2009/01/18

Music is playing inside my head over and over again.

ヒットこそすべて ー オール・アバウト・ミュージック・ビジネス

. :朝妻 一郎 著 白夜書房)

古い(なんて失礼かな? 熱心な、と言ったほうが適切かな)音楽ファンには、キャロル・キングの名盤『つづれおり』等、数多くのアルバムのライナーノーツを執筆してる音楽評論家 / ライターとして知られ、音楽ビジネスの世界では数多くのヒット曲を生み出した(それこそ『帰って来たヨッパライ』から『千の風になって』まで)仕掛人として知られる朝妻一郎氏が、そのキャリアを振り返りつつ、自身の手掛けてきた音楽出版という仕事を中心に、音楽ビジネス自体についても広く、そして詳しく記した一冊。音楽業界のみならず、音楽ファンの間でも広く知られている朝妻氏なので、これまでにこういった著作がなかったことが不思議なくらいだけど、多忙で、現役感の強い人なので、こういうタイプの「これまでを振り返る」的なモノには抵抗があったのかな、なんて気もするし、そういう意味では待望の一冊と言える。内容は、これまでの経歴やエピソードを書き下ろしただけでなく、過去に手掛けたライナーノーツや雑誌での連載、さらに大滝詠一や秋元康との対談など、数多く収録されてて、資料性も高いし、読んでてメリハリもあるし、予想通りというか、文句なくすごく面白いし、500 ページ近くある(しかも、段組み構成のページがかなりあるので、実質的な文量はもっと多い)にも関わらず、すごく読みやすいし、読み応えがある(ただ、書き下ろしの部分の文量がちょっと少ないかな、って印象はあるけど)。

「ヒット曲の仕掛人」って書いたけど、朝妻氏は現在、フジパシフィック音楽出版というフジサンケイ・グループの音楽出版社の会長で、当初は音楽ライターとして、後に音楽出版というビジネスを通じてヒット曲を量産し、日本の 音楽業界に大きな功績を残してきた人物。音楽出版っていうビジネスについては、音楽業界で働いてる人でもキチンと理解してない人が案外多いし、『部長 島耕作』の中でチラッと触れられてたことがあったけど、それもイマイチ明確じゃなかったんで、たぶん、音楽ファンでも多くの人はよくわかってないと思うんだけど、 基本的には「楽曲の著作者(作詞・作曲者)の著作権を、著作者の代理として管理・運用する」のが仕事。つまり、簡単に言うと、
著作者のために楽曲が生み出すさまざまなカタチの利益(作詞・作曲の印税)を少しでも多く発生させるように努力し、同時に、その契約・経理等の手続きをキチンと行い、その仕事に対して(手数料として)一定の「取り分」を得る、ということ。

その「
さまざまなカタチの利益」 というのが、具体的にはその曲が収録された CD の売上げや音楽配信だったり、テレビ・ラジオ・映画・CM 等での使用だったり、カラオケであったりする。そういう風に、いろいろなカタチで楽曲が使用されて、作詞・作曲印税が多く発生している状態というのが、いわゆる「ヒット」ってことになるわけで、ヒット曲を生み出し、そのヒット曲をスタンダード(時代を超えて、いろいろなカタチで愛され続ける曲)にしていくことが音楽出版の最大のミッションで、それこそが朝妻氏がフジパシフィック音楽出版(前身のパシフィック音楽出版を含む)でやってきたこと。なので、朝妻氏のやってきたことを紐解いていくと、必然的に、音楽出版というビジネス、そして、音楽ビジネスがどのように成り立ってるのかがよくわかる。

ちなみに、「音楽出版(music publishing)」と呼ばれてるのは、もともと
楽譜(譜面)の印刷・頒布というカタチで初めて音楽の著作権使用が始まったから。もちろん、まだ放送もレコードもない時代で、人気のある曲の楽譜はよく売れて、その売上げの一部を、作詞・作曲者に印税というカタチで支払っていた、と。つまり、楽譜が印刷されるようになって初めて音楽の複製・頒布が可能になったわけで、そういう意味では、音楽ビジネスそのもの始まりが音楽出版だったとも言える。その後、昔ながらの出版に加えて(楽譜だけでなく歌詞の掲載なども含む)、レコードや CD といったパッケージ、放送、カラオケ、CM、映画、さらにはネット配信等、音楽著作権がさまざまな形態で使用されるようになるにつれて、音楽出版社のカバーする範囲も広がった、と。間違えられやすいけど、決して音楽関係の雑誌・書籍を出版してる会社ではない。

