2011/08/27

Mind the gap.

『地球の論点 ー 現実的な環境主義者のマニフェスト』
 スチュアート・ブランド 著 仙名 紀 訳 (英治出版) ★★★☆☆ 
 Link(s): Amazon.co.jp

著者紹介に '未来学者' なんて肩書きが書かれてるスチュアート・ブランド(Stewart Brand)の最新作で、今年の 6 月に出版されたモノ。

原著は 2009 年出版の "Whole Earth Discipline: An Ecopragmatist Manifesto"(Links: iTS / Amzn)なので、タイトル周り的にはかなり直球っていうか、あまり奇を衒ってない感じで、変なタイトルの訳書が多い中で、なかなか良心的な印象(ただ、帯はちょっとやりすぎ感があるけど)。

タイトルと著者名でわかる人にはわかる通り、著者のスチュアート・ブランドは、1968 年から出版されてた伝説の雑誌、"Whole Earth Catalog" の発行人・編集者として著名な人物。特に、アップルのスティーヴ・ジョブズ(Steve Jobs)が 2005 年 6 月にスタンフォード大学で行った卒業生向けのスピーチ(iTunes でポッドキャストとして公開されてる)で、若い頃に強く影響を受けた雑誌として名前を挙げたことで近年、あらためて注目を集め、特に、"Whole Earth Catalog" の最終号で使われた "Stay hungry, stay foolish." って台詞は、スピーチの締めくくりの言葉として印象的に引用されたこともあって、すごく有名になった。

「ちょっとやりすぎ感がある」って書いた訳書の帯には、表 1 面に "若き日のスティーヴ・ジョブズを熱狂させた伝説の雑誌『ホール・アース・カタログ』発行人が描く地球の「グランド・デザイン」。" と、表 4 面にはスタンフォード大学でのスピーチの該当部分が掲載されてて、帯上の情報量として 50% 以上を占めてる印象。スチュアート・ブランドの説明としてスティーヴ・ジョブズのスタンフォードでのスピーチを引き合いに出すことは理解できるけど、別にスティーヴ・ジョブズは本書の内容とは特に関係ないんで、ちょっとやりすぎかな、と思わずにはいられない。

しかも、訳書の表 4 にも "Stay hungry, stay foolish." って言葉が載ってたりして(写真の通り)。原著のデザインは確認できてないんで、原著もそんなことになってるのかはわかんないけど、ちょっと首を傾げたくなる。まぁ、昨今の訳書にはよくある傾向なんだけど。

肝心の内容はというと、基本的には環境問題についてなんだけど、サブ・タイトルに 'ecopragmatist' って言葉がある通り、かなりプラグマティックな印象。もともと、著者は "Whole Earth Catalog" の時代から環境問題には意識的な人なんだけど、従来の環境保護論者を 'グリーン派' と呼ぶことを引き合いに出しつつ、いわゆるグリーン派とは一線を画してて、「グリーンに地球や空や海のブルー、生命の象徴であるブルー、科学とテクノロジーが好きなブルーを混ぜ合わせたターコイズ・ブルー(トルコ石の色)」を象徴的な色として掲げるターコイズ派なんて言い方をしてる。 

私は生涯、環境活動家(エンバイロンメンタリスト)だ。10 歳の時に決意した。「ボクは、アメリカの天然資源 ー 空気や土、鉱物、森、水、野生動物 ー を守るために一生懸命に闘う」。
「地球を救う」というのは大げさな言い方だ。地球は何が起こっても安泰だろう。生命も同様。トラブルを抱えてるのは人類だ。しかも、この状況の原因は私たち人類なのだから、そこから脱出できるはずだ。
私は 40 年前に『ホール・アース・カタログ』を立ち上げたが、その巻頭にこう書いた。「私たちは神のごとく、ものごとをうまく処理することが望まれる」ー ずいぶんと、のどかな時代だった。新たな状況には、新たなモットーが必要だ ー「私たちは神のように振る舞わなければならず、しかも巧みにやり遂げなければならない」。『ホール・アース・カタログ』は各人の力を呼び覚ました。本書は、もっと前向きの力を結集することを狙っている。

著者は 1982 年から古いタグ・ボートを住居として使ってて、太陽熱パネル発電だけで電力をまかなってる(地震や山火事の多いカリフォルニア州でも被害を被りにくいって理由なんだけど、どうも、津波は想定してなかったりしてるっぽい)らしく、基本的なスタンスは上に引用した感じで、2 番目の文とか、世に蔓延ってるウソくさくて傲慢な 'エコ' なんかよりよっぽどシックリくる。

