2011/10/12

iRIP.

Steven Paul 'STEVE' JOBS (Feb 24, 1955 - Oct 5, 2011) - Rest in peace.


病気を理由に 8 月にアップル(Apple)の CEO を退き、その病状が心配されてたスティーヴ・ジョブズ(STEVE JOBS)の訃報が日本時間の 10 月 6 日の朝に報じられた。

これまでにも、ジョブズ / アップル関連のモノはわりとたくさんレビューしてきてることからもわかるように、ジョブズはもちろん、個人的にメチャメチャ思い入れのある人物。だから、もちろんすごくショックだし、訃報を聞いて(見て)以来、茫然自失というか、なんか心ここにあらずな心理状態が続いてたりもする。

訃報自体については、ちょうど、朝方になぜか目が覚めてたんで、Twitter でわりとリアルタイムで知ったんだけど(あらためて確認してみたら、最初に自分でそのことについてツイートしたのは 8:41AM だった)、最初はもちろんピンとこなくて、でも、見る見る間に Twitter のタイムラインがそのニュースで埋め尽くされるようになって、そのうちニュース・サイト等にも記事が載り出して、アップルのオフィシャル・サイトに上の写真が掲載されたのを見て、「(残念ながら)やっぱり本当なんだ」って認識した感じだった。結局、そのまま昼頃まで主にアメリカのニュース・ソースを中心に追いかけてたかな。

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まずは率直な心境について。やっぱり、最初にあったのは、何とも言えない '喪失感' だったかな。'悲しみ' でも '驚き' でも '感謝' でもなくて、今まであったモノが、あって当たり前のモノが突然なくなったっていう感覚。松田直樹の訃報に際してのエントリーでも似たようなことを書いてるけど、心境はすごく似てる。つまり、松田直樹のいない世界が想像できなかったように、ジョブズのいない世界も全く想像してなかったし、まだ全然整理できてないし。もちろん、いつかは確実にそうなることはわかってるんだけど、少なくともこんなタイミングでそうなるとは思ってなかったって意味で。

もちろん、松田直樹とは違っている点もある。まずはスケール感。距離感って言い換えてもいいかも。別にどちらがいいとか大事とかってハナシではなくて、単に性質の問題として。松田直樹はあくまでもローカルというか、スケール感としてはジョブズほど大きくはないけど、逆に、もっと身近なところにいた(ように感じてた)存在だった(毎週、同じ結果で一喜一憂してたわけだから)のに対して、ジョブズは、もちろん、もっと雲の上の存在っていうか、距離感もワールドワイドなスケール感だし、その存在感を意識するのは(製品自体は毎日使ってはいても)時間の単位は日とか週とかではなく短くても数ヶ月って単位で、決して日常的って感じではなかったんで。

あと、松田直樹が倒れる前まで全然元気だったのに対して、ジョブズが病気だったのは周知の事実だったわけで、それを理由に CEO から退いてたばかりだったんだから、そういう意味では十分想定される事態だったとは言える。

それでも、これほどショックを受けてるのは、CEO 退任後の病状について知らされてなかったからって面が大きいのかな。実は CEO 退任のニュースを聞いたとき、その病状については 2 パターンが想定できるなって思ってて。ひとつは将来的に何らかのカタチで戻るために念のための措置としての退任ってパターンで、もうひとつは本当に危険で限界だったってパターン。CEO 退任後の病状が報じられてなかったし、個人的には、何となく(希望的観測で?)前者なのかなって思ってたところがあったんだけど(だからこそ、先日の iPhone 4S の発表イベントのときも「'One more thing ...' はスティーヴ登場でいいんじゃね?」なんてのんきにツイートしちゃったし)、残念ながら、現実には後者だったってことになるのかな。

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訃報を聞いて(見て)以来、国内外のいろいろな報道等をチェックしちゃってて、そこにはいろいろな有名人の追悼コメントも含まれてる。個人的に興味がある人物だけちょっと挙げても、例えば、グーグルのセルゲイ・ブリン(SERGEY BRIN)のコメントラリー・ペイジ(LARRY PAGE)のコメントとか、元アップル・エヴァンジェリストのガイ・カワサキ(GUY KAWASAKI)のコメントとか。

その中で個人的にかなりグッときちゃったのは、このバラク・オバマ(BARACK OBAMA)大統領のコメントかな。

The world has lost a visionary. And there may be no greater tribute to Steve’s success than the fact that much of the world learned of his passing on a device he invented.
- Barack Obama (quoted from the White House blog)

