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2009/07/25

Watch football. Talk football.

J Station

.ひかり TV

どんなキッカケでいつ頃から観るようになったのか、全然覚えてないんだけど、たぶん去年くらいから(?)観るようになったひかり TV のインターネット・サッカー番組。地上波サッカー番組が軒並み痛々しいことになってる昨今、すごくありがたい存在だし、何気にけっこう楽しみにしてたりする。

この
J ステーション』は「サッカー番組」というよりも、厳密には「J リーグ番組」で、サッカー解説者の宮澤ミッシェル氏が司会を務め、毎回ゲストにもうひとりサッカー解説者をゲストに迎えて、毎節 2 試合、J1 の試合をピックアップしてダイジェストを観ながら語るパートをメインに、J1 の他の試合の全ゴール・シーン + 結果、J2 の全試合のゴール・シーン + 結果、その節の MVP の発表と次節の展望等、そしてゲストに因んだ昔の試合の映像等って構成の 1 時間番組。毎週、水曜か木曜くらいに前の週末の試合を取り上げてて、左上の写真はちょうど今週アップされた回のキャプチャで、ゲストは木村和司氏。ゲストの人選はとてもヴァラエティに富んでて、木村和司氏とか金田喜稔氏といったお馴染みの解説者はもちろん、加茂周氏のような大御所から名波浩氏みたいにごく最近まで現役だった選手、さらにはレフリーの上川徹氏まで、いろいろな経歴・タイプの人が登場するのですごく面白い(参考までに、今シーズンのこれまでのゲストは以下の通り(敬称略):福西崇史 / 柱谷哲二 / 金田喜稔 / 相馬直樹 / 水沼貴史 / 山本昌邦 / 野々村芳和 / 本田泰人 / 早野宏史 / 森山泰行 / 都並敏史 / 上川徹 / 名波浩 / 小倉隆史 / 加茂周 / 前園真聖 / 木村和司)。去年とか、川崎の監督復帰直前の関塚隆氏も出たりしてたし。

ミッシェルさんも、まぁ、ちょっとノリが軽いところはあるけど、元選手としては喋りもすごく上手だし、熱心に J リーグを(J2 も含めて)観てるし、各年代の経歴の異なるゲストの魅力や得意ジャンルを上手く引き出してて、解説的な部分だけじゃなく、進行役としてもなかなか上手に務めてる。ゲストもそれぞれ、それなり以上のキャリアのある人たちなんで、さすがに言うことはなかなかの含蓄があるし、やっぱり 1 時間たっぷり時間があって、なおかつウェブだからか適度にリラックスしてて、他のメディアではなかなか聞けないような話が聞けたりもする。ちなみに、今週のゲストの木村和司さんは「暑い夏は…、サッカーはせんほうがいいな。パフォーマンスは落ちる。海とかプールに行ったほうがいい」とか「やっぱ、ゴール前の攻防は面白いわ。中盤の攻防はそれほど面白くないわな」なんて言ってたりして。オイオイ! って、つい突っ込みたくなっちゃう。

やっぱり、何がありがたいって、J リーグをメインにキチンと 1 時間を使っていること。まともな J リーグのダイジェスト番組がないことは、J リーグ発足から 10 年以上経った今でも相変わらず日本サッカーが抱え続けてる問題なので。普通、どこの国でも地上波で当日の夜〜深夜とかにその日の試合について「あーでもないこーでもない」って 1 時間とか 2 時間とかやるのが世界的な常識なんだけど、日本にはいつまで経ってもそんなものはできなくて。スカパー! の『J リーグアフターゲームショー』も悪くはないけど、まぁ、やっぱりスカパー! だから観れる人は限られてるし、NHK BS の『J リーグタイム』も、やっぱり BS だし。

