『日本の国立公園』 加藤 則芳 著 (平凡社新書) ★★★☆☆
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これまでにも『森の聖者 - 自然保護の父 ジョン・ミューア』や『自然の歩き方 50 ー ソローの森から雨の屋久島へ』、インタビューが載ってる『Spectator』をレビューした八ヶ岳在住の作家 / バックパッカーの加藤則芳氏が、日本の国立公園の現状と問題点について綴った 2000 年の著作。新書って基本的には好きじゃないし、あまり読まないんだけど、別に新書だから読まないってわけではないんで(そんなのナンセンスだし)。
『自然の歩き方 50』でもちょっと触れられていた国立公園にポイントを絞った内容で、実際に現地に足を運んで現地の人やレンジャーに聞いた話や法律や統計といったデータ、さらには日本の国立公園ができたプロセスやそこで生まれて今も解消されてない構造上の問題(林野庁と環境庁の縦割りの弊害や軋轢等)からアメリカでの国立公園の成立や現状まで、事実は事実として記しつつ、主観は主観として乱暴なくらいに展開されてて、なかなか面白い。
ラルフ・ウォルド・エマーソンの「魂の豊かな心理は自然の中にあり、自然の中に、なにものにも頼らずに己の内なる本源によって立つときが、最も崇高である」って言葉を引用しつつ、ヘンリー・デヴィッド・ソロー、そして「国立公園の父」と呼ばれるジョン・ミューアへとつながっていくアメリカの国立公園自体に内在している思想について最初に触れてるんだけど、つまるところ、この部分の社会的なコンセンサスの欠如、もっというと教育とリテラシーの低さが日本の本質的な問題なのかな、と。
別に「けしからん!」って非難したいわけでも何でもなくて、素朴に「全然よくわかってないよね」って意味で。だって、国立公園って何なのか、自分自身よくわかってないし。こういうことって、中学とかで教えてくれてていいんじゃね? とかフツーに思う(似たようなことは他にもいっぱいある。自転車のルールとか、国の保険や年金なんかのシステムとか。どこでも、一度もキチンと説明されたことないのに「オトナなんだから知ってて当然」みたいなこと、多くね? 一応、フツーの大学を卒業してる人間でも知らないって、問題じゃね? って思うんだけど。みんな、どっかでこっそり習ってるのか? なんて思ったりしちゃう。細かく書き出すと長くなるからやめるけど)。国立公園にハナシを戻すと、「自然がキレイなところなんで、なんとなく大切にしましょう、ってことになってる地域」ってイメージくらいしかないし、でも、そう言われてるわりに実際に現場に行ってみるとけっこう開発されてるし、逆に「いろいろルールがあってメンドくさそう」みたいなイメージもあったりして(例えば、指定された場所以外ではテント泊が禁止されてる、とか)。けっこう素朴にナゾだったりする。
だって、なんとなく、イメージとしては「国立公園 > 国定公園 > 都道府県市町村立の公園」ってヒエラルキーになってるんだろうって認識はあって、その上に「世界自然遺産」ってのがドーンってあって、「世界遺産だと、さすがにいろいろとルールがあるんだろうな。それも仕方ないね」みたいな感じしかなかったりするんで。世界遺産と国立公園の間がすごく離れてるような印象。日本人は「世界に認められた」ってのに弱いから。
では、この『日本の国立公園』を読んでスッキリしたかっていうと、全然スッキリしてなかったりするんだけど。別にこの本がわかりにくいってことではなくて、むしろわかりやすいからこそ、「全然スッキリしない」ってことがよくわかった、ってことなんだけど。もともとは、明治期にアメリカのイエロー・ストーンをモデルにしつつも、同時に国威発揚と国民の跋渉に供するって意図もあったりしてたらしいし、1957 年に制定された自然公園法(国立公園・国定公園・都道府県立の自然公園について定めてる)の条文には「この法律は、すぐれた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図り、もって国民の保険、休養及び強化にしすることを目的とする」なんてあったりして、なんかよくわかんないし。ちなみに、国立公園は「わが国の風景を代表するに足りる傑出した自然の風景地(海中の景観地を含む)であって、環境庁長官が指定し、その公園事業、公園計画を環境庁長官が決定するものをいう」らしく、国定公園は「国立公園に準ずるすぐれた自然の風景地であって、環境庁長官が指定し、その公園計画は環境庁長官が決定、その公園事業は各都道府県知事が決定するもの」、都道府県率自然公園は「すぐれた自然の風景地であって、都道府県が指定し管理するもの」なんだとか。
多くの国立公園は、自然保護よりも観光開発による経済的有効利用に主眼を置いてて(だからけっこう開発されてる)、国立公園内の国有林は林野庁の管轄で、環境庁(そして 2001 年に環境省に格上げされても)は比較的新しいし、なおかつ金を生む組織ではないことから力が弱かったり、まぁ、そこには、当然利権があったり、そこを票田とか資金源にしてる政治家がいたりとかって話なんで、とても根深くて、悲しくなるくらいレベルの低いハナシなんだけど、さすがにもうキチンとデザインしない(「し直す」というほどデザインされてすらない)とマズイことは間違いない。
けっこう興味深いのが、1988 年に屋久島の女性レンジャーを訪ねた時のエピソード。全文掲載されてるんだけど、屋久島って言えば比較的先進的なイメージがあったんだけど、当時はむしろ、現地住民の意識はそれほど高くなかったらしくて、今のイメージは 1993 年の世界遺産登録以降のものなんだとか。今でも保護の管轄が錯綜してたり、急に予算が取れたから違う組織が似たようなビジター・センターを作ったりとか、しっちゃかめっちゃからしいんだけど、それでも 15 年くらいでだいぶ意識は変わるんだなぁ、なんて思ったりもする(例え、「世界」に弱いって面はあっても)。
他にも、アウトドア・フィールドとしての国立公園って視点を取り入れてる釧路湿原国立公園とか、アクセスが容易なフロント・カントリーとそこを歩くものしか受け入れないバック・カントリーっていうアメリカの国立公園の考え方を取り入れて負荷を上手くコントロールしてる中部山岳国立公園とか、それなりに上手くいってる例もあるし、真摯に活動してる環境庁のレンジャーや自然保護のために活動してる人たちの現実に目を向けた取り組みとか、いいハナシも多いし、日光とか尾瀬とか知床みたいなメジャーなところから、アクセスが悪いが故にいっそう魅力的な小笠原諸島とか、単純にすごく行ってみたい気分にもさせられる。
日本の国土の 67%、つまり 2/3 は森林であるにも関わらず、この体たらくはもう、悲しくなるやら恥ずかしいやらなんだけど、一方で先進的に見える(っていうか、実際に先進的なんだけど)アメリカであっても、実は過去約 300 年で国土の大部分の森林を伐採した過去があるし、国立公園の制度は進んでる反面、エネルギーとかは酷いことをずっとやってきてたわけで、そういういい部分も悪い部分も含めて、やっぱりキチンと知らないとハナシにならないし、「知る」っていうのはただ本を読んだりするだけじゃなくて、実際に現場に行ってみないとダメだし、でも同時に、ただ行くだけでもダメだし、両方とも大事で、そのためにはいろんなレベルでキチンとした編集とデザインが必要だな、と痛感したりもした。
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