2010/10/22

The history of sambo. The mystery of sambo.

ロシアとサンボ 和良 コウイチ 著 晋遊舎 ★ 
 Link(s): Amazon.co.jp

これまでにもいろいろと格闘技関係の本、特にブラジリアン柔術の本は読んでたけど、なかなかいい感じの資料に巡り会えなくて、今まであまり詳しくすることのなかったロシアの格闘技、サンボについての書籍。著者は元『ゴング格闘技』誌の副編集長のサンビストなんだけど、結論を先に言っちゃうと、これがメチャメチャ面白い。

これまで知らなかったことばっかりで、まさに目から鱗っていうか。世界史・文化史的に読んでも面白いし、ブラジリアン柔術との比較としても面白いし、現在の MMA 的な視点で読んでも面白いし。

書店でたまたま見かけて、帯に夢枕獏先生と松原隆一郎教授のコメントが載ってたんで、俄然魅かれたんだけど、結果としては大正解っていうか。やっぱり、帯って大事らしい、なんてあらためて思ったりもして。 

思えば、最初に 'サンボ' って言葉(と競技)について知ったのは、リングスにヴォルク・ハンら、リングス・ロシアのサンビストたちが来日して、その驚愕のテクニックを目の当たりにした頃。今にして思えば、その前に、タイガーマスクのマスクを脱いだ佐山聡がやりだしたなんてニュースを見てた気はしたけど、動いてて、しかも、上手くて強い姿をまざまざと見せつけられて、「よくわかんねぇけど、なんかスゲェ」って思った記憶がある。特に、ヴォルク・ハンのコマンド・サンボのテクニックは派手だったし、相手が前田日明藤原喜明だったせいもあって、インパクトも強かったし。

でも、当時は、なんとなく「柔道とレスリングと相撲を足したような、ロシア古来の格闘技」的な曖昧でユルい説明しかされてなかった気がするし、それ以上の情報を得るのはなかなか難しくて、なんとなく最近になっちゃった感じ。で、やっぱり気になり出したのは、サンビストのエメリヤーエンコ・ヒョードルがあまりにも強いからだったりするんだけど。ちょうど、グレイシー一族が強いから
ブラジリアン柔術に興味が出てきたのと同じように。

サブ・タイトルに「国家権力に魅入られた格闘技秘史」って付いてるんだけど、まさに的確で、「
国家権力に魅入られた」「秘史」そのもの。しかも、ブラジリアン柔術と同じように柔術〜柔道を祖としながら、特殊な歴史的・地理的な事情のために、まったく独自のカタチで発展してるって意味でも、日本人としてはかなり興味深いし。

ただ、そうは言っても、現代の日本人としては、柔道っていっても高校の体育の授業で短期間、真似事みたいなレベルの柔道をちょっとやったことがある程度なんで、実体験の感覚的には、どれも同じくらいエキセントリックなモノであるのも事実なんだけど。たぶん、多くの日本人にとってそんなもんなんじゃないかな? 柔道って。オリンピックのときだけギャーギャー騒いでるけど、別に柔道で騒いでるわけじゃなくて、オリンピックで騒いでるだけで。

国家権力に魅入られた」ってのは、社会主義体制下のソ連で作為的に作られた格闘技であるってこと。簡単に歴史的な部分について言っちゃうと、ロシア革命以前に来日していたロシア人が講道館で柔道を学び、帰国後にそれをベースにしながら独自のアレンジを加えて別のモノに発展させたってことで、日本に来たか日本人が行ったかの違いこそあれ、ブラジリアン柔術に似てる部分は大きい。まぁ、細かい部分を語れば、そのロシア人が実はスパイだったり、だからこそロシア革命後に粛正されて、歴史を書き換えられて「正史」が作られて、イデオロギー上の要請で作為的にそれを「自国化」をした結果として生まれたモノがサンボだったりして。その辺りが秘史」な部分なんだけど、ソ連っていう特殊な国家体制だからこそのミステリアスさみたいなモノも相俟って、ハナシとしてはメチャメチャ面白い(ブラジリアン柔術の場合は地理的な要因が大きかった気がする)。まぁ、細かい歴史に触れてるとメチャメチャ長くなるんで止めとくけど。

ソビエトで作られたスポーツです。ハルランピエフという有名な選手がいて、ソビエトのいろいろな民族の格闘技からの要素を取り入得れて、サンボというスポーツを作り上げたのです。

我々の意見では、サンボは 1 人が作ったものではない。さまざまな人がこの格闘技の誕生に関わった。オシェプコフの役割は大きかった。スピリドノフの役割も大きかった。ハルランピエフも忘れてはならない。オシェプコフは柔道からこちら側に来た。スピリドノフは NKVD の一員として、柔術の自己防衛術を軍隊でも使えるように改善した。ハルランピエフは技をスポーツと軍隊用に分けて、さらに民族的な特徴のある技を加えてまとめた。したがって、1 人の人間に創始者を決めることはできない。