スーパーサッカー』はもはやサッカー番組ですらないし、『やべっち FC』も、やべっち自身は頑張ってると思うけど、所詮は「代表持ち上げ番組」でしかないし。本気で J リーグを取り上げる気なんて全然感じられない。「代表」ってだけで盲目的になるというか、思考停止状態になるというか、ある種のファシズム的な状況になるのが日本サッカー界なんで。もちろん、スポーツ・ニュースは言わずもがなだし、紙メディアも大差ないし。

そんな中で、たぶん、超マイノリティなんだろうけど、このJ ステーションはかなり頑張ってると思うし、現状では、実は一番面白いんじゃないかな、なんて思ったりもしちゃう。まぁ、速報性はないけど、それさえ求めなければ。番組の構成上、ピックアップする試合が 2 試合だけなんで、好きなチームが取り上げられることはそれほど多くないけど、このくらいの感じで他のチームのことをチェックしとくにはなかなか面白いし、J2 の全ゴールを観つつ、最低限の試合結果とか順位が映像的に頭に入るのもなかなかいいな、と。次節の toto の予想にも役立つし。あと、ゲストに因んだ昔の試合の映像を振り返るコーナーもなかなか面白くて。もちろん、オールド・ファンには懐かしいんだけど、それだけじゃなくて、新しいファンに過去の歴史を伝えることって、すごく大切だと思うんで(でも、すごく軽視されてる。サッカーに限らず、日本社会、全体として)。まぁ、欲を言えば、J1 を 1 時間、J2 を 30 分くらいの 90 分番組(理想は 2 時間)とかで、J1 を全試合 + J2 を 1-2 試合ピックアップしてやってくれるともっといいとは思うけど。

あと、日頃、地上波の番組でチラッとしか観てないような解説者がジックリ喋ってる(通常、試合の生放送以外ではホントに短い時間しか与えられてないことが多い)から、けっこう見直したりとか、意外な発見も多かったりするし。まぁ、個人的に好き嫌いはあるだろうけど、そういう次元ではないレベルで、やっぱり
(ミッシェルさんも含めて)みんなそれぞれ、キチントしたサッカー観を持ってることがしっかりと伝わってきるんで。

マリノス・サポーターとしては、当然、木村和司さん、
金田喜稔さん、水沼貴史さん、加茂周さんあたりが出てくるとグッとくるけど、個人的にハナシを聞いててやっぱりスゲェなぁと感心するのは名波かな(同い年なんで呼び捨てで)。オフェンスだけじゃなくディフェンスも含めてすごく細かいところまで観てるし、技術だけじゃない部分もシッカリ持ってて、しかも、自分の考えを中途半端に言葉を濁すことなくズバズバという感じもすごく好感が持てるし。

まぁ、サッカー / J リーグに限らず、地上波 TV 自体はもう、自民党政権くらい末期症状になってると思うけど(「地上波 TV ってメディア」ってことではなく、「地上波 TV を全国ネットで放送してる放送局が、企業として」、って意味で)、特に J リーグはもはや
地上波 TV の中ではマトモなコンテンツって扱いも受けてないのが現状で、そんな中で(速報性こそないけど)好きな時間に観れるインターネットでこういう番組があるっていうのは、ひとりのサッカー・ファンとしてすごくありがたいな、と。ちょっと周りに話しても観てるって人に会ったことないから、相当マイナーなんだと思うけど、もうちょっと評価されてもいいんじゃないかな、と。

実は良く理解してないんだけど、ひかり TVってのは(ウィキペディアによると)「株式会社 NTT ぷららが運営する NTT 東・西のフレッツ光向けの映像配信サービスである」と。基本はフレッツ光ユーザー向けの有料サービスなんだろうけど、このJ ステーションは公開週に限り無料で視聴できる。マックには非対応ってことになってるっぽいけど、VLC で観れてるし*。サッカー関連でも、他にもいろんなコンテンツがあるらしい。個人的には、J リーグ全チームの最新試合のダイジェスト映像と、去年までやってたチャンピオンズ・リーグのダイジェスト番組くらいしか観てないけど。

