2011/11/09

Minimal freestyle art of words.

"太平洋をつなぐ詩の夕べ ゲーリー・スナイダー & 谷川俊太郎
 An evening with GARY SNYDER & SHUNTARO TANIGAWA" ★★★★☆
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10 月 29 日に新宿の明治安田生命ホールで、同年代であり、今もなお現代の日本とアメリカを代表する詩人として活躍しているゲーリー・スナイダー(GARY SNYDER)と谷川俊太郎の 2 人が出演したポエトリー・リーディングのライヴ・イヴェントが行われた。

ゲーリー・スナイダーは 1930 年生まれで、谷川俊太郎は 1931 年生まれ。1950 年代に詩人としてのキャリアをスタートさせたっていう共通点を持ち、1971 年に谷川俊太郎がゲーリー・スナイダーのキット・キット・ディジーの自宅を訪ねているなど、親交の深い 2 人が同じステージに立つっていう、なかなか豪華且つ興味深いイヴェントだったんで、ちょっと日が経っちゃったけど、一応、感想をまとめておこうかな、と。

会場の雰囲気としては、基本的には谷川俊太郎ファンが多かったような気がする(まぁ、当然って言えば当然だけど)けど、個人的な目当ては圧倒的にゲーリー・スナイダー。これまでにもゲーリー・スナイダーについては何度か取り上げてる通り、すごく好きな詩人 / 作家なので。

もうそれなりに高齢ということもあり、次にライヴを観れる機会がいつあるのかわからない(もちろん、特に他意はないけど、まぁ、年齢を考えれば、そう考えざるを得ない)って意味でも、これは行っとかないとまずいな、と。ゲーリー・スナイダー自身は日本との関係も深くて、わりと頻繁に来日はしてるんだけど、実はライヴを観るのは初めてだったりしたんで。

イヴェント自体の特徴としては、'ポエトリー・リーディングのライヴ・イヴェントである' ってことになるのかな。特に日本ではポエトリー・リーディングって表現自体、それほど馴染みのある形態ではないけど、このイヴェントのコンセプトのひとつには「'詩' という言語アート表現が '印刷' って媒体を通じて流通されるようになったのはごく最近、直近の数十年のことであり、古来、詩は朗読って形態でライヴで発表され、楽しまれてきたものだ」的なことがあったらしく、かなりピュアでプリミティヴなカタチのポエトリー・リーディング・ライヴ・イヴェントだったって言えるのかな。

全体の印象として一番強く感じたのは、やっぱり「なんてラヴリィでチャーミングな老人なんだろう」ってこと。もちろん、2 人とも。もう 80 歳くらいなんだけど、素直に、すごくステキな年の取り方をしている印象が強かった。

あと、パフォーマーとしての魅力もかなり強く感じたかな。それぞれがそれぞれの詩の対訳を朗読するってシーンもあったんだけど、自分の詩ではなくても十分魅力的で。声のトーンとか抑揚・間の活かし方とか、その立ち振る舞いの佇まいまで含めて、やっぱり一流のアートでありパフォーマンスだな、と。

ゲーリー・スナイダーはオリジナル・ビートニクスの 1 人で、ジャック・ケルアックの(JACK KEROUAC)『ザ・ダルマ・バムズ』(Link: Amzn)のジャフィーのモデルとなったことで知られて、他のビートニクスたちが早急に人生を駆け抜けた印象なのに対して、静かに、でも力強く、一貫した姿勢で創作活動を行い、ライフスタイルを提案してきた印象。1974 年に発表した代表的な詩集『亀の島』(Link: Amzn)ではピューリッツアー賞を受賞してて、今はビート〜ヒッピー的な流れをルーツにしつつ、もっと広くて深いネイチャー・ライティングとかディープ・エコロジーとかって呼ばれるような作品を発表してる。個人的にすごく影響を受けてる作家の 1 人で、詩だけじゃなくてコラムとかエッセイもすごく好きで(例えば、『惑星の未来を想像する者たちへ』とか『野性の実践』とか)。自分も年を取ってきたからか時代の変化のせいか、初期の作品はもちろん、わりと後期のネイチャー・ライティング〜ディープ・エコロジー的なモノにすごく感銘を受けてる感じがあるかな。