この 2 つは、2 人の人物による
'公式見解'。前者は自らサンビストでもある現ロシア首相のウラジーミル・プーチンで、後者は全ロシアサンボ連盟エリセーエフ会長。共に、公の立場にある人物だから、ソ連崩壊後の現在でもこういう言い方しかできないらしく、それがサンボの成り立ちの特徴を如実に示してるとも言える。

もちろん
、実際には、そう簡単なハナシではないんだけど、まぁ、ただ、これが良いことだったのか悪いことだったのかっていうと、良いも悪いもないとしか言いようがなくて。それこそ、インターネットみたいなモノっていうか。インターネットは冷戦時代の核戦争を想定したからこそ生み出された技術って側面があるけど、じゃあ、インターネット自体が悪いモノなのかっていうと、そんなことはないわけで…みたいな議論と同じというか。この辺は、良い・悪いを抜きにして歴史の面白さとして読むしかないというか。それでいいんだと思うし、十分面白いし。

歴史の面白さって意味では、ロシアで開催された柔道の初の日露対抗戦に参加した日本選手団の団長が、ドクター苫米地こと苫米地英人氏の祖父の苫米地英俊氏だったりとか、日露戦争の影響でロシアに柔術が広まってたりとか、旧ソ連〜東欧地域のサッカー・クラブの名前でよく使われてる '
ディナモ' って言葉の意味だとか(もともと、KGB の前身の NKVD の一部門だった)、日本の(柔道の)関節技は「小さな力でテコの原理を使う」のに対して「前身を使って力を一点に集中させる」のがサンボ的な関節技だってハナシとか、コンバット・サンボの大会(という、一見、矛盾しているようなモノがある)では頭突き・肘打ち・4 点ポジションでの頭部への膝での打撃も OK とか、本物の(白兵戦術としての)コンバット・サンボでは打撃技が重視されてるってハナシとか、サンボでは(ルール上)押さえ込みでは一本が取れないため寝技の攻防になると関節技にいかざるを得ない(故に発達・上達する)ってハナシとか、興味深い点が満載で。

まぁ、ブラジリアン柔術もそうだけど、こういうのって、ちょっと乱暴な言い方をすると、カレー・ライスとかタラコ・パスタみたいなモンだと思ってて。つまり、オリジナルとは全然違う独自の発展を遂げちゃって、もはやオリジナルとしか呼びようがない文化になった感じ。音楽でもファッションでもそうだけど、いろんな分野にそういうモノはあるけど、なんか、思考停止になりがちな伝統原理主義みたいなモノよりも、よっぽど本質的な何かがある気がするし、面白いし。

あと、これを読んでて「レスリングって何だろう?」なんて思ったりもした。狭義の、オリンピック競技になってるレスリングって意味じゃなくて、プリミティヴに「取っ組み合い」って形態の格闘技全般として。サンボはもちろんレスリングだし、ヨーロッパにはいわゆるレスリングがあるし、柔術〜柔道だってレスリングだし、日本の相撲もレスリングだし、モンゴル相撲もレスリングだし。まぁ、「取っ組み合い」は格闘の最もプリミティヴな形態なんだろうけど、柔道も相撲もレスリングって考え方はちょっと新鮮な気がして。

本書は、歴史やソ連のスポーツ事情をはじめとして、コンバット・サンボについてや柔道との比較まで一通り網羅されてるし、(実質的な)サンボの創始者のワシーリー・オシェプコフの技を撮影した写真すべてっていう貴重な資料も載ってるし、資料としても読み物としてもかなり充実している。もともと、「武器無しの自己防衛」って意味のサンボ(Самбо)という競技の発展の歴史を知る上ではかなり貴重だし、MMA が好きなら読んどいていい一冊じゃないかな、と(出すのに相当苦労したらしいけど。まぁ、この手の本を出版できる出版社って、今どきないだろうから。そういう意味でも貴重かも)。


サンボは全身を駆使して戦う、創造的なスポーツです。常に新しい技術・戦術が作られて発展する、常に新しい目標に向かって努力する、唯一無二のスポーツです。(何よりも)サンボは ー ロシアの格闘技なのです。

これもプーチンの言葉。来日時に沖縄で中学生の乱取りに飛び入りして見事に投げ(られ)たことが大きく報道されたから柔道家としては日本でも広く知られてるけど、実はサンビストでもあって、公邸に道場(しかも畳ではなくマット!)まで建てちゃったっていうプーチンの言葉は、シンプルだけど、なかなか的を得てるなぁ、なんて思ったり。愛国心の強いロシア人っぽいし。政治家としての好き・嫌い(特に対チェチェン政策とか)はあるけど、ちょっと好感を持っちゃったりもするし。
SAMBO

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