*マック +
VLC で観る方法:
  1. 「PLAY MOVIE」ってボタンを control + クリックして「リンクをコピー」
  2. VLC を起動して コマンド + N で「ソースを開く」画面を開いて「URL」のところにコピーしたリンクをペースト
  3. javascript:selectMovie('mms://wms.4media.tv/soccer /jstation18_all_090722.wmv','木村%E3%80%80和司氏');」といったテキストがペーストされるので頭の「javascript:selectMovie('」って部分と後ろの「','木村%E3%80%80和司氏'」を削除して「mms://wms.4media.tv/soccer/jstation18_all_090722.wmv」って部分だけにして「開く」。他にも方法はあるのかもしれないけど。

2009/04/27

A change is gonna come.

ディス・デイ「希望の一日」クーリエ・ジャポン編集部 編 
(講談社) 

COURRiER Japon 2009 年 3 月号』のレビューでも触れた、この号の特集 'THIS DAY OF CHANGE' の写真集。雑誌の発売と同時に特設サイトが開設されて、そこに随時写真が追加されてたんだけど、ついにそれをまとめた写真集が発売された。

この 'THIS DAY OF CHANGE' は、2009 年 1 月 20日、つまり、バラク・オバマの大統領就任という「希望の日」の世界の様子を、世界中の 100 名を超えるフォトグラファーが 'HOPE' をテーマに撮影するという企画で、最終的に 1000 枚を超える写真が集まったという(テキストも寄せられている)。'CHANGE' の舞台となったワシントン DC やアメリカ国内各都市はもちろん、中東、アフリカ、アジア、南米、ヨーロッパまで、世代も性別も社会背景も思想も異なるフォトグラファーたちが、ある特別な 1 日の象徴的なシーンを写真に収め、それをまとめることでいろいろなことを示唆する極上のコンテンツに仕上がってる。あえて写真っていうシンプルなフォーマットなところも潔いし。あらためて写真の持つパワーをすごく感じさせてくれるし、見応え(読み応え)十分で、装丁デザインもすごくクール。

2009/03/09

Everyday people. Everyday vibes.

オバマ大統領の就任演説を観ながら 冷泉彰彦さんに、なにかと訊く 
 冷泉彰彦 x 糸井重里(ほぼ日刊イトイ新聞)

もともとは、日本屈指のモンスター・サイトとして知られる『ほぼ日刊イトイ新聞』で、バラク・オバマが大統領就任の際に行った就任演説を観ながら冷泉彰彦と糸井重里があれこれ喋るのをストリーミングで配信したモノ(これ自体はチェックできなかったんだけど)。ストリーミング配信終了後にテキスト版として毎日小出しに公開されてたんだけど、2 月末に全 10 回分が出揃った。ちょっと日が経ってるけど、わりと面白かったので備忘を兼ねてレビューを。

2009/02/13

The change has come to the world.

COURRiER Japon 2009 年 3 月号』(講談社 ★

前にも宮沢和史責任編集のブラジル特集号をレビューしたことがある『COURRiER Japon』の最新号の特集は 'THIS DAY OF CHANGE'。つまり、バラク・オバマが大統領に就任した 1 月 20 日の世界の様子を追った特集で、日本語のタイトルは「世界の写真家 100 人が撮った 1.20」という、なかなか面白い企画。二重になってる表紙のデザインもすごくクール。

内容は、世界の 100 人のフォトグラファーが世界約 60 カ国で 'HOPE' をテーマに撮影した写真の一部を紹介しつつ、『COURRiER Japon』らしくオバマの大統領就任を世界のメディアがどう報じたか(例えば、"Gramma" に発表したフィデルの寄稿とか)とか、一躍有名になった若きスピーチ・ライター、ジョン・ファヴローをはじめとするスタッフについての記事(これを読めば、オバマ自身がキチンとスピーチの内容にコミットしてることがよくわかる)とかが紹介されてるんだけど、同時に特設サイトとも連動してて、特設サイトではトータルで 1000 枚にも及ぶ写真を順次公開していって、最終的には 4 月末に写真集になり、写真展もやるっていう大掛かりな企画なんだとか。

誌面はもちろん、特設サイトもすごくよくできてるし、写真自体もどれも素晴らしい(公開されてるのはまだまだ本の一部だけど)んだけど、その後の写真集・写真展って展開まで全部ひっくるめた企画全体としてすごくダイナミックだし、クリエイティヴでインスピレーションに富んでる。こういう企画は大歓迎だし、写真集・写真展もすごく楽しみ。

2008/12/19

Time for hope.