あと、もうひとつ、混乱しやすい部分として、レコード会社(レーベル)やアーティスト・マネージメント(事務所)との違いがあると思うんだけど、簡単に言っ ちゃうと、音楽出版社が扱うのは「楽曲」で、レーベルが扱うのは「音源」で、事務所が扱うのは「タレント(アーティスト)」って整理できる。例えば、山崎まさよしの『セロリ』っ て曲について整理すると、この曲の作詞・作曲は山崎まさよし本人、レコードのリリースは所属レーベルであるポリドールで所属事務所はオフィスオーガスタなんだけど、『セロリ』は SMAP のカバーも大ヒットしてる(他のアーティストのカバーもある)。この時に、ポリドールにとっての「商品」は、あくまでも山崎まさよしがレコーディングした 「音源」で、その「音源」が収録された CD という「商品」を売ることで収益を上げる。SMAP のレーベルはビクターなので、ビクターは SMAP のヴァージョン(音源)を収録した CD という「商品」から収益を上げる。つまり、レーベルはあくまでも「音源」が収録された「商品」を製造・販売するのが仕事ということ。オフィスオーガスタは山崎まさよしというアーティスト自身が、ある種の「商品」なので、CD 以外でも、ライヴとか CM 出演とか、いろいろな活動すべてにおけるアーティストの活動から収益を上げる。ジャニーズと SMAP の関係も同様。つまり、ポリドールの立場から見ると、SMAP の CD がいくら売れても、いくらカラオケで歌われても直接的には一銭の利益も生まないということ(もちろん、プロモーション面での相乗効果はあるけど)。

それに対して、『セロリ』って楽曲の著作権を(著作者である山崎まさよしに代わって)管理する音楽出版社は山崎まさよしの CD が売れようが、SMAP の CD が売れようが、他のアーティストのカバーが売れようが、カラオケとかオルゴールとかで使われようが、『セロリ』という楽曲には違いがないので、等しく利益を得ることができる。ここがけっこうキモの部分で、もちろん、全部売れればみんなハッピーだし、そのために協力して相乗効果を生み出そうとするんだけど、 純粋な目的はそれぞれ似て非なるというか、微妙に違ってるってこと。逆に言うと、それぞれ違う立場の人間がそれぞれの目的達成のために努力することが副産物的な効果も生み出すし、1+1 が 3 にも 4 にもなるってことだし、これが音楽ビジネスのダイナミズムの根源にもなってる、と。実際には、レーベルと事務所と音楽出版社がキレイに分かれてないことも多いし、いろんなケースがあるんで、何でもこう単純に整理できるわけではないけど、原則としてはこういうことになる。

ちなみに、もうひとつ、理解しにくいモノとして JASRAC(日本音楽著作権協会)があるけど、これはレコード会社や放送局、カラオケ・メーカー等、著作権使用者から使用料を徴収する団体で、楽曲の使用状況に応じて音楽出版社に使用料を分配する。いわば、著作権使用者と音楽出版社の間にある存在(現在は JASRAC 以外にも同様の業務行う企業があり、著作者が選択できる)、レーベル・事務所・音楽出版社と競合するものではない。

すっかり、前書きが長くなっちゃったけど、こういう前提がわかっていたほうが、朝妻氏の功績がわかりやすいし、本書を楽しめる(もちろん、本書の中でも丁寧に説明されてるけど)。
僕はひたすら「ともかく胸キュンの曲、悲しい曲を書いてよね」って言ってた。(中略)どうして「胸キュン」にこだわったかと言うと、やっぱりヒットする曲の 要素って 2 つしかないという思いが僕にはあった。聴いてハッピーになるか、聴いて胸がキュンとなるか、そのどちらか。もちろんそれ以外だってあるんだと思うけど、常にヒットの王道はその 2 つ。
これは朝妻氏が、大滝詠一の名盤 "A LONG VACATION" の原盤制作に携わっていたときに、大滝氏に対して出したリクエスト。
"A LONG VACATION" と一連のナイアガラ関連の作品は朝妻氏の携わった仕事の中でもマスターピースのひとつであるだけじゃなく、日本のポップ・ミュージック史の中でも燦然と輝く金字塔だと思うし、この辺りが個人的にはこの本のクライマックスだったりするんだけど、このセリフが朝妻氏の音楽の嗜好と音楽出版社の人間としてのスタンスが如実に表れている気がする。

もともと海外の音楽、特に
アメリカン・ポップスが好きで、ポール・アンカ・ファンクラブの会長を務めてた流れでライナーノーツの執筆を依頼されるようになり、徐々に音楽ビジネスの世界に入ったという朝妻氏は、当時の、いわゆるアメリカン・ポップスの黄金時代を体験してる。アメリカン・ポップスの黄金時代というのは、実は音楽出版ビジネスの黄金時代でもあったわけで、今とは比べ物にならないほど情報が少なかった当時、雑誌やレコードに必ず明記されてる音楽出版社の情報が貴重な情報ソースだったそうで、そうした中から音楽出版ビジネスに興味を持ったというのも頷ける。どういうことかというと、「アメリカン・ポップスの黄金時代」っ ていうのは、職業作家(作詞家・作曲家)が曲を書き、その曲をピッタリな歌手に歌わせる、というカタチでレコードが作られてた時代。数多くのソングライ ティング・チームがたくさんの曲を書き、契約している音楽出版社がいろいろなレコード会社や歌手にそれを売り込み、レコード化する。そんな中で、ヒットを 連発する優れたソングライティング・チームと音楽出版社が出てきて、そうして生まれたヒット曲がシーン(=ヒット・チャート)を支えてた。