あと、ゲーリー・スナイダーの魅力として、ある種、日本的〜東洋的な世界感があるんだけど、そこで引き合いに出される日本人作家が、言わずと知れた日本文化史のレジェンド的な存在なのに、個人的に何故かこれまでにキッカケがなくて、一般的に知られてる以上の知識とか思い入れとかを持てずにいた作家だったりする点がある。もちろん、ゲーリー・スナイダーは若い頃に日本で暮らしてた時期があったりするくらいなんで、もともと日本との関わりは深い作家だし、思想的な影響を受けたり交流が生まれてることは全然不思議ではないんだけど、そういう部分とは別のレイヤーで、もっと個人的なレベルのハナシとして、レジェンド的な日本人作家なのにアメリカ人の作家を経由して興味を持つって体験は、(良くも悪くも)ちょっと不思議な感じだし(ある意味で、現代的と言えるのかもしれないけど)、その媒体になり得る作家ってには独特な重要性があるし、やっぱり、すごく魅力的でもあるな、と。

そこで引き合いに出される日本人作家の代表格が宮沢賢治であり、今回、共演した谷川俊太郎であったりもするんだけど。まぁ、谷川俊太郎に関しては、もう説明不要っていうか、現代の日本で知っていうアート・フォームをもっと魅力的に体現してるリヴィング・レジェンドだし、決して一部のマニアのレベルではないスケールで広く愛されてるすごく希有な作家でもある。アマゾンでちょっと検索してみれば、知ってる作品ばかりだし。そういう意味では、特に積極的に著作や活動をフォローしてなくても目にする機会が多いレベルの存在だし、当然、ちょこちょこと読んだり聞いたりしてるはしてるんだけど。ただ、熱心にフォローしたり、遡って掘ってみたりはしてなかった。宮沢賢治も然り。別に、キライなわけではないし、むしろ、読んでみれば好きなんだけど。まぁ、そういう、何故かこれまで能動的に触れる機会がなかった作家に触れるキッカケが海外の作家だってのはある意味で不思議だし、でも、逆にアートとか文化の持つプリミティヴな力なのかなと思ったりもして。

プリミティヴって意味では、'詩' って表現、'詩' ってアート・フォームのプリミティヴな魅力もあらためて強く感じたかな。シンプルで、ミニマルで、フリースタイルで。俳句や短歌のような定型はないし、ラップほどルールの縛りも強くないし。自由度が高い分、簡単にできそうでもあるけど、逆に、オリジナリティを出したり魅力的に表現するのはすごく難しいし。そういうのが個人的にはすごく苦手(っつうか、ヘタ)なんで、余計にそう感じるのかもしれないけど。

ちょっとハナシはズレるけど、'パフォーマンスとしてのポエトリー・リーディング' っていうと、個人的に思い出すのはやっぱりデフ・ポエトリー・ジャム(Def Poetry Jam)。デフ・ポエトリー・ジャムってのは、名前からも解る通り、デフ・ジャム(Def Jam)のラッセル・シモンズ(RUSSELL SIMMONS)のプロデュースで 2002 年から 2008 年まで HBO で放送されてたポエトリー・リーディング・ライヴの TV 番組(正式名称は "Russell Simmons Presents Def Poetry")で、ホストを務めたモス・デフ(MOS DEF)を筆頭に、ヒップ・ホップ / R&B 系のラッパーやシンガー、さらにはよりベテランのアーティスト / 詩人まで出演してたモノ。YouTube で今でも一部の主なパフォーマンスは観れるんだけど(気に入ってるモノを再生リストにまとめてみた)、これぞまさに 'パフォーマンスとしてのポエトリー・リーディング' って感じで。しかも、わりとメジャー感があるって意味でもなかなか希有且つ興味深い試みだったな、と。まぁ、コレが成り立つだけのクオリティとリテラシーがあることが前提だし、その環境がすごく羨ましいんだけど。

