村上春樹 エルサレム賞 受賞スピーチ
(Jerusalem International Book Fair) ★★★★☆
2 月 15 日にイスラエルのエルサレムでエルサレム賞という文学賞を受賞した際に、作家の村上春樹氏が行った約 15 分のスピーチ。なかなか考えさせられるスピーチで、結論から先に言うと、「言葉の機能」と「言葉の力」、そして「言葉のアート」をすごく実感させられたスピーチだった。タイミング的には、数日経ってるんで、もうタイムリーじゃないかもしれないけど、タイムリーさが大事ではないと思うんで。
「スピーチだった」とは言っても、実際にはスピーチ全編の映像を観れたわけではないんで、あくまでもニュース等でダイジェストを観た(いくつか観た中だとこれが一番マトモっぽい。写真もこの動画の中ですごくいいこと言ってる場面のキャプチャ。全編の映像はまた見つからない)のとウェブでテキスト(この haaretz.com のモノが全文なのかな?)を読んだってことなんだけど。
ニュースなんかでも報じられてる通り、エルサレム賞ってのは「社会における個人の自由(!)」に貢献した文学者に贈られるイスラエルでもっとも権威のある文学賞らしくて、日本人としては初の受賞。それだけでもニュースにはなるんだろうけど、折しもイスラエルのガザ攻撃の真っ只中(一時期に比べると、ちょっとは落ちついてるっぽいけど)、パレスチナの平和を考える会から公開書簡で受賞の辞退を検討するよう求められていたりしたこともあり、より注目されることになった。
結局は辞退せずに現地で賞をもらい、その際のスピーチで述べた内容から「村上春樹さんにイスラエル文学賞、スピーチでガザ攻撃批判」なんて見出しで報じられてて、ニュースやワイドショーなんかでも同じような論調で取り上げられてて、コメンテーターとかがしたり顔で「勇気がありますねぇ」「立派ですねぇ」「英語が流暢でカッコイイ」「日本人として誇らしいですねぇ」「どっかの大臣と比べると…」みたいなことを言ってるのを見てドン引きしつつ(コイツら、全編を観て言ってるのか? って)、ダイジェストを観る限りではどうも単純に「ガザ攻撃批判」ってだけではない感じだし、よけいなコメントなんかよりも全編が観たい(読みたい)なぁ、と。村上氏も「小説家は言われたことと逆のことをしたがりがち」って言ってるけど、やっぱ全部を観ないと何とも言えないから、ヒネクレ者としては。
それで、早速、ググったんだけど、検索に引っかかってくるのはニュースやワイドショーのコメントと同じレベルの似たような感想と同じレベルの反対意見とただのひやかし・賑やかしばっかりで、なかなかまともなものが見つからなかった。ただ、しばらく経ったら、池田信夫氏のブログで比較的長い抄録が載ってる現地紙『エルサレム・ポスト』の記事が紹介されてて、コメントもたくさん付いてて、まぁ、そのコメントもレベルの高いものからヒドイものまで様々なんで、これはこれで微妙だなぁ、と思いつつ、日本語・英語で探してたら haaretz.com のページ(といくつかのニュース映像)を見つけた(この時点でたくさんの翻訳もあった)、と。
haaretz.com のページをジックリと読んでみて感じたのは、最初のほうに書いた「言葉の機能」と「言葉の力」ってこと。さすがに言葉を扱うことでこれだけの功績を残してきた人だけあって、やっぱりセンスは抜群。今さら言うまでもないことって言っちゃえばそれまでだけど、あらためて脱帽しちゃった。時にユーモラスで、時にシニカルで、時に辛辣で、小説家らしいすごい味わいのある表現だし、言葉であるが故に特定のイメージを限定しないというか、聞き手(読み手)に想像する余地を与えて、それぞれの人間性次第で受け取り方が変わる(変わらざるを得ない)っていう言葉の特性をすごくよく理解して、その特性を最大限に活かしてるなぁ、と。これを聞いて自分が責められてるように感じる人は、そう感じさせる理由がその人の中にあるんだろうし。イスラエル非難だって思って聞けばそうも聞こえるし、違う見方をすれば違う聞こえ方もする。聞く人の心の中にあるモノによって、感じ方が変わっちゃう。そんな柔軟性がありながら、同時に普遍的でもある表現で。
