2009/02/15

Walk and be modest.

『自然の歩き方 50 ー ソローの森から雨の屋久島へ : 
 加藤 則芳 著 (平凡社)  Link(s): Amazon.co.jp / Rakuten Books

これまでにも『森の聖者 - 自然保護の父 ジョン・ミューア』やインタビューが載ってる『Spectator』を取り上げた八ヶ岳在住の作家 / バックパッカーの加藤則芳氏の 2001 年の著作。加藤氏がこれまでに訪れた世界中(もちろん、国内も含む)のアウトドア・フィールドの中から選りすぐりのスポットを紹介しつつ(聖地・ヨセミテやソローの森、さらには林芙美子が『浮雲』で「ひと月で 35 日雨が降る」と語った屋久島まで)、その背景にある考え方などを綴った 50 編の短いエッセイで構成されてる。

 各編に割かれてるページが 2-3 見開きということで、読み物としてはわりとスルッと読めちゃうというか、それほど読み応えがある感じではないし、写真の良さも活かせてない(オフィシャル・サイトやペンタックスのサイトにあるアパラチアン・トレイル踏破の特設ページを見れば、加藤氏の写真の素晴らしさがわかるはず)。そういう意味では、新書っぽい不満足感というか、物足りなさはどうしても感じちゃう。このくらいの文量をまとめるなら、写真をメインに見せる雑誌的なカタチのほうが相応しい気がするし、個人的にはもっと文量が欲しい気がするし、どっちにしても、ちょっともったいないな、と。

そうは言っても、紹介されてるスポットはすごく魅力的だし、加藤氏は日本の国立公園』って本を書いてるくらい日米の国立公園について詳しい人なので、とても勉強になるし、なかなか面白い。例えば、アメリカの国立公園はある種の治外法権でレンジャーには逮捕権まであるってハナシだったり、その国立公園を実現させたラルフ・ウォルド・エマーソンやヘンリー・ソロー、ジョン・ミューアといった先駆者のハナシとか、世界一の樹高を誇るレッドウッドは 1 日に 1900 リットルの水蒸気を発散させ、自力で雨を降らせるってハナシとか、カリフォルニアにロシアの要塞の跡があるってハナシとか、バックパッキングのベースになった 60 年代のカルチャーについてとか。

特に好きなのは、アメリカではアウトドアはもともとクワイエット・スポーツだと考えられてる、ってハナシ。つまり、アウトドア・スポーツとは、自然の中で、自然に脅威を与えることなく、自然と優しくつきあい、自然を楽しむことだ、と。そこにはオート・キャンプとかは含まないんだとか。これって、何でもないことのように思えるけど、すごく大事だし、ツボだったっていうか、目からウロコだった。オート・キャンプとか野外フェスティバルとかスキー場とかゴルフ場とかに感じてる違和感に繋がるような気がするんで。加藤氏はこんなことを書いてる。

歩 くことによって、人は謙虚になることができる。単純であり質素であることの大切さを知り、驕り昂ることの愚かさを学ぶ。ビート・ジェネレーションの代表的 詩人であるゲーリー・スナイダーも、歩くことによって、人類が本来持っていた強い精神と魂が鍛えられ、謙虚な心とのバランスをとることができる、という意 味の詩を書いている。


だからといって、そのためにぼくは歩きつづけてきたわけではない。質素であることのすばらしさや謙虚であることの意味を知り、人にとって本当に大切なものがなんなのか、ぼく自身も歩くことによって学んできたのである。

基本をやっぱり歩くこと。そこにホースバック・ライディングとかクロスカントリー・スキーとかカヌーとかが加わる、と。こういう感覚(快感って言い換えてもいい)って、伝わってそうで案外伝わってなくて、すごくもどかしいというか、もったいない感じがする。決して難しく考えることじゃなくて、すごくシンプルな部分なのに。この辺に、何か大事なポイントがありそうな気がする。

旅をする。感動する。また来たいと思う。これっきりじゃものたりない。でも、これで見納めだろう、とも思う。短い人生で、訪れたいところはいくらでもある。いくら気に入ったからといって、同じところに何度も足を運ぶ贅沢はそうできるものではない。

もう一度来てみたいと思いつつ去り、たいがいは、結局それっきりということになってします。あるいは、それこそが旅の旅たるゆえんなのかもしれない。

この言葉は、わりと最初のほうに書かれている加藤氏の基本的なスタンスみたいなモノ。これが、なんか、すごくシックリきた。そういうことなんだよな、って。もっと言うと、同じ場所でも、まったく変わらない部分があるのと同時に、行くたびに違うっていうか、一度として同じなんてことはないし。そんなにインスタントなモノじゃないし、だから魅力的なんだし。

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