'visionary' って単語は適切な日本語があまりない気がするんで('予言者' とか、ちょっとニュアンスが違くね? とか思うんで)、そのままカタカナにするけど、「世界はヴィジョナリーを失ってしまった。世界の多くの人が、彼が世に送り出したデヴァイスを通じて彼の訃報を知ったという事実こそ、まさに彼の功績の偉大さを顕著に表している事実だろう」みたいな意味かな。これはさすがオバマっていうか、簡潔でセンス溢れるコメントだなぁ、って素直に感心したし、すごく共感しちゃった。「ホント、上手いこと言うな」って。

あと、もちろん、忘れちゃいけないのが 'もうひとりのスティーヴ' ことアップルの共同設立者のスティーヴ・ウォズニアック(STEVE WOZNIAK / 通称: ウォズ)。悲しみを抑えていろいろなテレビ番組とかに出演したみたいなんだけど(例えば、CBS とか CNN とか)、個人的には AP のインタヴューが一番グッときちゃった。

他には、ウォール・ストリート・ジャーナルの名物コラムニストとして知られるウォルト・モスバーグ(WALT MOSSBERG)の記事も面白かったかな。特に、ジョブズが "Hi, Walt. I’m not calling to complain about today’s column, but I have some comments, if that’s okay" って電話をかけてくる件とか、すごくジョブズっぽいな、って。

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実は、一度だけ '生ジョブズ' を見たことがある。場所はマックワールド・エクスポ東京。いつだったかも(2001 年とか 2002 年とかくらいだったかな?)、場所も幕張メッセだったか東京ビックサイトだったかも、あんまりキチンとお覚えてないんだけど。しかも、基調講演を見たわけでもなく、アップル・ブースで、数メートル先を普通に歩いてるところを見かけただけで、「あ、今の、ジョブスじゃね? おぉ、やっぱりそうだ」的な一瞬の出来事だったんだけど。

まぁ、そうは言っても、コンピュータ / テクノロジー関連の仕事をしてたわけでもなく、取材でも何でもないのにわざわざ趣味でマックワールド・エクスポ東京に行ってて(もっと言うと、わざわざマックワールド・エクスポ NYC にも行ったことがある)、しかも、普通に歩いてるジョブズに気付いたくらいなんで、もちろん、ジョブズ / アップルは好きで、その動勢は極力チェック + フォローしてきた。

個人的にアップル製品を使い始めたのは 1994 年だったかな。大学を卒業して就職した会社では Color Classic II(!)を与えられたのが最初で、自分のマシンとしてはその会社の先輩にその年に譲ってもらった LC 630 だった(初めてもらったボーナスで、ってのがなかなか感慨深い思い出だったりするんだけど)。その後、Powerbook 5300 にしてからは、Powerbook G3(x 何台か)、Powerbook G4(x 何台か)、Macbook Pro(x 何台か)と(一時期、2 台体制で iMac DV Special Edition も持ってた)一貫してノートブック / モバイルで、某レコード会社で WIndows 機(最初は ThinkPad、後に DynaBook)を使うように強要されてた時期には G3 と 2 台をモバイルするなんて無茶なことまでしてたし、使いもしないのにガジェットとして中古で Newton まで買ったりして。

iPod は初代機から使ってた。iPod 以前の MP3 プレーヤーもちょこちょこ使ってたんで、iPod の衝撃は、それはもう強烈で、容量・転送速度の両面で初めて 'まともに使える' MP3 プレーヤーだったし、FireWire だった初代機は持ち運び用の HD としても重宝した記憶がある。その後、今でいう iPod Classic を何台か使いつつ、NIKE+ 用に iPod nano も使ったりしてきたかな。今はすっかり iPhone で聴いちゃってるけど、やっぱり iPod の登場で個人的には音楽の聴き方がすごく変わったって自覚がある(長くなるではここでは書かないけど、'iPod 的な聴き方' みたいなものが確立された気がする)。

そして、iPhone。今となっては部屋のインテリアになってるけど実は日本では発売されなかった初代機から使ってて(SIM カードを抜いて Jailbreak して、今でいう iPod touch 的な端末として使ってた)、その後、iPhone 3G を経て今は iPhone 4 を使いつつ、The Slick っていう iPhone(及び iOS デヴァイス)ユーザー向けのサイトまでやってたりするんで、思い入れはすごくある。

