2009/08/15

Long hot summer.

『終戦のローレライ(上)』/『終戦のローレライ(下)』  
 福井 晴敏 著(講談社) ☆ Link(s): Amazon.co.jp (上巻 / 下巻)




ある季節になると読みたくなる本ってのは何冊かあるだけど、毎年、この季節になると読みたくなるのが福井晴敏の『終戦のローレライ』だったりする。まぁ、理由はいろいろあるけど、なんか、茹だるような暑さの中で読むのがなんかいいな、と。汗をダラダラ流しながら。蝉の声とか聞きながら(っつうか、イヤでも聞こえるし)。まぁ、そんなこんなで、今年も読んじゃった。ストーリーとか、ほとんど覚えちゃってるのに。

装丁が好きなんで写真はハード・カーヴァー版だけど、文庫版ももちろん出てる(『終戦のローレライ 1』・『同 2』・『同 3』・『同 4』の全 4 巻)。あと、最後までは読んでないけどコミック化もされてて、『終戦のローレライ 1 巻』・『同 2 巻』・『同 3 巻』・『同 4 巻』・『同 5 巻』の全 5 巻として発売されてる。そして、もちろん樋口真嗣監督の映画『ローレライ』の原作でもある。ただ、小説版とコミック・映画はちょっと別のモノとして考えたほうがいいと思うけど。

『終戦のローレライ』は 1945 年 7 月末から 8 月って期間を舞台にした福井晴敏の 2002 年発表の小説(「架空戦記小説」ってジャンルになるらしい)。1945 年 7 月末から 8 月ってのは、当然、第二次世界大戦 / 太平洋戦争が終焉を迎えた時期なわけで、タイトルに「終戦」って言葉がある通り、太平洋戦争を描いた作品なんだけど、まぁ、ザックリとした言い方をしちゃうと、太平洋戦争末期の日本軍に「まるでニュータイプのような」(つまり、ララァのような)少女とありえない兵器が登場する、っていうのが一番大雑把な概要になるのかな。まぁ、小説だからストーリーを細かく触れるのはレヴューとしてナシだと思うんで止めとくけど。

特徴はたくさんあるけど、個人的にまずポイントだと思ってるのは「歴史の勉強になる」ってことかな。誤解を恐れずに言っちゃうと。もちろん、「ニュータイプのような」少女とありえない兵器が出てくるし、っつうか、そもそも小説だし、もちろんノン・フィクションじゃないから、「歴史」が書かれてるわけでもないし、「こんなので歴史がわかるか!」みたいな意見があるのもわかるけど(そういう意見、キライじゃないし)、でも、なんか「歴史の勉強になる」感じ。少なくとも、日本の普通の学校教育とかマス・メディアよりも。

それにしても、何なんだろう、この感覚は?「歴史が感じられる」っていうほうが正確なのかな。
それこそ、今日も TV で戦争とか原爆 / 核をテーマにした番組はたくさんやってるし、これまでもその手のドキュメンタリーはわりと観るようにしてるけど、その手のモノよりもよっぽどシックリくる感じがあって。史実に基づく部分のディティールまでシッカリ描写されてて、なおかつ情報量が多いからなのかな? 普通は「ただの事実」としてしか頭に入ってこない情報が、もうちょっとリアルというか、質感みたいなモノが伝わってくる感じ。もちろん、フィクションなんだけど、その中にリアリティが感じられる、むしろノン・フィクション以上に強烈にリアリティが伝わってくるって感じかな。普通に日本で学校教育を受けて、社会人として生活してると、歴史をキチンと学ぶ機会、感じる機会なんかまずないから。まぁ、それはそれで大問題なんだけど。歳をとってきたせいなのか、歴史についての興味は若い頃よりも旺盛になってて、いろいろ手探りで勉強したりしてると、やっぱり、思い知るのは「いかに自分は知らないか」ってことだったりするし。ちょっとハナシはズレちゃったけど。

ハナシを戻すと、あと、予定調和的なお涙頂戴な感じとか、偽善的にすら感じるようなキレイごとになってない点もあるのかも。思わず目を背けたくなっちゃうような部分も含めて、キチンと描かれてて。人もよく死ぬし。読んでて辛くなるくらい。ただ、例えば、単に「何万人」とかって数字じゃ「情報」としてしか伝わってこないけど、端役の登場人物もキチンとキャラクターとして作り込んでて、魂が吹き込んまれてるから、そのキャラクターが死んじゃうことが「重みのある死」として伝わってきたりする。そういう面が、いろんなところにある感じなのかな。

もちろん、エンターテイメントとしてキチンと成立してるって点もすごく大きい。「歴史の勉強になる」なんて書くと小難しそうな印象を受けるかもしれないけど、決してそんなことはなくて、むしろ、メチャメチャエンターテイメントとして優れてる。それも福井晴敏作品の特徴だと思うけど。アッと驚く展開とか、小説ならではの「あり得ないこと」がたくさん起こるし、出来過ぎな部分もたくさんあるし。まぁ、今さら言うことでもないけど、さすがにプロの、一流の小説家だな、と。もちろんジャンルと目的の違いは考慮しなきゃだから単純に比較しても仕方ないことはわかってるけど、そういうことを差し引いても、純粋に同じ「文章」って表現形態として、そこいらの歴史学者とかとは、ちょっと、表現力のレベルが違うな、と。