その代表格が、ソングライターならバート・バカラックとハル・デヴィッドのコンビだし、音楽出版社なら、朝妻氏が本書の中で繰り返し名前を挙げてる(相当好 きらしい)、キャロル・キングとゲリー・ゴフィンやニール・セダカとハワード・グリーンフィールドといったソングライティング・チームを抱えてた音楽出版 社、アルドン・ミュージック。そういう音楽に傾倒していった朝妻氏が、そういった優れた音楽を日本に紹介しつつ、同じようなことを日本でやっていこうと 思ったのが、後の功績につながるわけで、その辺の経緯が、自身の携わった仕事だけでなく、アメリカの音楽(とビジネス)についても広く記されてるのが本書 だ、と。

実際には、ザ・フォーク・クルセーダーズの帰って来たヨッパライ』からジャックスの『ジャックスの世界』、シュガー・ベイブの『ソングス』、元ザ・フォーク・クルセーダーズの北山修・加藤和彦の『あの素晴しい愛をもう一度』、 オフコース、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、ナイアガラ等々、さらにはおニャン子クラブやウィンクまで、時代を変えたり、時代を超える金字塔的な作品から、ちょっと芸能界・業界チックなモノまで、挙げればキリがないほどのヒットを手掛けてるんだけど、やっぱりその根底にあるのは、(ガールズ・ポップやバブ ルガム・ポップみたいなポップとかいい意味で笑えるコミック・バンド的なモノも含めて)ポップ・ミュージック(=広く愛されるポピュラー・ミュージック) がすごく好きだってこと。あと、同時に、一件ウサン臭そうに見える業界チックなモノも含めて、やっぱり、まず音楽として考える「音楽の人(ミュージック・マ ン)」なんだな、ってことがすごく伝わってくる。個人的には、おニャン子クラブで大ヒットを連発した作詞家の秋元康氏との対談で、朝妻氏が「卒業とか、人が成長していく時期を描いた曲としては、ほんとにいい詞だし、いいメロディーだし、明るいし、大好きだね」っておニャン子クラブの『じゃあね』を評してるのがすごく印象的だった。そう言われてみれば確かにそうだし、やっぱり、こういう風に音楽を聴いてるんだな、って(そう、サウンドは古くなるけど、名曲は決して古くならない。だから、スタンダードって呼ばれるんだし)。

自身の経歴の部分以上にページを費やして、ティン・パン・アレイ(もちろん、細野晴臣が組んでたバンド名ではなく、その由来となったアメリカの音楽業界で音楽出版社が全盛だった時代・場所を指す言葉として)の詳しい解説、マイケル・ジャクソンのビートルズの著作権買収について、海外の音楽ビジネス事情、さらには音楽著作権の資産価値に至るまで、音楽ビジネスのさまざまな側面について語られてるんで、とても勉強になる(例えば、アメリカの音楽業界が昔からいかに商魂逞し かったか、とか)。

実は、個人的にもすごくお世話になった人で、社会人としての最初の 2 年間、朝妻氏の下で働かせて(というか、学ばせて、かな)もらったりしてるんで、そういう意味でもすごく面白く、同時に勉強になったりしたんだけど、 まぁ、面識もあるしキャラクターも知ってるんで、イマイチ客観的に読めないところもあるんだけど、そういう個人的な部分を抜きにしても、日本のポップ・ ミュージックの歴史とか、音楽ビジネスについてとか、音楽ファンだったらいろいろな意味ですごく楽しめる一冊になってる。

あと、この手の(って言ったら失礼かな?)にしてはタイトルもいいし、装丁デザインも素晴らしい。タイトルは、まぁ、語感にはただならぬセンスを持ってる人だから、当然って言えば当然だけど、想定は誰がやったんだろう? と思ったら、アート・ディレクションはピチカート・ファイヴの小西康陽氏。そういえば、小西氏は生粋のバカラック好きで、それこそティン・パン・アレイに代表されるような職業作曲家に憧れてたと公言してる人物で(そうなれなかったからバンドを組んだらしい)、もちろん朝妻氏とも(世代は違うけど)知己の仲なので、まさにうってつけのキャスティングで、さすがの出来映え。

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