2009/04/28

Saudade 2 Saudade.

サンパウロへのサウダージ』クロード・レヴィ=ストロース 著 今福 龍太 訳
(みすず書房)  Link(s): Amazon.co.jp / Rakuten Books
 
野生の思考』や『構造人類学』などの著書で知られるフランスの社会人類学者・思想家、レヴィ=ストロースの 1996 年の著作 "Saudade de São Paulo" に、訳者の今福龍太がブラジル滞在時にその足跡を辿り、撮った写真をもとに綴った論考を追加したちょっと変わった一冊で、発売は 2008 年。
 
レヴィ=ストロースといえば、去年、生誕 100 年(というか、100 歳の誕生日)を迎えたフランスの社会人類学者・思想家で、レヴィ=ストロースとブラジルといえば思い出されるのは 1955 年の名著『悲しき熱帯 I / (同) II』なんだけど、その基になったのが 1935 〜 1937 年のブラジル滞在で、その時にサン・パウロの風景を撮影した写真をまとめたものが 1996 年に発表された "Saudade de São Paulo" ということで、つまり、これは写真集ということになる(一部、サン・パウロ以外の写真も含まれてるけど)。


ブラジルでしか私は写真愛好家ではなかった。

この "Saudade de São Paulo" 発表の 2 年前の 1994 年に、対をなすような写真集『ブラジルへの郷愁』(原著は "Saudades Do Brasil: A Photographic Memoir")という本も出てるらしいんだけど、その序文で、レヴィ=ストロースはこんな風に語ってるという。確かにブラジルってところはメチャメチャフォトジェニックなんで、この気持ちはすごくよくわかる。まぁ、そんなに極端にならなくても、とは思うけど。実際に、その後の彼の研究で写真が重要な意味合いで用いられたことはないらしく、このサンパウロへのサウダージ』(及びブラジルへの郷愁)に使われてる写真にしても、撮影後、帰国時にフランスに持ち帰られることもなく、放置されてたのが奇跡的に発見されて、出版というカタチで日の目を見ることになったんだとか(だから、撮影から出版まで半世紀以上のときを経てる)。写真が発見されたこと自体も、本人は別段、喜んだわけでもなかったらしいし。ともあれ、彼が「写真愛好家だった」貴重な時期に撮影した作品を集めた貴重な写真集だ、と。

貴重な時期って意味では、1930 年代という時代背景もけっこうキモになってて、ポイントのひとつは、人間の視線を映像(画像)として定着させる「スナップショット」って手法がまったく新しい表現方法として確立された時代だった、つまり、簡単に連続撮影ができるロール・フィルムを装備した携帯用の小型カメラが登場・普及した時代だったってこと。レンズ交換が可能で連動距離計が付いた新型市販機、ライカ II 型が発売されたのが 1932 年。彼もこれを使って、まったく新しい表現方法である「スナップショット」という手法で、自分の目線を画像に定着させた、ってことになる。

もうひとつのポイントは、1930 年代のサン・パウロという場所自体の特徴。19 世紀末には 30 万人程度の人口だったのが、この時代には周辺地域も含めると 2000 万を超える世界屈指の都市圏になっていて、通常は数世紀かけて起こる発展が数十年の間に、まるで時間を早送りで見ているかのようなスピードで起こっていた、ということ。そういう時代のダイナミズムは、民族史学者にとって、ネイティヴの存在と同じくらいの意味やインパクトがあって、その真っ只中に身を置いて撮影された写真だ、と

レヴィ=ストロースはブラジル滞在以降、写真に対してかなり冷淡な態度をとってて、写真自体が独立した器用仕事(ブリコラージュ)だとは認めつつも、「私は写真にそれほど重きを置いたことはありません。私が写真を撮ったのは必要に迫られたからであって、いつも時間の無駄だ、注意力の損失だと感じながら撮っていました」「私が写真集を出したのは、周囲の者にどうしてもとせがまれたからです」なんて言ってたりする。その根底には、ファインダー越しに見ることによって、観察者の精緻な知覚が失われること、そして、西欧列強が植民地主義の下で行ってきた搾取の延長線上にある暴力的且つ搾取的な機能を、写真という文明社会の装置のひとつが持っていることに自覚的だったことがあるという。まぁ、わかりにくい表現だけど、真実を写すのが写真なら、必ずしも真実だけを写すとは限らないのも写真なわけで、時には擬いものにもなるし、見る者を「見た(わかった)気にさせる」こともあるし、激烈で無節操な欲望の消費物にもなり得るし、それが人を傷つけたり、迷惑をかけたり、何かを奪ったりもする、と。『ディス・デイ「希望の一日」』のエントリーでも書いたような、「誰もがみんなフォトグラファー」な現代でも、この本質は変わってないし、なかなか示唆に富んでて、気にとめとかなきゃな視点だったりする。