具体的な内容としては、テクノロジーの進化や人口動勢、都市計画とスラム、エンジニアと科学者と夢想家の役割、地球工学、原子力、遺伝子の組み換え等、多岐に渡ってて、個別の案件としてはなかなか興味深い内容ではあるし、いろいろな示唆にも富んでいる。

そんな中で、個人的に面白いと思ったのは人口動勢と都市計画のハナシ、特にスラムに代表される密集した居住環境をポジティヴに捉えてる点。例えば、人間関係やコミュニティの濃密さが生まれる点とか、経済・資源・移動等の基本的な効率の高さも興味深い。あと、前にレヴューした『日本の国立公園』で紹介されてたアメリカの自然保護・国立公園のバック・カントリー / フロント・カントリーの考え方(フロント・カントリーは、一般的な公園のように「誰でも入れる自然な空間」としてキチンと整備するのに対し、同時に、バック・カントリーは極力人の手を入れることを制限して、保護に努める)にも似てるけど、自然への負担も集中できて、結果的に自然へのインパクトは小さくできる、と。スラムやファヴェーラっていうと、一般的にはネガティヴな印象が強いと思うけど、よく考えれば確かに上手く活用できれば利点も大きくできそう(やっぱり、'希望が持てるスラム' と '絶望的なスラム' を区分する決定的な違いは '社会的なつながりが持てるかどうか' にかかってるんだとか)。'ニュー・アーバニズム' とか呼ばれてるみたいなんだけど、ちょっと逆転の発想っぽいところも含めて、ちょっと面白いな、と。具体的なアイデアとしても、例えば、都市部の屋根や道路(アスファルトやコンクリート部)を白(系)の色にすればかなりヒート・アイランド現象を抑えられるとか、なかなか面白いし、すぐやれよって気がするし(個人的には、最近の夏の暑さは地球温暖化よりもヒート・アイランド現象だと思ってるんで。あと、本書で直接触れられてるわけじゃないけど、個人的にはエアコンの室外機と排気ガスをもっとどうかしたほうがいいと思ってる)。

あと、そうした環境でモバイル機器(もはや、単に '携帯電話' なんて言えない)がもたらしたものとか(ダイレクトなコミュニケーションや機会の増加、識字率の向上等)、デジタル・ディヴァイド(情報格差)よりも、むしろ「遅れて持つ者は、進んだ技術を迅速かつ手広くモノにできるので、60 億もの人間が情報ネットワークによって繋がれるに違いない」なんて見方も面白いし。

他にも、「ナチス・ドイツは自然保護区の創設や森林づくりなどをヨーロッパに導入し、いまでいう生物の多様性に貢献した」とか「北東アジアの野生動物の楽園が韓国と北朝鮮の境界線部の非武装地帯にできている」とか、ちょっと見落としがちなポイントかな。

ただ、同時に、個人的には違和感を感じる部分も少なくなかったりするかな。まぁ、その原因はわかってて、別に内容のせいでも著者のせいでもないんだけど、単純に、原著の執筆・出版のタイミングと、 訳書の出版(及び実際に読んだタイミング)のズレっていうか、ギャップの問題なんだけど。しかも、通常なら別にたいした問題じゃないくらいなズレなんだけど、本書に関しては、奇しくも間に 3 月 11 日の東日本大震災と福島原発の事故が起こってて、内容的にもかなり関連性が強かったりするんで、その影響を強く受けちゃってる。つまり、読んでても常に「B311 に書かれたモノだ」って想定が頭にある(置いておかなければならない)ってことだし、そここそ、大昔の古典的な書籍とかだったら、時代の違いを認識し、変化を脳内で補完しながら読むし、古典的なモノであれば時代の違いを超えて読む価値があるんだけど、あまりにも時期が近くて、しかもその間に価値観等を決定的に揺さぶるような出来事が起こったって意味では、ある意味ではすごく象徴的でもあり、同時にかなり微妙でもある感は否めない。

その傾向がもっとも顕著に表れてるのが、やっぱり原子力についての考え方。以下が著者の原子力に関する考え方が顕著に表れてる部分なんだけど、基本的には、原子力推進派だ、と。