なんで思い入れがあるかって言うと、「昔、思い描いてた未来が実現した」って感覚があったから。iPod の初代機が発売されたのが 2001 年だから、多分、その頃だったと思うんだけど、当時、Palm OS の PDA とケータイと iPod を常に持ち歩く生活をしてて、「なんでいつもこの 3 つを毎日持ち歩かなきゃいけないんだ? 合体しちゃえばいいのに。Mac OS で動く iPod 機能付きケータイが欲しい!」って思ってて。特に、アメリカでは Palm OS 搭載のケータイも出てたりしたし、技術的には当時の技術でも十分可能なことは想像できたので。だから、2007 年に iPhone が発表されたときは、「思い描いてた未来のケータイ、'ケータイのあるべき姿' がカタチになって現れた」ような、まさに「未来がやってきた」って感覚だった。

もうひとつ、感慨深かったのは 2008 年に iPhone 3G が発表されたとき。コレが実際に日本で使える最初のモデルだったわけだけど、重要だったのはその事実じゃなくて、そのスペック。アップル製品に関しては、必ずしもスペックは大事ではないんだけど、iPhone 3G のスペックはすごく象徴的だったんで。どういうことかっていうと、「iPhone 3G は初代 iMac よりもハイ・スペック」だったってこと。初代 iMac こと iMac (Rev.A) っていえば、ジョブズがアップルに復帰後に起死回生の一撃っていうか、反攻の狼煙として満を持して 1998 年に発表した機種。スペックを比べてみると、ボンダイ・ブルーの爽やかなカラーリングが印象的だった初代 iMac(Rev.A)の CPU は 233MHz / RAM 32MB / ハードディスク 4GB。一方の iPhone 3G は、CPU が 412MHz / RAM 128MB / ハードディスク 8GB または 16GB。まぁ、単純に数字だけで比較できるものではないけど、でも 10 年前の '革新的なパーソナル・コンピュータ' が掌に収まるって事実は、すごくプリミティヴな驚きだったし、不思議な感慨もあった。

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上のアップル・ユーザー歴を見てもわかる通り、アップル・ユーザーになったのはアップルにジョブズがいなかった、いわゆる '迷走' 期だったりする。

だから、'現役のジョブズ' のイメージは基本的に 1997 年のアップル復帰以降で、それ以前のストーリーに関しては、日常的に自分が好んで使ってるアイテムを作ってる会社(のトップ)の動きっていう「リアリティのあるニュース(=存在)」って感覚ではなく、あくまでも本を読んだりして知った過去のサブ・カルチャーの面白いストーリーとしてって感じだった。それこそ、1960 年代のロックのハナシとかブラック・パワー・ムーヴメントとかビートニクスとかに似たような、どっちかっていうと、過去のレジェンドってイメージだったというか。だから、今にして思うと、ジョブズの存在は過去のミュージシャンとかアーティストとかスポーツ選手とか、そういう存在に近いイメージとして認識してたのかもしれない。

あと、もともとドン底の時期にアップル・ユーザーになったせいか、最初からアップルに対してそれほど過度な期待は抱いてはいなかったのかも。むしろ、アップル自体が潰れる心配のほうが大きかったくらいで(愛着が生まれてくると、使うこと / 買うこと / 声高に良さを喧伝することにある種の義務感を抱くようにはなったりするんだけど)。だから、ジョブズがアップルに iCEO として戻るってニュースを聞いたとき、なんかイマイチピンとこなかったっていうか、何とも言えない不思議な心境だったのを覚えてる。だって、ミュージシャンとかスポーツ選手だったら、10 年以上離れててから戻ってきても、レジェンドではあってもとっくにピークを越えてるはずだけど、ジョブズの場合、バリバリのレジェンドでありながら、同時に、会社のリーダーとしては全然現役だった(っつうか、どっちかっつうと若いくらい?)わけだから。個人的には、(良い部分も悪い部分も含めて)レジェンドとして捉えてたはずなのに、実はまだまだ現役で、これから現役としての(しかも、かなり成熟した)プレーを見れて、製品等を通じてその影響を自分もダイレクトに受けるって事実が、イマイチ実感がなかった感じだったのかな。今にして思うと。

だから、1997 年以降の動きについては、それこそ、アルバムを出すたびにチェックするミュージシャンとか本を出すたびに読んじゃう作家とかに近い存在として、熱心にフォローしてきた。同時に、そういう目の前の動きを理解するために、過去のことについても調べたりもして。