"TIME (Vol. 172 No. 26 / Dec 29, 2008) Person of the Year 2008
(Time Inc.) ★★

アメリカの "TIME" 誌が毎年行っている 'Person of the Year' 特集号。表紙を見ての通り+大方の予想通り、バラク・オバマが選ばれてる。そのこと自体は何の驚きもないんだけど、内容というか、その取り上げ方や使ってる素材のクオリティがとても素晴らしい。ちなみに、ここで取り上げるのは実際の雑誌ではなく、ウェブ版。純粋にウェブ・コンテンツとしてのクオリティがとても高いと思うので。

まず、カバー・アートワークを手掛けてるのはオベイ(OBEY)でお馴染みのフランク・シェパード・フェアリー。1 月の時点で 'HOPE' をモチーフにしたアートワークを手掛けていることも考えると不思議なことではないんだけど、ストリート系のアーティストが "TIME"の 'Person of the Year' のカバー・アートワークを手掛けるなんて、ちょっと感慨深かったりもする(フランクのビデオ・インタビューがサイトで見れる)。

2008/10/30

Culture and role.

Google との闘い ― 文化の多様性を守るために

. :ジャン-ノエル・ジャンヌネー 著
. :佐々木 勉 訳(岩波書店

フランスの国立図書館の元館長で、ミッテラン政権の通商政務次官もと務めたという著者による、グーグルに象徴されるアメリカ(≒英語)主導のインターネット界のグローバリゼーションに関して、主に Google Book Search を例に挙げて、その裏に孕んでいる画一化の危険性に対して警鐘を鳴らしている一冊。原著("Quand Google défie l'Europe: Plaidoyer pour un sursaut")は 2005 年、訳書は 2007 年の出版で、ちなみに原題は「グーグルがヨーロッパに挑むとき ー 驚愕の理由」という意味だとか。

まぁ、言わんとしてることは解る。ある面で正しい。でも、簡単な問題でもない。グーグルに関するいろいろな本などを読む限り、Google Book Search の「過去に出版された書籍に含まれている膨大な量の情報をデジタル・データ化して検索可能にしたい」という欲求は、グーグルの創設者のふたりにはかなり昔から強くあると思われる。しかも、かなり純粋且つアカデミックなレベルで。たぶん、そこには悪意はない。ただ、悪意がなければいいのか、というとそうでもないのが難しいところ。その辺のことを指摘してるんだと思います。著者の立場は当然、フランス人であり、フランス語圏の人間であり、ヨーロッパ人である、というところ。「ヨーロッパは、市場のために重要なルールを都合よく曲げることさえ辞さないアメリカを理解するうえで、絶好の位置にある」と述べているように、インテリなアメリカ人特有の考え方や価値観がそのままグローバル・スタンダードになってしまうことに危惧を抱かざるを得ないという著者の立場は、英語圏どころかアルファベット圏でもない日本人なら容易に理解できるし、私企業であり、収益を広告に依存しているグーグルのビジネス・モデル自体が内在している危険性も理解できる(大企業に有利になりやすいし、ポピュリズム的な単純化の傾向を促進する可能性もある)。要するに、インターネットの世界(が本来持っていたはず)の公共性と多様性をどのように担保していくのか、ということなんだろうけど、これに関してはもちろん簡単なハナシじゃないし、単純でパーフェクトな解決策があるわけでもない。官と民のバランスと役割の問題でもある。これはグーグルに限らず、マイクロソフトなんかにも言えることだろうし、もっと言えば、インターネットの世界に限ったハナシでもない。政治・経済・文化等、あらゆる分野に言えることだし、「全世界アメリカ化」的な経済の動きが大きな破綻をきたしている今、なおさら強くそう感じるし、その傾向に大きな変化が生じる時なんじゃないかとも思ったりする。

