2008/12/28

Revolutionary natural.

自然農法 わら一本の革命福岡 正信春秋社 ★★ 

前に『<自然>を生きる』をレビューした福岡正信氏の代表作で、"The One Straw Revolution: An Introduction to Natural Farming" として英訳もされていて、海外では日本以上に評価・知名度が高いという一冊(その辺の事情は『Spectator』の「Whole Pacific Northwest Life Catalog vol. 1」号でも触れられてる)。ちなみに、今回読んだのは 2004 年に発行された新刊なんだけど、表紙のデザインは 1983 年の原書のほうがカッコイイので、左の写真は原書のモノを載せてる。

1983 年に出版されたこの本の序文には、以下のような辛辣な言葉が書かれている。福岡氏は不耕起・無肥・無農薬の自然農法と、粘土に 100 種類以上の種を混ぜた粘度団子を蒔くことで緑と色のパラダイスを実現することを唱えて自らの農園を営み、2008 年 8 月 16 日に 95 歳で亡くなった人物で、表紙の写真にもある通り、仙人のような雰囲気のキャラクターと、科学や進化論を真っ正面から否定しちゃうような、ある意味ラディカ ルとも言える独特でユーモラスな自然観・哲学の持ち主。曰く、自然農法とは「自然の意志をくみ、永遠の生命が保証されるエデンの花園の復活を夢みる農法で ある」。それこそが、わら一本から起こすことができる革命である、と。

飛躍しすぎた言葉ともとれようが、地球の砂漠化は、人間が神なる自然から離脱して、独りで生き発展しうると考えた驕りに出発するものであり、その業火は今、地球上のあらゆる生命を焼き亡ぼしつつある証(現象)だと言えるのである。

自然に流転という変化はあっても、発達はない。始めもなく、終わりもない自然が、しぜんに亡びることはないが、自然は愚かな人智によって、いとも簡単に亡びてしまう。

『<自然>を生きる』のレビューでも書いたけど、やっぱりこの爺さん、ちょっとラディカルで、すごくユーモラスでチャーミング。特に科学者を槍玉に挙げることが多いんだけど、こんなこととか平気で言ってたりして面白い。

偉くなろうと思って、夜も昼も一生懸命本を読んで勉強して、近眼になって、いったい何のために勉強するんだといえば、偉くなって良いメガネを発明するためだ、というようなことなんです。勉強しすぎて近眼になって、メガネを発明して有頂天になってる、これが科学者の実体だと思います。

根本的には、技術者は技術者である前に、哲学者でなきゃいけない。人間の目標が何かということをつかみ、人間は何を作るべきかということをつかめなきゃい けない。医者でもですね、何によって人間が生きているかということを、まず最初につかんではじめて、方針が決まるんです。

その独特な理論に目くじら立てて批判する人も多いみたいだけど、そういう無粋なことを言わないで(最近、そんなヤツばっかだけど)、こういう面白い爺さんのハナシは素直に面白がって聞いとくべき。

ミニマイズするというか、削ぎ落としてくような思考(指向・志向)はすごく示唆に富んでるし、こういう風に乱暴に、でもユーモラスに言われると、思わず素直に共感しちゃう。以下、ちょっと長いけど、いくつか好きな部分を引用。

だいたい私は、労働という言葉がきらいなんです。別に、人間は働かなきゃいけない動物じゃないんだ。働かなきゃいけないということは、動物の中でも人間だ けですが、それは、もっともばかばかしいことであると思います。どんな動物も働かなくて食っているのに、人間は働いて食わなきゃいけないように思いこんで 働いて、しかも、その働きが大きければ大きいほど、それが素晴らしいことだと思っている。ところが、実際は、そうではなくてですね、額に汗して勤労するな んてことは、一番愚劣なことであって、そんなものはやめてしまって、悠々自適の、余裕ある生活を送ればいい。

今までは、ああすればいい、こうすればいい、といって手を下す、それが発達だと思って盲目的に前進し、自然と闘争してきた科学というものが、ここらあたり で立ち止まってですね、私が米作り、麦作りでやってきたように、ああしなくてもよかったんじゃないか、というような方向を探求して、何もしないということ をやることが、唯一人間のなすべきことである、人間は何もしなくてもよかったんだ、ただ生きていくだけで、そこに大きなよろこびがあるし、幸せがあったん だ、何かを獲得することによって、よろこびや幸せがもたらされるものではない、ということを知るようになってくれば、自然農法の使命というものも、おのず から達成されてくると思うんです。

経済成長 5% より 10% のほうが幸福が倍加するのか。成長率が 0% がなぜ悪い。それがむしろ不動の経済じゃないか。

東も西もない、と弘法大師はいう。万巻のお経の中で一番ありがたい、大事が書いてあるとされる般若心経の中で、お釈迦さんは '色即是空、空色是色。物質も精神もひとつ。しかも一切は空なり。人間は生きているのでもなく、死んでいるのでもない。生ぜず滅せず、老いも病もなく、増 えもせず、減りもしない' と断言している。全くやけくその言葉である。

