『ドーン』
. :平野 啓一郎 著(講談社) ★★★★☆
今年の夏に「講談社 100 周年記念 書き下ろし 100 冊」の一環として発売された小説で、1999 年の『日蝕』で当時 23 歳で芥川賞を受賞した 1975 年生まれの小説家、平野啓一郎による書き下ろしの新作。まぁ、こんな風に書いてみたものの、このレヴューを書くために今、調べただけのことで、別に著者について何か予備知識があったわけではなくて。「どっかで見たことあるような名前な気がするなぁ」くらいには思ったけど、別にそれが読もうと思った理由じゃないし。読み終わってから調べてみたら、『ウェブ進化論』で知られる梅田望夫氏と著者が対談した『ウェブ人間論』を読んだことはあったんだけど。でも、スッカリ忘れてたというか、名前が一致してなくて(もちろん、『ウェブ人間論』はこの『ドーン』よりも前だし)。だから、著者に関しては、ほぼ予備知識がなかったって言っていい感じだった、と。
読もうと思ったキッカケは、まぁ、話題作らしくて、いろんなところで見かけてたってのもあるけど、まぁ、設定というか、書かれてる舞台。初じめて人類が火星に降り立った 2033 年が舞台で、そのクルーのひとりが日本人で、その日本人が、火星に行った宇宙船 'DAWN' の中で起こった事件のせいで、大きな事件に巻き込まれていく…、って感じなんだけど、「火星」「有人ミッション」とか言われると、まぁ、それだけでちょっと魅かれちゃうというか。たまには SF 小説の新しいモノでも読んでみるか、みたいな軽い感覚もありつつ、タイトルとか装丁とかキャッチコピーとかから判断する限り、そんなに悪くなさそうな感じがしたんで。まぁ、この辺は、ただのカンなんだけど。でも、こういう感覚って、結構大切。レコード / CD とか、映画とかもそうだけど、こういう、なかなかロジカルに説明できない部分って、実は結構大事なので。そういう意味では、ネーミングとかデザインとかって大事だよなぁ、なんてあらためて思ったりもして。
まぁ、結論としては、思ったほど「宇宙モノ」じゃなかったって意味ではちょっと期待外れ。往復の航路とか火星でのミッションとかについての言及があまりなくて、ちょっとイメージしてたモノとは違ってたかな。いわゆる「SF」的なディティールを細かく積み上げて宇宙でのシーンにリアリティを持たせていくタイプの SF ではなかったな、と。まぁ、よく知らずに勝手にそういうお門違いなモノを期待しちゃってただけなんだけど。
でも、面しろくなかったかっていうと、全然そんなことはなくて。むしろ、近未来を描いたエンターテインメント小説としては全然楽しめた。500 ページくらいあるけど、全然苦にならなかったし。作中には、街中に公私両方の監視カメラがあって、その映像がネットワーク化・データベース化されてて、しかも公開されてて普通に検索可能だったりとか、そのせいか、整形技術がすごく発達してたりとか、エコ・バブルが弾けてたりとか、マラリアが軍事転用されてたりとか、領土を持たない国家があったりとか、「ウィキノヴェル」なんてモノがあったりとか、今、現実にはないけど、わりとリアルにあることがイメージできちゃうような設定が随所に散りばめられてて。アメリカ大統領選挙をモチーフにしてるところとかもタイムリーだし。どこか妙に冷めたテンションも含めて、すごく同時代的な感じがして、わりとシックリくる。
あと、わりと重要なテーマというか、概念として出てくる「ディヴィジュアリズム(分人主義 dividualism)」って考え方も、ちょっとハッとさせられるし。昔、『四重人格』(映画『さらば青春の光』・アルバム・小説)なんてのがあったけど、そうではなくて、要するに、個人っていうのは社会関係の数だけ「ディヴィジュアル(dividual)=ディヴ(div)」を持ってて、それが集まったのが個人なんだ、って感じの考え方。まぁ、もうちょっとベタな言い方をすると「(無意識に作ってる)キャラ」みたいなものかな。職場でのディヴ、家庭でのディヴ、学校でのディヴ等々。まぁ、言われてみれば、それこそ、このブログも含めて、インターネットなんてその最たるモノで、ブログ用のキャラ、SNS 用のキャラ、2ch 用のキャラみたいのは、意識的(または無意識)に作ってると思う(2ch に書き込みとか、別にしないけど。まぁ、例として)し、そこに、リアルな人間関係でのキャラも加わるわけで。もちろん、全部がそれぞれバラバラなわけじゃないけど、でも、全部が一致してるって言えるかって言えば、そんなことは言えないわけで。まぁ、そんなもんは昔から大なり小なりあったことだろうけど、そういう傾向がすごく顕著に現れてるのが現代(っつうか、本書では近未来)なんだと思うし。別にそれがいいとか悪いとかってハナシとは別の次元の問題として、わからない感覚ではないな、と。