本書を読んで強く感じたのは「それぞれの国や文化が持つ役割」ということ。新しいことを効率重視でドンドン推し進めちゃうのがアメリカの役割なら、ちょっとヒネくれた目でそれを注視して、違う見方を示すのはフランスの役割。アメリカには、アメリカという「若い」国が掲げる(ざるを得ない)理念という価値判断基準があるし、フランスには、アメリカにはない長い歴史の中で育まれたフランスならではの価値判断基準がある。アメリカっていろいろ面白いものを生み出してきた国ではある。でも、やっぱり歴史が短いし、国としてのベースが脆弱だから、どうしても理屈っぽくなったり、数値に頼りすぎるところがあると思うんだけど、それは必ずしも正解ではないと思うので。アメリカ人の考える「合理性」が、他の国の人にとって必ずしも「合理的」であるとは限らないので(「合理的」って「効率がいいこと」と同義語だと考えられがちだけど、本来は、文字通り「理性に合う」という意味なので。そして、「理性」は必ずしも「効率」と合致するとは限らない)。グーグルに代表されるシリコン・バレーに関しても、いい面もたくさんあるけど、足りない部分もいっぱいあると思うし。その点、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国には、理屈じゃないレベルでの価値判断基準、歴史と文化の中で育まれてきた価値判断基準があると思うし、フランスなんかはその筆頭だと思うので(その主張の強さも含めて)。どっちが正しいとかではなくて(著者もグーグルを全面的に批判しているわけではない)、こういう意見がキチンと主張されることだったり、それが考慮されうることってのは、とても大切だな、と。もちろん、ヨーロッパ以外の国でもそういうモノを持っている国はあるし、日本にも日本ならではの価値判断基準があるはずなんだけど、ホントは。まるで役立てられてない気がするけど。残念ながら。日本は逆に孤立化に向かっている気もするし。安易にグローバリズムに流れるのはどうかと思うけど、一方で、世界の多様性を見ずに狭い世界に閉じこもってそれがすべてであるかのように振る舞うのもまたとても危険なことなわけで。この辺は、肝に命じておかなければならない日本の重大な問題な気がする。