リアルタイムで知ってる動きで一番印象に残ってるっていうか、心を鷲掴みにされたのはこの 'Think different.' かな、やっぱり。



実は上の映像は実際には OA されなかったヴァージョンで、ジョブズ自身がナレーションを担当してる(もちろん、OA されたヴァージョンもいいんだけど)。ちなみに、ナレーションの内容は以下の通り。

Here's to the crazy ones. The misfits. The rebels. The troublemakers. The round pegs in the square holes. The ones who see things differently. They're not fond of rules, and they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify and vilify them. About the only thing you can't do is ignore them because they change things. They push the human race forward. And while some may see them as crazy, we see genius. Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.

ただ、当時はもちろん YouTube なんてなかったし、海外の CM 映像なんてなかなか観る機会がなかったんだけど(それでも、何度か観た記憶はある。どこで観たのか思い出せないけど。ちなみに、日本語ヴァージョンもあって、コレも何度か観たような気がする)。

だから、印象としては平面広告のほうが断然強かった。マイルス・デイヴィス(MILES DAVIS)とかボブ・ディラン(BOB DYLAN)とかジョン・レノン(JOHN LENNON)とヨーコ・オノ(YOKO ONO)とかハマトマ・ガンジー(MAHATMA GANDHI)とかモハメド・アリ(MUMAMMAD ALI)とかマーティン・ルーサー・キング Jr.(MARTIN LUTHER KING JR.)とか、かなりツボを押さえた人選で。しかも、ジョブズがアップルに復帰してすぐの時期で、これからどうなるんだろ? って思ってた時期だっただけに、よけいインパクトが強かった。コレは、評価の高いアップルの一連の広告の中でも一番好きかな。すごくアップルらしくて、同時にすごくジョブズっぽくて。

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だから、1997 年のアップル復帰後も、基本的には '好きなアーティスト' ってイメージだったのかな。アルバムが出るたびにチェックせざるを得なくて、ライヴも極力チェックして、もちろん、その中にはドンピシャで好きなモノもあればそうでもないモノもあって、でも、そうでもないモノを出した後でもやっぱりチェックせざるを得なくて、好きなモノは、それこそ仕事ととか趣味とかってレベルを超えて、生活の一部になっちゃうような。もちろん、'ヴィジョナリー' って側面もあるけど、ただヴィジョンを示してるだけじゃなくて作品でそのヴィジョンを体現してるし、そもそも、アーティストってのはヴィジョナリーって資質も含んでると思うんで。

作ってきた作品はアーティスティックそのものだったし、同時にすごく 'ポップ' でもあったし。実は強いメッセージ性を帯びてたことも含めて、本当の意味で 'ポップ・アート' って呼ぶのが相応しいのかもしれない。'ポップ' ってことは、必然的にビジネス的な成功が伴ってるはずだし、でも、'ポップ' であることよりも先に、まず 'アート' であることが前提になってるし。個人的には、わりと 'ポップ' じゃないモノに魅かれがちだったりもするんだけど(別に 'ポップ' だからキライなわけじゃなくて、好きなモノがなぜか 'ポップ' にならないだけなんだけど)、スティーヴ・ジョブズの作品は、すごく好きな数少ない 'ポップ・アート' の作品であり、スティーヴ・ジョブズは数少ない好きな 'ポップ・アーティスト' だったのかもしれない。

だから、とかく強調されがちなビジネスマン的な部分にはあまり興味がないのかも。キーノート・アドレスにビジネス的にすごい価値を持たせたこと(それこそ、株価が大きく動くような)はジョブズの大きな特徴だったし、功績だと思うけど、やっぱり、個人的には 'ライヴ・パフォーマンス' ってイメージのほうが強くて(過去にも 'ライヴ' としてレヴューしてるし、The Slick を始めてからは The Slick 内でレヴューしてる)。独特な言葉遣いについても、'パンチライン職人' って印象だし。それこそ、ジョン・レノンとかボブ・ディランとかラキム(RAKIM)とかナズ(NAS)みたいな。まぁ、名言とか面白いエピソードなんて挙げればキリがないんでやめとくけど(例えば、基盤のハナシとか背面のハナシとか)、現代屈指の 'パンチライン職人' だったことは間違いない。パンチライン自体もある種の作品だったし。