そんなわけで、その時の写真は半世紀以上のときを経て日の目を見ることになったわけだけど、そのタイトルとして使われた言葉は「サウダーヂ」。この「サウダーヂ」って言葉については、細川周平氏の『遠きにありてつくるもの』のレヴューでも触れた通り、なかなか掴みどころのない言葉で、だからこそ奥が深い。以下は、ちょっと長いけど、この『サンパウロへのサウダージ』の序文の冒頭からの引用で、なかなか興味深い。

<サウダージ> saudade という単語は翻訳不可能だ、とブラジル人はいう。日本人もまた、彼らのことばで <あわれ> という単語について同じことをいう。興味深いのはこれらの語にある共通性が見られることだ。どちらの単語にも <ノスタルジア> に近い意味を探りあてることができるのだ。しかしそれだけでは誤解しやすい。なぜなら、ポルトガル語にはすでにノスタルジアという語が存在し、日本人もホームシックという英語を自分たちのものとして取り入れて使っているからだ。だからそれらの語の意味はノスタルジアと同じではない。

語源にしたがえば、
<ノスタルジア>とは過ぎ去ったものや遠い昔への感情である。一方、<サウダージ> や <あわれ> はいまこの瞬間の経験を表象しているように思われる。感覚によるか、想起によるか、いずれにせよ、そこでは人やモノや場所の存在が、それらのはかなさ、一過性についての激しい感情に浸された意識によって完全に占領されている。

私が近著のタイトルで、ブラジルにたいして(そしてサンパウロにたいして)
<サウダージ> という表現を採用したのは、もうそこに自分がいないのだという悲しみによるものではなかった。あれほど長いあいだ再び訪ねることもしなかった土地にたいして、いま嘆き悲しんで何の役にたつというのだろう。むしろ私は、ある特定の場所を回想したり再訪したりしたときに、この世に永続的なものなどなにひとつなく、頼ることのできる普遍の拠り所も存在しないのだ、という明白な事実によって私たちの意識が貫かれたときに感じる、あの締めつけられるような心の痛みを喚起しようとしたのだ。

単なる「ノスタルジア」でも日本語の「郷愁」でもない、微妙で何ともいえない、ここでいうところの「あの締めつけられるような心の痛み」って、なんとなくわかるような、でもなかなか簡単に一言でいえないような感覚なんだけど、そういう微妙なところにこそ、グッとくるものがあったりするもんで。半世紀以上の時を経て出版することになった写真集には、単なる「ノスタルジア」を超える何かがあるんだろうし、それも含めてやっぱり「サウダーヂ」って言葉が相応しいってことなんだな、と。ちなみに、レヴィ=ストロースは最初のブラジル滞在後は、1985 年に当時のミッテラン大統領のブラジル公式訪問に同行して 5 日間滞在しただけなんだとか。

だからこそ、訳者(というか、限りなく編者・共著者的だけど)の今福龍太氏による「時の地峡をわたって」と題された論考と写真も成り立つんだろうし。今福氏は前に『ブラジルのホモ・ルーデンス』で取り上げた文化人類学者・批評家なんだけど、2000 年に半年間、奇しくも半世紀以上前にレヴィ=ストロースが教えたのと同じ州立サン・パウロ大学に招かれ、日本文化研究所の大学院で講義を行うためにサン・パウロに滞在してて、その時にこの『サンパウロへのサウダージ』と出会い、『悲しき熱帯』に感じていた疑問への鍵になるという直感のもと、その足跡を追い出し、写真を撮影したという。もっとも、この時に撮った写真も(レヴィ=ストロースほどではなかったものの)そのまま数年間放置された後に、2007 年に「ブラジルから遠く離れて 1935/2000」というインスタレーションを行う機会を得て、初めてレヴィ=ストロースの写真と「併置」したんだとか。その辺の時間的経過も含めて、そこから得られた思考とイメージの蓄積であるこの論考と写真は、写真という表現形態に関する考察としてもなかなか興味深い。

そういう部分を含めても含めなくても、なかなか味わい深い本ではあって、本人が望んだかどうかに関わらず、モノクロームのブラジルの風景はなかなか魅力的。やっぱり写真って表現方法の持つ意味合いとかパワーは感じちゃう。装丁も、通常のハード・カバーよりはちょっと大きめのサイズで、写真もわりと見やすく配置されてて。まぁ、できれば、写真集の装丁で作ってくれれば良かったのに、とは思うけど。


JAIME & NAIR "Olhos Para São Paulo" (From "Jaime & Nair")




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