最後に、具体的な指摘で面白いかった点をいくつか。
  • まず「現在まで、書籍は(出版者自身の広告を除けば)広告を含まない唯一の情報媒体だったということを思い出して欲しい」ということ。言われてみれば当たり前だけど、これは書籍の特殊性を理解する上で忘れちゃいけないことかも。
  • 図書館員や書店の店員の重要性がなくなるどころか大きくなる、って指摘もすごく大事。アルゴリズムはそこまで万能ではない、と。これは、アマゾンの「おすすめ商品」とか iTunes Store の 'Just For You' あらため 'Genius サイドバー'(既に持っている曲の傾向に合わせた別の曲をお薦めしてくれる機能)のような、購入履歴等のデータを基にしたアルゴリズムを用いた「パーソナライズド・リコメンデーション」の精度を考えればわかる。悪くはないし、それなりに役には立つけど、例えば、行きつけのショップの店員とか、プロのコンシェルジェに敵わないわけで。専門的で幅広い知識を持った図書館員や書店の店員は、一流のコンシェルジェとして扱うべきだし、そうあって欲しい。あと、こういうハナシをするときにはハードのハナシに偏りがちなので、そういう意味でも重要なポイント。
  • 分散コンピューティング的な手法を取り入えることを提案していること。最近、すごくいろんなところで見る「分散コンピューティング」。やっぱり何かあるかもな、と。確かに、ある種の公共性を持つプロジェクトは、多国籍な NPO / NGO 的な団体がこういう手法でやることが相応しいような気がする。資金源やクリエイティビティの問題はあるけど。
  • 「本は全体として設計されたもので、連続的または蓄積的に読まれるべきものである」という指摘。これはとても大事なポイント。きっかけとして部分的に見れることは有益だけど、それだけで安易に「わかった気になる」ことはすごく危険だし、インターネットの世界では、この問題はすごく大きな問題だと思う。
  • 「読書を通じて己を磨くには、読むだけでは不十分だ。我々は本に書かれている社会に出ていかなければならない」というジュリアン・グラックの『偉大な道への切符』からの引用も重要なポイント。頭でっかちになるなよ、と。
トータルで考えると、現状ではグーグルがベストであるのは、たぶん間違いない。いろいろなサービスにおいて。でも、「現状では」ということと、グーグルがどういうものかということは、常に頭に入れといて、動向は見ておく必要はあるし、他の選択肢も持っておく必要もある、と。そういう当たり前の結論にしかならない。特にこの世界の「常識」なんて、アッという間に変わっちゃうから(検索はヤフーが「常識」だった時期もあるし)。一番危険なのは、盲目的・近視眼的になって与えられた情報を鵜呑みにすることだってこと。結局、得た情報を解釈するのは人間の仕事だから(残念ながら、アルゴリズムは「解釈」はしてくれないから)。

2008/10/27

Move as you like.

スマートモブズ ― "群がる" モバイル族の挑戦

. :ハワード・ラインゴールド 著
. :公文 俊平・会津 泉 監訳 (NTT 出版

タイトルになっている「スマート・モブズ(smart mobs)」とは、著者曰く「インターネットにリンクされたモバイルの通信機器、パーベイシブ・コンピューティング、及び集団行為を組織するための技術の使い方を知っている人々」とのことで、その着想は渋谷駅前のハチ公口・スクランブル交差点で携帯電話を片手に「通話」ではなく「操作」している日本人から得たんだとか。つまり、ちょっと言い方を変えると、スマート・モブズとは「ケータイ(単なる「携帯できる電話」という枠を超えているので、あえて「携帯電話」ではなく「ケータイ」と呼びます)や PDA、小型ゲーム機器等の通信機能付きモバイル機器をスマートに使いこなす人々」みたいな意味になるんだと思うけど、その特徴とそこに秘められた可能性及び危険性について考察した書籍ということ。

原書は 2002 年、訳書は 2003 年の出版なので、情報はちょっと古いし、いろいろと首をひねりたくなるところやピンとこない(ポイントがズレてる)ように感じるところはあるけど、様々な面から、世界中の事象から
検証していて、さすがにアメリカのベテラン・ジャーナリストの仕事といった感じ。因みに、著者のハワード・ラインゴールド氏は "Whole Earth Review" のエディターや "HotWired" のエグゼクティヴ・エディターを務めたことで知られ、『バーチャル・リアリティ』等、テクノロジー関連の著書も多い人なんだけど、個人的には著書のひとつ、『思考のための道具』の印象が強い。コンピュータが個人の道具になる(=パーソナル・コンピュータの発展)過程をとても広範且つ深くまとめていて、広い意味でパーソナル・コンピューティングについて語る時の基本事項を学び、その可能性について考える上ですごく参考になった一冊。その彼の書籍ということもあるし、iPhone を使い始めて以来、あらためてすごく関心が沸いてきたテーマでもあるので、興味を持って読んでみた。

著者が例に挙げているのは、ハチ公口・スクランブル交差点でケータイの「操作」に没頭する日本の若者たちだけでなく、ノ・ムヒョン政権成立に大きく寄与した韓国のエピソードや 2002 年のアメリカ大統領選挙、ブラジルでの SNS の大きな広がり、マニラの「ジェネレーション txt」による大統領罷免運動、ヘルシンキの若者、さらには、執筆当時に普及しつつあったブログまで、とても幅広い。そこにあるのは「ポケットに入れて持ち運べる機器が無線インターネットを通じて互いに交信するスーパー・コンピュータになったら人間の行動はどのように変化するのだろうか」という壮大な疑問。その根底にあるのは、突き詰めて言うと「協力」ということなのかな、と。