では、作品を作り、それをライヴで披露してきたジョブズってアーティストの '作品' ってのは何だったのか? もちろん、音楽でもでもなければ映画でも(そういえば、ピクサーは個人的にはあまり思い入れはない。それほど作品も観てないし)絵画でも小説でもなく、通常、優れた 'アート' って呼ばれるモノは時代を超えて価値を持つタイムレスなモノだけど、ジョブズがアップルで世に送り出してきたモノはむしろ逆。ライヴ・パフォーマンスほど一期一会ではないものの、寿命自体はかなり短い。もちろん、多くの製品は何年経っても一定の歴史的価値を持つと思うけど、純粋にユーザーの視点で '使う' ことを考えたとき、ひとつひとつの製品で 5 年保つモノはほとんどない(壊れるって意味ではなく、ある程度、ストレスなくフレッシュな心境で使える期間って意味で)。この辺がアーティストとしてのジョブズを掴みどころのない感じにしてる点で、なかなか一言で表現できなくてモヤモヤするポイントなんだけど。

でも、あえて言えば 'デザイン' ってことになるのかな。もちろん、ジョブズが世に送り出してきたモノってのは、簡単に言っちゃえばハードウェア / ソフトウェア / サービスってことになるし、それを組み合わせたライフスタイルってことなんだけど、ライフスタイルってのはなかなか手強い代物で、「こんなライフスタイルはどうですか?」って勧めるのってかなり難易度が高い。普通、そんなこと言われても胡散臭いだけだし(そういうヤツに限って数値を根拠に説得しようとしたりするし)。そこで大事になるのが 'デザイン' っていう設え。ここでの 'デザイン' ってのは(巷ではよく誤解されてるけど)見てくれとか形状とかっていう安っぽい上っ面のハナシではなく、その 'モノ' の本質を具現化した形状・素材・色等の組合せってこと。まぁ、つまり、本当の意味でのデザインってことなんだけど。

もちろん、アップルのデザインに貫かれているモノはいろいろな部分に現れているし、そのひとつひとつをジョブズが実際に手を動かして作ってるわけではない。より少ない文字(行数)でシンプルなプログラム・コードとかより少ない部品のシンプルな組合せみたいな部分はウォズの時代から連綿と受け継がれてきた美学だし(iPhone にグーグル・マップを搭載する際、アップルのプログラム・コードを見たグーグルの担当エンジニアはそのシンプルさにビックリしたらしい)、アルミの板から削り出す MacBook Pro のユニボディとか iPhone 4/4S の筐体のミニマルな美しさはもちろんジョナサン・アイヴ(JONATHAN IVE)の功績だろうし、広告やウェブサイトでの言葉遣いだってスペシャリストのライターが書いてるはず。そういう意味では、狭義の 'デザイナー' ではなく、むしろ 'アート・ディレクター' に近いのかな。ただ、もうちょっと大きな枠で、プロジェクト全体のデザインをしてたし、世に送り出した製品のひとつひとつがそのデザイン・コンセプトに沿った '作品' だった、って感じ。

あと、もうちょっと違った見方として、けっこう前に「Mac って一体何なんだ?」って考えたことがあって。つまり、「仕事とプライベートの枠を超えて、1 日のかなりの時間を見たり触ったりして過ごしてるこの物体(とその中で走ってるプログラム)って、自分にとって一体どういう存在なんだろう?」って。 今だったら、そこに iPhone も含まれると思うけど。単に、見た目がいいからただひたすら愛でたい溺愛の対象ではない。かと言って、逆に便利な機能をありがたがってたりするだけでもないし。自分の能力とか感覚を拡張してくれる高性能な道具って側面はあるけど、単にそういう性能的な部分だけが魅力ってことでもない。そういう要素を絶妙のバランスで備えてるモノってことになるんだろうけど、それって一体何なんだ? って。例えば、溺愛の対象ってことならペットみたいなモノって言えるだろうし、逆にとことん仕事の効率を上げてくれるだけのものなら単に仕事道具って言えるんだけど。

まぁ、個人的なイメージとしては 'パートナー' みたいなモノなんだけど。例えば、猟師と猟犬のような。仕事もするけど仕事だけではなくて、遊ぶけど遊びだけでもないような関係というか。適度に親密でありながら適度にドライな関係というか。だから、単に「消費者として買って使う」以上の関係性を感じるし、だからこそ、一挙手一投足に注目しちゃう。(長くなるから詳しくは書かないけど)前から、'購入・消費' の先に(表面的には '購入・消費' と似てるように見えるけど)もうちょっと深い関わり方、つまり、関与(コミットメント)みたいなレイヤーがあって(もっというと、その先に 'サポート' ってレイヤーもある)、この '購入・消費' の先にあるレイヤーがすごく大事なんじゃないかな、って思ってるんだけど、まさにその典型的な感覚というか。