これが、例えば、そこに何らかの映像なり写真なりが映ると、その時点で言葉とイメージが結びついちゃって、意味合いを狭めちゃったり(決めちゃったり)するんだけど(それが映像・写真=イメージの怖さでもある)、言葉だけだと、懐が深いというか、受け取った側に考える余地を与える(=考えざるを得ない)。それは言葉自体の持つ特性であり、同時に宿命というか、厄介な部分でもあって、だからこそ誤解もたくさん生むし、でも、言葉を使わざるを得ないわけで(ニュータイプにでもならない限り)。
そんな「言葉の機能」をキチンと理解して活かした上で、すごくデリケートな問題を抱えた場所で、その当事者を目の前にしながら、受け取った側の心の中に考える余地を作りながら、同時に自分の意思は真摯に、率直に伝えてて。パーソナルなことまで話しながら。もともと人前で話し姿なんて滅多に見せない人なだけに、そういう意味でもインパクトが強い(キャラ的にも、街で会っても気付かなそうなくらいだし。まぁ、こう見えてマラソン・ランナーなんだけど)し、それも含めて、周りの状況とか及ぼすであろう影響とかその意味合いとかまですごくよく考えられてる気がする。そういうのを全部ひっくるめてすごく質の高い文章だし、読んでていろいろと考えさせられるし、心を揺さぶられる。これこそ、まさに「言葉の力」。そして、それは同時に「言葉のアート」でもある。正直、ちょっと感動しちゃった。さすがというか、まぁ、表現者としての面目躍如ってところかな。
まぁ、小説家の表現なんで、わかりにくいっていう意見があるのはわからないでもないけど、それが小説家なわけで、そもそも、すぐにわかるような単純な表現には表現力自体に限界があるし、情報を伝達はできても、心を動かすことはできないわけで。情報伝達以上の意味を持たない安っぽい表現ばかりが氾濫する昨今なだけに、すごく新鮮だったりもする。
そんなわけで、すごく感動したんだけど、 これが全文かどうか今のところ確認できてないし、全編の映像も観れてないんで、レビュー対象の全貌をキチンと観て(読んで)ない状態でのレビューってことを考慮して星は 4 つにしたんだけど、限りなく 5 つに近い内容。これまでにも、バラク・オバマの勝利演説や就任演説、スティーブ・ジョブズのキーノート・アドレスをレビューしてるけど、正直言って、このふたり以外のスピーチ(ジョブズの場合はスピーチというよりはプレゼンテーションだけど)、しかも日本人のスピーチ(しかも英語だし)を取り上げるなんて思っても見なかった。しかも、それがまさか村上春樹だなんて。なんか不思議な気分。
あと、最初のほうに「タイムリーさが大事ではないと思う」って書いたのは、とかくインターネット / ウェブっていうと、印刷媒体との比較で速報性が強味だって言われがちだけど、それがすべてではないし、正確・完全じゃない情報をむやみに慌てて配信されても迷惑なだけだと思うから。現場からの速報ならともかく、そうではない二次的な情報であれば速報性にはそんなに意味がないと思う。レコードとか映画とかの情報もそうだけど、メディアってとかく(先を競って)リリース前に情報を伝えたがるけど、ユーザーにとってはそれほど重要じゃないし、時間的な区切りがある既存のメディアならともかく、いつでも公開・更新ができるインターネット / ウェブだったら、誰よりも早いことよりも、時間的な区切りではなく内容的な区切りがある程度ついた段階で取り扱うべきなんじゃないかな、と。多くのブログで先を競うようにエントリーしてるのを見て(その多くは、案の定、たいした内容じゃなかったりする)、ちょっと違和感を感じたというか、なんか気持ち悪い感じがしちゃったので。