著者の挙げるスマート・モブズの特徴は、
  • たとえ互いを知らなくても強調して行動できること
  • コミュニケーションと情報処理の両方の能力を持つ端末を持ち歩いてるので、過去にできなかった方法で協力することができること
そこには、今までは掬い切れなかった膨大な量の「共通にプールされる資源= CPR(commom pool resources)」を活かすだけの力があり、具体的には、古くはタイム・シェアリング、現代では P2P や Folding@home のような分散コンピューティングのような仕組みに、パーソナル・コンピュータ以上にパーソナルで肌身離さず持ち歩いている携帯端末に位置情報が加わってできたネットワークの力は、まさに計り知れない。古くはバーコードがヴァーチャルとリアルの架け橋となったように、ヴァーチャルとリアルの親和性が高まれば、なおさらその力は大きくなる。しかも、インターネット自体がもともと「核戦争でも生き残れるように設計されてる」なんだから、その堅牢性も相当なものであるはず。こんな風に発想が飛躍していくのはとても自然なことだ。

また、著者がトム・スタンデージの『解放されたインターネット』から引用している「電話は電報と同じ回線を使用したために、最初は単に話ができる電報としか思われなかったが、実際にはまったく新しい別物に化けた」という言葉が示唆してるように、インターネットもケータイ(及び他の通信携帯端末)も、「単に」という当初の想定の枠を大きく超えて、まったく別物と言ってもいいものに「化け」ている。インターネットの爆発的な普及を促したのは、実は当初、オマケ的に余暇の中から生まれたメールだったことは有名だけど、著者が「これからのモバイル情報通信産業のキラー・アプリケーションはハードウェアやソフトウェアではなく社会的な慣行だ」と語る通り、モバイル情報通信産業に限らず、本当のキラー・アプリケーションは常に「社会的な慣行」だったりするわけで、そこには「技術をどのように使うか」ということだけではなく「技術を使うことで自分たちはどのような人間になってしまうのか」という問題も同時に存在するという指摘も理屈はわかるし、それ以上に、皮膚感覚の実感としてリアリティを感じる。

著者がスマート・モブ技術の潜在的な脅威として挙げているのは 3 点。
  • ジョージ・オーウェルの1984 年』的な管理社会に利用される危険性という「自由への脅威」。
  • 高度に自動化された情報社会での行動が、正気と礼節を蝕むより先に利便性をもたらしてくれるか定かではないという「生活の質への脅威」
  • 人間がより機械的に、非人間的になる危険性という「人間の尊厳への脅威」
基本的に、パーソナル・コンピューティングやインターネットの世界には、スティーブン・レビーが『ハッカーズ』で掲げた「ハッカー倫理」(「コンピュータへのアクセスは無制限且つ全面的でなければならない」「実地体験の要求を決して拒んではならない」「情報はすべて自由に利用できなければならない」「権威を信用するな ー 分権化を進めよう」というもの)やリチャード・ストールマンがフリー・ソフトウェア運動で唱えた「フリー」=「無料でなく自由」という感覚、誰もが自由に制作・閲覧・編集できることを意図したティム・バーナーズ・リーの描いた www 像などの精神があるはずだけど、その一方で「ソフトウェアは、ユーザーが引き出しに入れ、いろいろ手を加え、互いに分け合う公共財ではない。私有財産なのだ」と 1976 年に唱えたビル・ゲイツの例なんかもあるわけで、この問題は無視できない。