もちろん、実際にやってることは、少なくとも個別の購入行動だけ見れば、単に買って(使って)るだけだし、一個人の消費行動なんて時価総額最高のアップルみたいな企業にとってはほんの些細なことなんだけど、その根幹にあるのは、そういう感覚を世界中のユーザーに抱かせてきたことで、そこにこそ、ジョブズって 'アーティスト' が世に送り出してきた '作品' の最大の魅力があるのかな、って。 ある意味では、ジョブズの作品とニアリー・イコールである彼自身のこともパートナー的な何かとして感じてた節すらあるし。一度、見かけただけで面識もないし、キーノート・アドレスすら一度も生で観てないのに。

だからこそ、訃報を聞いたときの喪失感はこれほどまでに大きかったのかな、って気もする。よくジョン・レノンの死を引き合いに出してる記事とかをよく見かけるけど、最初に思ったのはまさにジョン・レノンのことだった。当時はまだ 8 歳くらいで、ニュースで観た記憶はなんとなくあるけど(っていうか、それがたぶん最初の出会いだった)、親も別にファンじゃなかったから、まったくリアリティを感じてなかったけど、その後、すごく好きになったので、当時はこんな感じだったのかなぁ、なんてぼんやりと思ったり。あと、それこそ、チェ・ゲバラ(CHE GUEVARA)とかマーティン・ルーサー・キング JR. とかもそうだったのかなぁ、とか。もちろん、これまでにも国内外の多くの好きな(広義の)アーティストの死ってのはそれなりに経験があるけど、ジョブズくらいのレベルのアーティストの死(とそれがもたらす喪失感)をリアルタイムで経験したのは初めてなのかもしれない。

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今回の訃報に際して、よく、いろんな人の記事やツイートで 'ありがとう' とか '忘れない' 的な言葉を見かける。それはそれで気持ちはわからんでもないし、もちろん、感謝の念もあるし忘れることもないんだろうけど、でも、なんかシックリこない感じがあるのも事実だったりする。何なんだろうな、この感覚は。わかるんだけど、なんかビミョーに違うような、「なんか 'ありがとう' じゃねぇだろ」的な、何とも言えないモヤモヤ感が拭えない。取って付けたような美辞麗句とかも、なんか、こそばゆいし(ちょっとハナシはズレるけど、スタンフォード大学でのスピーチの持ち上げられっぷりもちょっと違和感がある。このスピーチ自体がクラシック・パフォーマンスであることには異論はないけど、他の発言とかキーノート・アドレスを聴かずにこのスピーチだけが持ち上げられてるような風潮はかなりビミョー。'イイハナシ' だけ抽出しても本質は見えない気がするんで)。

それは、もしかしたら、ある種の 'ロック・スター' 的な潔さみたいなモノを感じるからなのかも。もともと、ジョブズは経営者としての成功とか名声よりもロック・スターやアーティストに憧れてたと思うんで(つまるところ、この部分がジョブズの根幹だと思うし)、そういう意味では、死ぬ直前のギリギリの状態まで最前線に留まり続けて創作を続けながら、志半ばで惜しまれながら逝くってのは、すごくロック・スターっぽい。全然 'やり切った感' みたいなものがなくて、「まだまだやれるでしょ。超楽しみ」みたいに思わせながら逝っちゃった辺りは、それこそ、そこいらのミュージシャンよりも、よっぽどロックンロールしてるし、それはそれでひとつの美学として美しいとも思える。iTunes Store 開設時の一連の動きや発言、スペシャル・イベントでのミュージシャンの扱いからもわかると通り、誰よりもアーティストをリスペクトしてたジョブズには、最高のロック・スターとしての弔いこそが相応しいのかな、なんて思ったりもする。最後には、派手になるわけでも見苦しくなるわけでもなく、まるで禅僧のような佇まいになってた点も、それはそれですごくクールで、個人的にはすごく好きだったし。


Steven Paul 'STEVE' JOBS (Feb 24, 1955 - Oct 5, 2011) - Rest in peace.

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