2009/04/14

Too reasonable.

ランド 世界を支配した研究所 
 アレックス・アベラ 著 牧野 洋 訳 (文藝春秋) 
 

かつて、ソビエト共産党の機関誌『プラウダ』に「科学と死のアカデミー」なんて呼ばれ、第二次世界大戦後のアメリカ、そして世界に多大な影響を及ぼしてきたアメリカのシンクタンク、ランド(RAND)にスポットを当てた 2008 年の著作で、著者は『LA タイムズ』紙等に寄稿しているというキューバ出身のジャーナリスト・作家(とは言っても、10 歳のときにアメリカに移住しているので、「キューバ出身」に特別な意味はないけど)。ランドって、ちょこちょこといろんなところで目にはしてて、気になってはいたんだけど、なかなか全貌が掴めなかっただけに、いろんな陰謀説にも登場する悪の権化とかマッド・サイエンティスト集団っぽいイメージもあって、よけい興味が出てきちゃったところもある。あと、シンクタンクってもの自体にも興味があるし。そういう意味では、ある種、待望の一冊というか、けっこう読むのを楽しみにしてた一冊だった。

原書のタイトルは "Soldiers of Reason: The Rand Corporation and the Rise of the American Empire" なんだけど、まぁ、内容はサブ・タイトルの 'the Rise of American Empire' って言葉通り、
第二次世界大戦後のアメリカの政策だけじゃなくて、世界をアメリカ化することにも大きな影響を与えたランドについて、設立のプロローグになった東京大空襲の立案から始まって、2001 年の同時多発テロ〜イラク戦争後の現在に至るまでカバーするカタチで書かれてるんだけど、著者はジャーナリストであると同時に小説家でもあるらしく、もっとつまんない感じにまとまっててもおかしくなさそうなところを、さすがに小説家だけあって、なかなか面白く読ませてくれる。

'RAND' って名前は 'Research ANd Development' の大文字部分を取ってることからも解る通り、研究・開発を行う研究機関なんだけど、「ランドの存在意義はいつもアイデアであり、仮説であり、空想である」と述べられてるように、'Research And No Development' なんて揶揄する人もいるくらい研究に特化した組織として知られてる。設立されたのは第二次世界大戦後で、核兵器と冷戦の時代。もともとはアメリカ陸軍航空軍が 1946 年に設立したプロジェクト・ランドが母体で、1948 年に NPO として独立した。その目的は、以下のように述べられてる。
法人化する際にランドがカリフォルニアの州政府に提出した書類には、ランドの目的として「すべてはアメリカ合衆国の公共福祉と安全保障のために、科学・教育・慈善活動を一層振興する」と記してある。本当の目的は、自らのイメージするところに従って、神のように世界を作りかえることにあった。つまり、止めどなく拡大していくアメリカにおいて、ランドの研究者が国全体の主導者・計画者・廷臣の役割を担うことだった。あまりに明白であるためあえて説明する必要もなかったのだが、そういうことだったのだ。こんな目的を持つようになったのも、当時はあやふやな三段論法がまかり通っていたことと関係がある。「アメリカは善良であり、だれもが善良でありたがっている。だからだれもがアメリカのようになるべきだ」「ワシントンの政治家が主張するところでは、我々は善良な意図を持っており、何が最善であるかを知っている」「だから我々を信用しろ」ー こんな論法だった。
個人的には、分散型ネットワークとパケット通信という、後のインターネットのベースになったアイデアを考案したポール・バランが所属してた組織ってイメージが一番強かったんだけど、あらためて見てみると、ゲーム理論の考案者のジョン・フォン・ノイマンとか、「21 世紀は日本の世紀」って発言で知られ、スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情 ー または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』のモデルにもなったハーマン・カーン(「ハマーン」ではなく「ハーマン」。つまり、ミネバ様に仕えた摂政ではない)から、フランシス・フクヤマやらドナルド・ラムズフェルドやらコンドリーザ・ライスやらなんて名前も飛び出してきて、冷戦下の反共・核戦略だけじゃなくて、レーガン政権以降のネオコンにも大きな影響を及ぼしてる。つまり、規制緩和・民営化・市場原理主義などに代表される「小さな政府」政策もその所産だし、医療費の一部自己負担なんかもその一部だったりする。そして何よりも、軍事戦略の研究を目的に考案されたさまざまな方法論が、その後のさまざまな学問分野の基礎的なツールとなったたりするわけで、世界中に与えた影響は計り知れないし、決して単にアメリカのハナシ、対岸の火事的なハナシではなくて、自分の生活にも無関係じゃない。もちろん、良くも悪くも。

だから、訳書のサブ・タイトルが「世界を支配した研究所」ってなってて、もちろんニュアンス的には間違いじゃないんだけど、個人的には、ポイントは原書のタイトル
"Soldiers of Reason" の 'reason' の部分のような気がする。'reason' って、簡単な単語のようでいて、なかなか日本語でキチンとニュアンスを把握するのが難しい単語。単に「理由」みたいな感じではなく、「合理性」「合理的」みたいなニュアンスが強くて、「合理的」ってのは文字通り、「理性に合致する」ことなわけで、これはつまり、近代西洋思想の「理性」って考え方、「本能」とか「感情」みたいな部分と明確に区別した「理性」ってものの存在をベースにして、その「理性に合致する」ことを良しとするってこと。まぁ、細かく議論すると長くなるし、もちろん十分な知識も持ち合わせてないんで止めるけど、近代西洋思想をベースにした「合理性」を肯定して、それを前提にして、その最大化に努めてる、と。それこそ「合理性の兵士」になって。

それを一言でいうと「数値化至上主義」ってこと。筆者は「合理性教会(church of reason)」なんて呼んでるけど、ある種の宗教的な信仰を持った宣教師として世界中で布教活動を行ってきた、と。それが、具体的には合理的選択理論だったり、ゲーム理論だったり、ゼロ・サム・ゲームだったり、囚人のジレンマだったり、システム分析だったり、終末兵器だったり、ファイル・セーフ(多重安全装置)だったりする。もちろん、それにはそれなりの価値があるのは確かだし、だからこそ、それなりの説得力がある(多くの人が説得されちゃう)んだと思うけど、それだけでは説明できないこともある(しかも、けっこうたくさんあるし、大事なことだったりする)ことを忘れがち。これって、現代社会を蝕んでるかなり大きな問題のような気がすごくしてたんで、なんか、あらためて、妙に納得しちゃったりして。
だいたい、数値化できることなんて、つまんねぇハナシが多いし。つまんねぇヤツほどしたり顔してつまんねぇ数字を振りかざすもんだし。もちろん、判断基準のひとつとして使えないことはないけど、あくまでも「ひとつ」だし、「使う」ものなのに、逆に「使われ」ちゃってるなんて本末転倒なわけで。ランド出身者またはアドバイザーを務めた人物にはノーベル賞受賞者が 30 人くらいいるんだけど、平和賞を受賞したヘンリー・キッシンジャー元国務長官等を数少ない例外として、残りの多くは物理学賞や経済学賞、化学分野なんだとか。ノーベル賞ってのが価値判断基準になるかどうかはともかくとして、これだけ分野が偏ってるのはやっぱり普通じゃないし、それが世界に大きな影響力を持ってたとなれば、世界も普通じゃなくなるよな、と。

今、その歪みがいろいろ(ホントにいろいろ)なところで出てきてるし、そういう意味でもすごく示唆に富んでる一冊。ストーリー自体はメチャメチャダイナミックなハナシも多いんで近現代史的な読み物としても楽しめるし、良くも悪くも近現代のアメリカを知る上で勉強にもなる。

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