(Jerusalem International Book Fair) ★★★★☆
2 月 15 日にイスラエルのエルサレムでエルサレム賞という文学賞を受賞した際に、作家の村上春樹氏が行った約 15 分のスピーチ。なかなか考えさせられるスピーチで、結論から先に言うと、「言葉の機能」と「言葉の力」、そして「言葉のアート」をすごく実感させられたスピーチだった。タイミング的には、数日経ってるんで、もうタイムリーじゃないかもしれないけど、タイムリーさが大事ではないと思うんで。
「スピーチだった」とは言っても、実際にはスピーチ全編の映像を観れたわけではないんで、あくまでもニュース等でダイジェストを観た(いくつか観た中だとこれが一番マトモっぽい。写真もこの動画の中ですごくいいこと言ってる場面のキャプチャ。全編の映像はまた見つからない)のとウェブでテキスト(この haaretz.com のモノが全文なのかな?)を読んだってことなんだけど。
ニュースなんかでも報じられてる通り、エルサレム賞ってのは「社会における個人の自由(!)」に貢献した文学者に贈られるイスラエルでもっとも権威のある文学賞らしくて、日本人としては初の受賞。それだけでもニュースにはなるんだろうけど、折しもイスラエルのガザ攻撃の真っ只中(一時期に比べると、ちょっとは落ちついてるっぽいけど)、パレスチナの平和を考える会から公開書簡で受賞の辞退を検討するよう求められていたりしたこともあり、より注目されることになった。
結局は辞退せずに現地で賞をもらい、その際のスピーチで述べた内容から「村上春樹さんにイスラエル文学賞、スピーチでガザ攻撃批判」なんて見出しで報じられてて、ニュースやワイドショーなんかでも同じような論調で取り上げられてて、コメンテーターとかがしたり顔で「勇気がありますねぇ」「立派ですねぇ」「英語が流暢でカッコイイ」「日本人として誇らしいですねぇ」「どっかの大臣と比べると…」みたいなことを言ってるのを見てドン引きしつつ(コイツら、全編を観て言ってるのか? って)、ダイジェストを観る限りではどうも単純に「ガザ攻撃批判」ってだけではない感じだし、よけいなコメントなんかよりも全編が観たい(読みたい)なぁ、と。村上氏も「小説家は言われたことと逆のことをしたがりがち」って言ってるけど、やっぱ全部を観ないと何とも言えないから、ヒネクレ者としては。
それで、早速、ググったんだけど、検索に引っかかってくるのはニュースやワイドショーのコメントと同じレベルの似たような感想と同じレベルの反対意見とただのひやかし・賑やかしばっかりで、なかなかまともなものが見つからなかった。ただ、しばらく経ったら、池田信夫氏のブログで比較的長い抄録が載ってる現地紙『エルサレム・ポスト』の記事が紹介されてて、コメントもたくさん付いてて、まぁ、そのコメントもレベルの高いものからヒドイものまで様々なんで、これはこれで微妙だなぁ、と思いつつ、日本語・英語で探してたら haaretz.com のページ(といくつかのニュース映像)を見つけた(この時点でたくさんの翻訳もあった)、と。
haaretz.com のページをジックリと読んでみて感じたのは、最初のほうに書いた「言葉の機能」と「言葉の力」ってこと。さすがに言葉を扱うことでこれだけの功績を残してきた人だけあって、やっぱりセンスは抜群。今さら言うまでもないことって言っちゃえばそれまでだけど、あらためて脱帽しちゃった。時にユーモラスで、時にシニカルで、時に辛辣で、小説家らしいすごい味わいのある表現だし、言葉であるが故に特定のイメージを限定しないというか、聞き手(読み手)に想像する余地を与えて、それぞれの人間性次第で受け取り方が変わる(変わらざるを得ない)っていう言葉の特性をすごくよく理解して、その特性を最大限に活かしてるなぁ、と。これを聞いて自分が責められてるように感じる人は、そう感じさせる理由がその人の中にあるんだろうし。イスラエル非難だって思って聞けばそうも聞こえるし、違う見方をすれば違う聞こえ方もする。聞く人の心の中にあるモノによって、感じ方が変わっちゃう。そんな柔軟性がありながら、同時に普遍的でもある表現で。