環境運動家が原子力を敬遠したがる、重要な原因がある。それは致死性のある放射性廃棄物を、何世代にも渡って引き継いでいかなければならないという難題だ。私も 2002 年のある日までは、そう考えていた。私が原子力に対する考え方を根底から変えたのは、ユッカ山を訪れたときだった。

ユッカ山っていうのはネバダ州のラスベガス郊外の砂漠の中にある高レベル濃度の放射性廃棄物の保管場所らしいんだけど、まぁ、この辺のハナシとか、A311 の日本ではやっぱり、なかなかピンとこない。

「放射能は、たとえ微量でも人体、あるいはどの生物にも悪影響をもたらすからだ。地中の伏流水も汚染される」。いつの時代の人類に、どのような悪影響をもたらすというのだろうか。将来の人類が私たちと同じ懸念を持ち、同じテクノロジーを持っている、というのが前提の議論だ。例えば、2000 年後にテクノロジーが格段に進歩していれば、どうだろう。人類は、放射能漏れがあればたちどころに探知して処理できるかもしれない。石器時代に後戻りすれば、放射能などまるで問題なかった。2000 年後、1 万年後のことを考えてみよう。長い時系列で考えて見れば、問題が悪化するとは思えない。むしろ、消えていく。

上のほうで触れたターコイズ派の 1 人として、反原発の立場が主流のグリーン派に対して訴えてる意見のひとつにこのような意見があって、もちろん、一理あることは認めるけど、やっぱり、イマイチピンとこないっていうか、あまりにも楽観的で無責任だと思わざるを得ない。実際、これまでの核 / 原子力政策の根拠も、このくらいの無責任な楽観主義で押し進めてきた結果、今ではニッチもサッチもいかなくなってるわけで。

あと、すぐに「経済成長のためには」とか「今の快適な生活を続けるには」とかってロジックもすごく違和感ある。本書自体は、必ずしもそこをすごく強調してるわけではないんだけど(ただ、原発に関しては経済的な理由が大きいかな)、原発好きの論者がわりと使いがちな論旨と近かったりはしてるんで。ロジカルなようで、実はわりと突っ込みどころもあったりするし、そもそも、これからもそのロジックでやっていけるとは思えないし(まぁ、このハナシは書き出すと長くなるからここではやめとくけど)。

もうひとつ、環境問題 ≒ 地球温暖化的な論点が前提になってる(っぽい)ことも、個人的にはそもそもピンとこないんだけど。環境問題はメチャメチャシリアスな問題だと思ってるけど、それが、ほぼ地球温暖化と同意語的な意味で使われてるのがかなり抵抗あるっていうか、違和感があるんで。

私見によれば、環境保護運動の成功には 2 つの条件があると考えている。ー 夢想家とでも言えるロマンチシズムと、サイエンスだ。そこに第三の要素が加わる。(中略) 最近は、環境問題に取り組む顔ぶれのバランスに変化が出ている。しだいにエンジニアの数が増える傾向にあり、彼らは環境の現状をロマンティックな側面から悲劇の到来として慨嘆するわけではないし、科学的な謎解きにのめり込むこともなく、状況を元通りに直そうとひたすら努力する。彼らは手段として科学者にデータを求め、科学者もテクノロジーが科学を前進させる「持ちつ持たれつ」の関係にあるので歓迎する。ロマンチストはエンジニアを評価したがらない。何事も修正可能と過信するエンジニアを傲慢だと感じるからだ。者は三様で、ロマンチストは問題が発生することを歓迎し、科学者はその原因を突き止め、エンジニアはそれを解決する。

全体としては、わりとピンとくる部分もあれば、けっこう微妙な感じがする部分もあって、個人的な印象としては面白さ半分、違和感半分って感じかな。

まぁ、実は読む前はわりと楽しみにしてたんで(スチュアート・ブランドなんで)、思ってたほど楽しめなかった感はあるかな、正直なところ。執筆と訳書の出版のタイミング的なギャップと 311 の発生っていう想定外の出来事のことも含めて。

っつうか、むしろ、A311 の(そして、今月、アメリカの東海岸でも M5.8 の地震が起こり、原発が運転を停止した)今、どう考えてるのか、何か考えに変化があったのか、あったとしたらどう変わったのか、それとも変わってないのかって点にはより興味があったりするけど。アップデートされた A311 版を読みたい感じかな。

0 comment(s)::