デフ・ポエトリー・ジャムと今回のゲーリー・スナイダー & 谷川俊太郎の間をつなぐものとして、例えば、1990 年代にはソウル・ウィリアムス(SAUL WILLIAMS)やジェシカ・ケア・ムーア(JESSICA CARE MOORE)、カンパニー・フロウ(COMPANY FLOW)らが参加した "Eargasms: Crucialpoetics, Vol. 1"(Link: Amzn)ってコンピレーションだとか、ソウル・ウィリアムスが出演した映画『スラム』(Link: Amzn)だとか、ニューヨリカン・ポエッツ・カフェ(Nuyorican Poets Cafe)とかがあったりして、特にニューヨリカン・ポエッツ・カフェなんかは、ゲーリー・スナイダーのルーツである 1950 年代のサン・フランシスコの動きなんかに通じる部分を感じたりもするんで、そういう文脈でもなかなか興味深かったりする。もちろん、その間にはギル・スコット・ヘロン(GIL SCOTT-HERON)やザ・ラスト・ポエッツ(THE LAST POETS)や、ちょっと違った角度でボブ・ディラン(BOB DYLAN)みたいな詩人もいるし。この辺のコンテクストは、ちょっと掘ってみたい部分だったりする。

まぁ、今回のイベント自体に関しては、明治安田生命ホールって会場の雰囲気のせいなのか、主催者のテンションのせいなのか、ちょっと堅苦しくて、なおかつ垢抜けない印象はあったかな。個人的には、事前の告知も全然見かけなかったし、ウェブサイトもイマイチ鈍臭い感が否めなかったし。ちゃんとプロモーションされてたのかな? まぁ、あまり接点のないところには情報が流れてたのかもしれないけど(例えば、新聞の小さい広告とか)。まぁ、満席だったから成功なのかもしれないし(キャパは 342 席らしい)。

実際、当日の夕方まで、このイヴェント自体を知らなかったし。家でサッカーを観てたら偶然、アウトドア・ライターのホーボージュン氏のツイートで見て、「おっ!」って思って調べたら数時間後に新宿でやることがわかったくらいで。インターネットでの予約は既に閉め切られてたんだけど、当日券は若干あるってことだったので、場所も新宿だから歩いていけるし、とりあえず行ってみた、と。ホーボージュン氏のツイートは、見ての通り「これから向かう」って内容のツイートだったんだけど、たしかホーボージュン氏は湘南方面に住んでるんで、時差的にすごく絶妙だったんだけど。まぁ、これはこれで、なんか、ちょっと感慨深かったんだけど。すごく現代社会っぽいっつうか、Twitter の特性が顕著に現れてる感じがして。

実際の会場も「静かにありがたいお話しを拝聴する」みたいな雰囲気だったし。もっとフランクでラフというか、カジュアルでリラックスした感じのほうが相応しいと思うけど。まぁ、あえて堅苦しく高尚な感じにしてるってよりは、単に '垢抜けない' って感じだったけど。でも、なんか、もったいないよなぁ、って。ただでさえ、ちょっと取っ付きにくい印象があるし、コンテンツ(=パフォーマンス)自体はすごくいいのに。

ちなみに、当日、配られた冊子によると思潮社から「ゲーリー・スナイダー・コレクション」なるモノが刊行されるんだとか。これはこれで喜ばしいことなんだけど、これも検索してもほとんど引っかからなかったりする。これはこれで、ちょっとどうにかしたほうがいいと思うけど。



* Related Item(s):


ゲーリー・スナイダー 著 『野性の実践』 Link(s): Previous review
1990 年に発表されたエッセイ集 "The Practice of the Wild" の邦訳。ゲーリー・スナイダーの思想や世界観がよくわかる。

ゲーリー・スナイダー 著『惑星の未来を想像する者たちへ』 Link(s): Previous review
ゲーリー・スナイダーが 21 世紀以降に向けた考え方をまとめたエッセイ集。禅やネィティブ・アメリカンの土着の思想、コスモポリタニズムなどをベースに育まれた彼の思想がまとめられている。


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