これが、例えば、そこに何らかの映像なり写真なりが映ると、その時点で言葉とイメージが結びついちゃって、意味合いを狭めちゃったり(決めちゃったり)するんだけど(それが映像・写真=イメージの怖さでもある)、言葉だけだと、懐が深いというか、受け取った側に考える余地を与える(=考えざるを得ない)。それは言葉自体の持つ特性であり、同時に宿命というか、厄介な部分でもあって、だからこそ誤解もたくさん生むし、でも、言葉を使わざるを得ないわけで(ニュータイプにでもならない限り)。
そんな「言葉の機能」をキチンと理解して活かした上で、すごくデリケートな問題を抱えた場所で、その当事者を目の前にしながら、受け取った側の心の中に考える余地を作りながら、同時に自分の意思は真摯に、率直に伝えてて。パーソナルなことまで話しながら。もともと人前で話し姿なんて滅多に見せない人なだけに、そういう意味でもインパクトが強い(キャラ的にも、街で会っても気付かなそうなくらいだし。まぁ、こう見えてマラソン・ランナーなんだけど)し、それも含めて、周りの状況とか及ぼすであろう影響とかその意味合いとかまですごくよく考えられてる気がする。そういうのを全部ひっくるめてすごく質の高い文章だし、読んでていろいろと考えさせられるし、心を揺さぶられる。これこそ、まさに「言葉の力」。そして、それは同時に「言葉のアート」でもある。正直、ちょっと感動しちゃった。さすがというか、まぁ、表現者としての面目躍如ってところかな。
まぁ、小説家の表現なんで、わかりにくいっていう意見があるのはわからないでもないけど、それが小説家なわけで、そもそも、すぐにわかるような単純な表現には表現力自体に限界があるし、情報を伝達はできても、心を動かすことはできないわけで。情報伝達以上の意味を持たない安っぽい表現ばかりが氾濫する昨今なだけに、すごく新鮮だったりもする。
そんなわけで、すごく感動したんだけど、 これが全文かどうか今のところ確認できてないし、全編の映像も観れてないんで、レビュー対象の全貌をキチンと観て(読んで)ない状態でのレビューってことを考慮して星は 4 つにしたんだけど、限りなく 5 つに近い内容。これまでにも、バラク・オバマの勝利演説や就任演説、スティーブ・ジョブズのキーノート・アドレスをレビューしてるけど、正直言って、このふたり以外のスピーチ(ジョブズの場合はスピーチというよりはプレゼンテーションだけど)、しかも日本人のスピーチ(しかも英語だし)を取り上げるなんて思っても見なかった。しかも、それがまさか村上春樹だなんて。なんか不思議な気分。
あと、最初のほうに「タイムリーさが大事ではないと思う」って書いたのは、とかくインターネット / ウェブっていうと、印刷媒体との比較で速報性が強味だって言われがちだけど、それがすべてではないし、正確・完全じゃない情報をむやみに慌てて配信されても迷惑なだけだと思うから。現場からの速報ならともかく、そうではない二次的な情報であれば速報性にはそんなに意味がないと思う。レコードとか映画とかの情報もそうだけど、メディアってとかく(先を競って)リリース前に情報を伝えたがるけど、ユーザーにとってはそれほど重要じゃないし、時間的な区切りがある既存のメディアならともかく、いつでも公開・更新ができるインターネット / ウェブだったら、誰よりも早いことよりも、時間的な区切りではなく内容的な区切りがある程度ついた段階で取り扱うべきなんじゃないかな、と。多くのブログで先を競うようにエントリーしてるのを見て(その多くは、案の定、たいした内容じゃなかったりする)、ちょっと違和感を感じたというか、なんか気持ち悪い感じがしちゃったので。
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