著者が引用してる発言で、もうひとつ面白いのが日本在住の認知学者、アンディ・クラークの発言。曰く、「人間は既に、かなり前からサイボーグになっている。単に肉体と電線を結びつけたという意味ではなく、その精神と自我が生物的な頭脳から非生物的な回路にまで及んでいる思考と推論のシステムという意味で。つまり、
人間は、もはや人間・技術の共生体なんだと。この感覚は、漠然とだけど、なんとなくシックリくるような感じがする。直感的且つ実感のレベルで。脳学者の茂木健一郎氏は前にガンダムの話の中で、(うる覚えなんで細かい言葉遣いや表現は正確ではないけど)車の運転をすることで自分の肉体が拡張されたように感じるように、モビルスーツで宇宙に出ればそういう感覚はあるはずだし、それこそ人間がニュータイプになれるってことだみたいなことを力説してたけど、似たような感覚はマックや iPhone を使って感じることはあるし。

ただ、
「技術をどのように使うか」ということだけではなく「技術を使うことで自分たちはどのような人間になってしまうのか」という問題に関して、インテリなアメリカ人の著者が感じてる危惧とはかなり違うレベルで危惧を感じてる「日本人として」の自分もいるのも事実。冒頭に、スマート・モブズとは「ケータイや PDA、小型ゲーム機器等の通信機能付きモバイル機器をスマートに使いこなす人々」みたいな意味になるって書いたけど、ポイントは「スマートに」ってところだと思ってて。

渋谷のスクランブル交差点の光景から韓国やフィリピンのエピソード、さらには P2P とか分散コンピューティングなんか想像できるインテリには思いもよらないようなレベルの問題。一心不乱にケータイを操作して「何をしてるのか」、そして「そんなことばかりしているとどんな人間になってしまうのか」。ここにポジティヴなイメージが浮かんでこない感覚は、きっと著者にはイメージできてないだろうなぁ、と。スマート・モブ技術とはまったく関係ない次元に存在する問題が、スマート・モブ技術によって増幅されている感じ。そういう意味では、奇しくもスマート・モブ技術の力を示しているとは言えるけど。ただ、スマート・モブ技術が必ずしも「スマートな」モブスを生み出しているわけではない、と。

あと、ウェアラブル・コンピューティングとか、クールタウンとか、正直、ちょっとピンとこない感じ。インテリが難しいことをたくさん考えて作ってたり、高いスーツ着たコンサルタントととかが会議室でまとめたアイデアみたいなビミョーな空気を感じる。頭でっかちな感じ。あと、この訳書の装丁デザインもどうかと思うけど。表紙が背表紙みたいだし、せっかくのシャープさやクールさが損なわれてる。この辺は日本サイドの制作・編集スタッフのセンスの問題だろうけど。ただ、その辺りの感覚のズレとかはありつつも、それを補うくらいの情報と示唆には富んだ一冊ではある。

2008/10/25

Will 2008 be like "1984"?

Naomi Klein "China's All-Seeing Eye" (from "Rolling Stone" Issue 1053)
(Rolling Stone) 

ナオミ・クラインが出演した『デモクラシー・ナウ』でのインタビューで知ったアメリカ版『Rolling Stone』誌 1053 号(今年の 5 月発売の号)に掲載された彼女の記事(同誌は日本版も出てるけど、この記事が掲載されたのかは未確認)。中国の公共セキュリティ対策とアメリカ企業の関係についてのなかなか読み応えのある興味深い記事で、サイトに記事の全文と補足的な Q&A写真も紹介されている。

内容としては、オリンピック開催を契機として中国政府がセキュリティ強化の必要性を理由に街中に膨大な数の監視カメラを設置、そのカメラを市民の監視に使っていて、その機器はアメリカの大企業から購入している、というハナシ。アメリカ(欧米)人がやたらと例に挙げるのが好きなジョージ・オーウェルの『1984 年』のビッグ・ブラザーと旧ソ連に象徴される社会主義体制下の監視国家のイメージを重ね合わせつつ、その「道具」となっているハード・ソフトをアメリカの電気・軍事関係企業が提供しているという点を指摘してる。