2009/11/17

El espíritu detrás de la máscara.

ルチャの狂気 覆面の孤独

. :大川 昇 著コトブキヤ

一昨日のエントリーの『ラジカセのデザイン!』に続いて、ってわけでもないけど、もう一冊、写真集っぽくない版型の写真集を。自ら「'プロカメラマン' というよりは 'プロレスカメラマン'」という著者が 20 年以上に渡って撮り続けてきたメキシカン・プロレス=ルチャ・リブレの写真をまとめたモノ、って言っちゃえばそれまでなんだけど、なんか、こう、迫りくるような、不思議なパワーを持った写真ばかり(出版元のサイトで何枚か見れる)で、なかなか趣き深い一冊なので。

ちょっと好きな人には広く知られてる通り、「ルチャ・リブレ(lucha libre)」ってのは「自由な戦い」って意味のスペイン語で、メキシコではかなりポピュラーなスポーツ(っていうか、感覚的には大衆娯楽に近いのかな?)。一般的には、覆面レスラーが多くて、派手な空中殺法とかスピーディなボディ・ムーヴが特徴(実際には、別に空中殺法ばかりじゃないらしいけど)。あと、覆面とか髪とかを賭けて戦う試合(日本では「覆面剥ぎデスマッチ」とか「ヘアー・デスマッチ」とか呼んでたかな?)なんかも、ルチャの特徴かな。

別に、特
ルチャ・マニアなわけではないんで、詳しくはわかんないんだけど、それでも、写真を見てると、キレイなお姉ちゃんを従えて登場してくる感じとか、花火とか派手な仕掛けとか、アメリカン・プロレス的な仕掛けもありつつも、覆面とコスチュームの独特なデザイン・センスとか、やっぱルチャ以外の何モノでもない世界観はすごく強く感じる(ちょっと、ブラジルのカーニヴァルのヴィジュアル・センスとか空気感に似てるかな?)。っつうか、そもそも、半裸の男がマスクを被って戦ってる時点である種、異様だったりもするわけで。アメリカでもヨーロッパでもないアジアでもないセンスっていうか、そういう空気感みたいのがすごく面白いし、興味深い。あと、やっぱ、空中殺法=トペ・スイシーダの写真のカッコよさは際立ってる。もう、単純に美しいし。ホントに「翔んで」る。特にドス・カラス Jr. とか、もう、ホレボレするくらいフォトジェニックで。

思えば、多くの 30 代後半の日本人男性のご多分に漏れず、覆面レスラー / メキシカン・プロレスとの出会いはミル・マスカラスとドス・カラスのマスカラス・ブラザーズだったわけで(動きが遅くて飛ばないエル・カネックはあまり好きじゃなかった)、小学生の頃はマス・カラスが会場に投げるマスクが超欲しかった(でも、ドス・カラスのほうが、ちょっとスリムで好きだったりもしたんだけど。基本的に「弟派」なんで)し、「ミル・マスカラス(mil máscaras)」ってのが「1000 のマスク」って意味だってこととか、「ルチャ・リブレ」とか「プランチャ(・スイシーダ)」とか「トペ・コン・ヒーロ」って単語を、意味も解らずに覚えようとしてた。たぶん、人生の中でのメキシコって国とのファースト・コンタクトだったし、メキシコに対する基本的なイメージはこの頃に刷り込まれた気がするし。まぁ、出会いとしては、すごくいい出会いだったと思うけど。その後は、覆面レスラーっていっても日本人レスラーの印象のほうが強くて、例えば、初代タイガー・マスク(≒佐山聡)とか(スーパー・)ストロング・マシーン辺りはけっこう好きで、獣神サンダー・ライガーくらいまでは観てたけど、ウルティモ・ドラゴンとか三沢光晴のタイガー・マスク辺りになるとあまり観てないし。個人的な嗜好が UWF 〜 リングス 〜 総合格闘技 〜 MMA って流れに向かうに従って、いわゆる「プロレス」的なモノからは離れるようになっちゃったんで。

も、最近、にわかに興味が出てきたっていうか、文化としてとか、デザインとしてとか、そういう面ですごく興味が湧いてきてたりもする。たぶん、ラテン・アメリカには、あまりにも強大で、いろんな面でその影響をまともに受けてて、も、抗わずにはいられない存在としてアメリカって国が常に意識にあると思うんだけど、そのアメリカの一番近くで、長い国境を接しながら、それでもあくまでもラテン・アメリカであり続けるメキシコの歴史とか在り方とかって、すごく興味があるし。そうやってアメリカに抗いながらも、ラフで豪快でゴキゲンで、でも、ノーテンキなけじゃない感じとか、すごくいいし。

実際、写真を見てると、何と言うか、すごく色彩豊かでカラフルだし、仕掛け
も派手だし、ゴキゲンで陽気な感じがするのに、一方で、そこにはモノ悲しさというか、哀愁みたいなモノが漂ってて、だからこその生々しくてリアルに感じられて。なんか、上っ面だけの作りモノじゃない感じというか、ある意味ですごく非現実的な光景なのに、同時に、すごく土着してるようにも見えて。そういう感じが、なんか、すごく味わい深い。トペ・スイシーダの写真とか、ホントに美しくて、でも同時に、この人たちはなんでそこまでするの? 的な思いもたげてきたりして。

あと、やっぱ覆面。スゲェ気になる。まぁ、
もともと、アステカ文明の伝統の影響でマスク的なモノが神聖化されてるみたいなハナシは聞いたことがあるけど(ホントかどうかナゾだけど)、それにしても、こんなにも一般的になってると、その深層にどういう意識があるのか、すごく気になるし。それこそ、シャア・アズナブルじゃないけど、マスクで素顔を隠して別のキャラクターになりきるって行為自体にも、根源的な何かがあるだろうし、それを見てあれだけ喜ぶってところにも何かディープなモノがありそうだし。人は覆面に何を感じ、何を求めてるんだろう? って。あと、覆面が剥がされそうになってる写真とか、ホントは覆面が非現実なのに、破れたところから覗いてる顔の一部のほうが逆に非現実的に感じられたりして、なんか、すごく不思議な感じがするし。

まぁ、写真集としては、
もっと大きなサイズで見たかったなぁなんて思う部分もありつつ、写真の合間に挟まってる詩のセレクトがビミョーな感じというか、ちょっと違和感を感じたりもするけど(まぁ、著者の好みなんだろうけど、 でも、写真のパワーは圧倒的。静止画なのにスゲエ動きがあるっていうか、躍動感があって。なかなかヤバイ仕上がりの一冊だな、と。
mil máscaras