そういう、随所に散りばめられてる要素が、「小説ってフォーマットを使って現代社会の問題を斬る」みたいな、気負った感じのテンションではなく、わりと冷めたテンションであっさりと、ごく自然に取り扱ってる感じもすごく同時代的だと思うし。まぁ、感覚的な部分なんで、個人的な好みにも大きく左右される部分だとは思うけど。最終的に行き着くところに関しても(ネタバレになるんで詳細には触れないけど)、100% 共感するわけではないにしても、まぁ、そこにいっちゃうよな、やっぱ、みたいなところはあるし。
まぁ、実際には同時代ではありつつも、著者はちょっと年下だったりして、「小説家」が年下って時点でちょっと新鮮だったりもするんだけど。これまでは、小説っていうと、かなり上の世代か、ちょっと上の世代か、どっちにしても「上の世代」の人が書いたモノを読むって意識が強かったんで。そういえば、だいぶ年下の綿矢りさの『蹴りたい背中』も読んだけど。でも、彼女の場合は年下過ぎて同時代的な感覚はちょっと薄かったし。全くわからんほどではなくて、客観的には「そうみたいね」ってレベルではわかるけど、少なくともリアリティを持って実感できるレベルではない、って意味で。でも、この『ドーン』は、同時代感覚っていうか、同世代感覚みたいなのが感じられて、フツーに読めて、フツーにシックリくる感じはある。好き・嫌いは抜きにして。そういう感覚って、持てそうで、でも、少なくとも小説ってジャンルではなかなか持てなかったりしてるんで、そういう意味では貴重な一冊(であり作家)って言えるのかな、とも思うし。まぁ、個人的には、別に「メチャメチャ感動した」とか「人生が変わった」とか「目から鱗」みたいなモノではないけど、フツーに読めて、フツーにシックリきて、フツーに楽しめた、そんな、ありそうで、実はあまりない感じの一冊だったかな、と。
まぁ、読み終わってみてから、あらためて『ウェブ人間論』を読み直してみたら、まぁ、この『ドーン』の布石というか、ベースの部分みたいなモノは感じられて。まぁ、ちょっと前の本だから情報が微妙に古いし、『ウェブ進化論』も含めて、別に梅田望夫氏にそれほど共感してるわけじゃないんで(一応、ちょっと前にインターネットについてけっこう真剣に考える機会があって、その時に『ウェブ進化論』と『ウェブ人間論』と、茂木健一郎先生との対談『フューチャリスト宣言』は読んではみたんだけど)、今、読んでみてどうこうってハナシではないけど。でも、世代感覚というか、時代感覚みたいなモノの所在というか、ベースみたいなモノは見えた気がする。「あぁ、こういう感覚なのね、やっぱり」みたいな。好き・嫌いは抜きにして。
まぁ、これが SF なのか純文学なのかみたいな不毛な議論には興味がないけど、今の時代を生きてて、それなりにテクノロジーとかネットワークとかコミュニケーションとかの在り方みたいなモノに自覚的に生活してる人なら、わりとフツーに楽しめる、間口の広いエンターテインメントなんじゃないかな、と。まぁ、活字離れが叫ばれてる昨今なだけに、こういう同時代な感覚で書かれた小説は取っ付きやすいだろうし、コミックとかアニメーションとか映画ではなかなか表現できない、小説ならではの情報量と描写表現も味わえるんじゃないかな、なんてちょっとオッサンみたいなことも言いたくなったりして。
MISSION TO MARS
2 comment(s)::
こんにちは!関心空間から来ました。『ドーン』、大統領選の記述にぐいぐい引き込まれました。『ウェブ人間論』、未読なので読んでみたいと思います!
コメント、ありがとうございます。『ウェブ人間論』もなかなか考えさせられますよ。
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