に写真が数点載ってるんだけど、こういう写真を見せられると素直にすごく感銘を受けるし、やっぱりちょっとジェラシーを感じたりもする。

そういえば、未読なんだけど『coyote No. 18』の特集が「最後の冒険家 神田道夫の世界 鳥よりも高く飛べ」。これもチェックしないと。『星の航海術をもとめて』と『ホクレア号について語ろう! 』みたいに、上手いことヴィジュアル面で補完してくれそう。

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