人間は自然を知っているんではないんだ。そして、この '自然を知っているのではない' ということを知ることが、自然に接近する第一歩である。自然を知っていると思ったときには、自然から遠ざかったものになってしまう。(中略)自然に仕えてさえおればいいんです。

動物は、食べて、遊んで、寝ておればよい。人間も快食、快便、安眠ができれば上出来とせねばならぬだろう。食べるものがおいしくて、楽しく遊び、よく寝る者こそ妙好人である。

こういうことをズバッと言うから、日本よりも海外、特にヒッピーの流れを汲むカルチャーの中で今でも人気があるんだろうな。個人的には、彼の山小屋に貼られているという、「八正道」(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)ならぬ「正食・正行・正覚」って 3 つの言葉もなかなかツボ。この 3 つは切り離せなくて、どれかひとつを欠かすこともできないし、ひとつ達成できればすべて達成できる。だから、まずは「正食」、つまり自然食、自然農法だろう、と。

まぁ、基本的には農法のハナシなんだけど、農学書としてだけでなく、哲学書として読めるところがこの本の素晴らしいところ(そういう意味ではチェ・ゲバラの『ゲリラ戦争』にちょっと似てるかも)だし、個人的に、一番ツボなところ。例えば、こんな言葉とか。

大体人間には 3 つの道がある。
  1. 雨が降ると言って洪水を心配し、晴天になると旱魃がくると嘆く小人の道
  2. 晴れて耕し、雨振れば書を読む。晴耕雨読、心耳に従う大人の道
  3. 雨振ってよし、晴れてもよし、雲の上は青空、晴雨共に晴天と笑う超人の道

実際に、日常の生活や生き方に活かしていこうと思うとそれほど簡単じゃないし、ちょっと禅問答っぽいっていうか、シンプルそうで、なかなか難しかったりするんだけど、だからといって別にメンドくさかったりするわけではなく、むしろポジティヴでピースな感じだったりする。そういう自己矛盾というか、内面の葛藤みたいなモノについてウニャウニャと考えてたら、『ブラック・ジャック』の本間丈太郎先生の『人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね…』ってセリフを思い出したりしたり。この辺にポイントがあるんだろうな。そういうことに気付かせてくれることも含めて、やっぱり読み応えのある、クラシックと呼べる哲学書だな、と。

あと、個人的に面白かったのは、追章として収録されている福岡氏がアメリカに行ったときのハナシ。アメリカの荒涼とした砂漠と、人工的に作られた緑(「自然」ではない)についてのハナシが、川勝平太の「畑作牧畜民の文明と稲作漁撈民の文明」のハナシとシンクロしてて。両者に直接的な関係があるかはわかんないけど、似たようなことを、全然違うアプローチから言ってて面白いな、と(川勝氏は、前にレビューした『智慧の実を食べよう 学問は驚きだ。』でフィーチャーされてる人のひとりなんだけど、文明のハナシとか国づくりのハナシとか、すごく面白い)。アメリカでは、福岡氏は以下のようなことをアメリカで言ってるんだけど、やっぱり、ネイティヴ・アメリカンとか、キチンと勉強してみるべきらしい。

気象学から言えば、雨は上から降るかもしれないけど、哲学的に言えば、雨は下から降るもんだと自分は思う、と言ったんです。下が緑になれば、そこに水蒸気がわいて雲がわいて、雨が降るんだ、と。

私の目には、昔のアメリカンインディアンの生活に、今こそ学ぶべきではないか、大自然の偉大な精神、グレートスピリットと呼ばしめたアメリカ大陸の精神の復活に、一縷の望みを托して帰路につきました。

最後に、あとがきの後に掲載されてる「お願い」と題された文章に書かれている「風心」と題された詩のようなものがとても印象的なので、その一部を引用しておこう。


問題は
人が 善いか 悪いかを考え
自然は 善だ いや悪だと争い始めた時から出発した
 自然は 善でも 悪でもない
自然は 弱肉強食の世界でも 共在共栄の世界でもないのに
勝手にきめつけたのが間違いの根だった
人間は 何もしなくても 楽しかったのに
何かすれば 喜びが増すように思った
物に価値があるのではないのに
物を必要とする条件をつくっておいて
物に価値があるように錯覚した
すべては 自然を離れた人間の一人角力(すもう)だ
無智 無価値 無為の自然に還る以外に
道はない
一切が空しいことを知れば 一切が蘇る
これが
田も耕さず 肥料もやらず 農薬も使わず 草もとらず
しかも驚異的に稔った
この一株の稲が教えてくれる緑の哲学なのだ
種を蒔いて わらをしく
それだけで 米はできた
それだけで この世は変わる
みどりの人間革命は わら一本から可能なのだ
誰でも 今すぐ やれることだから

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