まぁ、ここまで読んで気が付く人はピンときちゃうと思うけど、これって、ほぼそのまま、ガンダムの特徴だったりする。もちろん、福井晴敏って言えば、「ガンダムは義務教育だった」と言って憚らない、言わずと知れたガンダムフリークで、ガンダム、特に富野監督からの影響は絶大なわけで。前にガンダム関係の番組に出たときも「ガンダムは、戦争を知らない自分たちの世代に、初めて戦争ってものを見せた」みたいな発言をしてたし、『ローレライ』の企画意図についても「どうやったらガンダムを 50 歳代以上の人に理解してもらえるか」って考えたって言ってたし(ただし、この発言が小説のことなのか、映画のことなのか、両方なのかはナゾだけど。この『終戦のローレライ』自体、映画化が前提で書かれたものなので)。

まぁ、この時期に読みたくなっちゃうのは、64 年前のこの季節=太平洋戦争を描いた本であること、キチンと覚えておくべき 8/6・8/9・8/15 っていう 3 つの日付がある時期だってことがもちろん大きいけど(別に興味のアル・ナシとか好き・嫌いに関わらず、何かについて考えていく上で、やっぱり、この時期のことを避けては通れないから。過去について考えるときも、現在についてでも、未来についてでも)、他のことについて考えたり調べたりしてても、やっぱり戦争や原爆 / 核についてとか、20 世紀っていう時代については知ってたほうがいいっぽいし。「生きているということは…、知ることなのだ…」ってのはかわぐちかいじの『ジパング』の草加拓海のセリフだけど(他の誰かの有名な言葉の引用っぽい感じもするけど)、まさにその通りというか、やっぱり知れば知るほどわからないことが増えるし、でも、知れば知るほど、一見、関係なさそうなこともつながってくる(つながってるってことに気付く)し、物事にはいろんな要素や背景があることも見えてくるし。とかく、わかりやすさが重視されて、過剰に単純化しがちな昨今なだけに、ちょっと意識的に警戒しないとな、と思ったりする部分も含めて、こういう作品は大事だな、と。

決してライトな内容ではないし、物理的にも長編ではあるんだけど、でも、エンターテイメントととしてよくできてるから全然読めちゃう。さっき
『ジパング』のハナシが出たけど、『ジパング』とか『沈黙の艦隊』とか、かわぐちかいじ作品にちょっと似てるかも(舞台になってる時代が近いことを考えると、やっぱ『ジパング』かも『沈黙の艦隊』はむしろ『亡国のイージス』かな)。映画『ローレライも観たけど、個人的には断然小説。まぁ、まったく別のモノとして考えればナシじゃないとは思うし、「ニュータイプのような少女」の配役が素晴らしく絶妙だったし、潜水艦の艦内の狭さとかは臨場感があるんだけど、いかんせん、小説のスケール感を知っちゃうと物足りなすぎなんで。正直、「出来の悪いダイジェスト」って印象を持っちゃったし(ちょっと言い過ぎかな?)。

まぁ、ヴィジュアル情報が限定されてる(もしくはまったくない)からこそ想像力を発揮できる余地が大きい小説が好きだってのももちろんあるけど、個人的には、ヴィジュアル作品(映像に限らず、コミックも含めて)って、実は表現できる情報量ってすごく限られてると思ってて。なんか、誰もそんなことは指摘しないけど。実は表現力はすごく限られてて(だから、コミックでちゃんと描こうとするとかわぐちかいじ作品みたいな大作になるんだと思うし)、ヘタクソに作るとすごく乏しいモノになりがち。でも、なんか、一般的にはかなり盲目的に映像の表現力を過大評価してる気がすごくしてて、けっこう違和感を感じたりする。ついつい映像のほうがわかりやすいって思いがちだけど、全然そんなことはないから(もちろん、向き・不向きはあるけど)。こういう小説を読むと、それを実感させられる(まぁ、特に福井晴敏作品は映像化が難しいような気もするけど。『亡国のイージス』もそうだったし)。

あと、個人的には、福井晴敏って終章(とかエピローグ)がすごく上手いと思ってて。だから、内容としてはけっこうヘヴィーでも、読後感が悪くない。これって、けっこう大事な要素。特に、こういうテーマの本だと、なおさら。ただ、ドーンと重くなるだけじゃない。能天気なハッピー・エンドではないし、現実はメチャメチャ厳しいんだけど、でも、決して真っ暗闇でもない感じ。こういう考えって、すごくタフじゃないと描けないと思うし。

もちろん、毎年、この時期にはキチンとあの戦争について想いを馳せたほうがいいと思うし、そのキッカケのひとつって意味でもアリなんだけど(だからこそ、今日エントリーしたんだし)、あともうひとつ、忘れちゃいけないポイントが今年はある。それは、今年はガンダム 30 周年で、福井晴敏書き下ろしの宇宙世紀の新シリーズ『ガンダム UC』の小説版が完結して(今月末に発売される単行本が最終巻)、アニメ化へって流れの時期でもあるってこと。つまり、『ガンダム UC』へのプロローグって意味でもアリ、っていうか、必修科目だろ、と。

0 comment(s)::